昨日、コロナ重症患者のドキュメント『コロナ重症病棟 医師たちの闘い』をテレビで観ました。
ECMOをつけた重症患者の方たち。
モザイクがかかっていましたので、年齢などはわかりませんでしたが、ナレーションによると高齢者の方たちばかりということでした。
誠心誠意、患者に向き合う医療従事者の姿。
人は誰かのためにこんなにも一生懸命になれるんだ、と深く感動を覚えました。
それを観ながら、大西つねき氏の「命の選択」発言についてまた考えました。
大西氏の考えは優生思想であるとして、炎上し、謝罪したわけですが、やはり彼の真意はそこにはなかったのだろうな、と思うのです。
コロナの重症者の多くは高齢者であると言われています。
もし、重症者が増えた時に、誰にECMOを装着するべきかを選択しなければならない局面に立たされたら、やはり未来のある若者たちに優先的に、という考え方はごく自然に生まれるのではないでしょうか。
だからこそ、「除籍に値する」と切り捨てていい問題ではないのです。
コロナによる命の選択だけでなく、年老いて医療による無理やり生かされる命に対して、疑問視されているにも関わらず、未だに「尊厳死」が尊重されないこの国。
死生観についてタブー視せず、「生かさず、殺さず」の高齢者医療に対してコロナに対峙している今こそ考えてみたいと思うのです。
寝たきり老人がいないと言われるスウェーデン。
むやみやたらに海外と比較して日本はダメだということは言いたくないのですが、高齢者社会でありながら寝たきり老人がいないというスウェーデンモデルについては学ぶべきものがあるのでしょう。
「死なせない医療」ではなく、より良く生きてより良い最期を迎えるために。
医療はそうあってほしいと願っているのは、私だけでなく多くの人の思いなのではないでしょうか。