伊藤詩織氏と山口敬之氏の高裁判決に関してこんなツイートを見つけました。
また裁判官は最終判決で
— G🇯🇵🇺🇸 (@realoclife) 2022年1月26日
「現実的な問題として人間の行動のなかには、法的な細かな制度による裁きには適さないエリアがいくつかある」
と綴っている。
扉の向こうで酔った成人二人が夜中6時間以上何しているかは誰も知る由はない。性行為が同意の上か否かの判決を下すのは不可能だし不起訴が常識。
この米国での判例、大いに頷きました。
密室でのこと、さらに酔っていた二人のことを第三者が判断(判決)することは不可能でしょう。
両者の言い分は真逆なのですから。
串かつやの店主、お寿司屋の客、ドアマン、タクシー運転手など周りの証言も主観的であり、客観的な証言とは言えませんよね。
結局、自分にはこう映った、ということでそれが真実とは言えない訳です。
そこにはその人の主観が混じる訳ですから。
(酔っていた女性を良く思わない人、反対にこんなに女性を酔わせて男性が酷いなと思う人など、その人の捉え方の立ち位置で現象はどうであれまったく真逆に映るのですから)
実際、証言者やネット民は正反対な受け取り方をしています。
(特にこの裁判は政治的な背景も絡んでいますし)
裁判官とて人間ですから(当たり前)主観が入ってしまうこともあるでしょう。
こんな密室での2人だけの空間での出来事を同意があったか、なかったか、キチンと裁けるのでしょうか⁉️
特に、ホテルの部屋に入ってからは、誰も証言する者はいないのです。2人以外には。
そして、真っ向から供述はすれ違うのです。
もし、私が裁判員制度で選ばれたとしたら、とても主観を入れずに裁ける自信はありません。
(この裁判は裁判員制度ではないけれど)
米国での判例のように
「ふたりが何に同意したのか、あるいは何に同意しなかったのかを突き止めるのは不可能」
「両者とも成人である」
上記の二点から判決をくだすのは不可能として不起訴、とするでしょうね。
(裁判員制度で裁判員に選ばれたことはありません選ばれたいということでもありません。もし、選ばれたとしたら、の話です)