仁鶴さんが亡くなった。 | たまご寒天のブログ

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テーマを選ばず思いついた事をそのつど書き込みます。
好きな作家は藤沢周平さんです。
歌手羽山みずきさんのファンです。

笑福亭仁鶴さんが亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。

 

ここ数年、テレビ番組などでも見かける事が無くなり、どうされてるのかと思っていたが、闘病されていたのだとわかりました。

 

私は、会社に就職して初めての赴任地が大阪でした。

3か月間ほど東京の本社で研修が有り、7月に大阪にいきました。

 

社会人として仕事はもちろん、上司や同僚との人間関係、私生活の面でも、それまでの学生時代の気ままな生活と違い初めての事ばかりでした。

 

その頃の事ですが、当時ラジオなどでもボツボツ名前を耳にすることが多くなっていた仁鶴さんのサインを貰ったことがあります。

 

仕事で通りかかった大阪駅前の阪神デパートの前で、人通りが見えたので、何だろうとのぞき込んだら、キャンペーンか何かをやっていた仁鶴さんの姿が見えました。

 

何人かの人がサインを貰っていたので、とっさにノートの切れ端にサインをしてもらいました。

とても気さくな雰囲気で、一言二言話しながらサインを書いてくれました。

 

仁鶴さんの芸風は、ほんわかと明るい感じで、その後もどんどん人気者になりました。

当時若者に超人気だった番組の「ヤングおーおー」の司会なども務められました。

80年代から続く「バラエティー生活笑百科」もよく見ていました。

上村さんとの掛け合いなども面白かったです。

 

歌では「おばちゃんブルース」がヒットしました。

私が当時勤務していた会社の建物は賃貸ビルで、週に何回かパートとして清掃にに来られるおばさんがおられました。

私の母よりいくつか年上にお見受けました。

 

私も、そのうちおばさんと世間話などするようになりましたが、時々内緒で飴ちゃん(飴玉)や大福などを事務所の廊下などで戴くことがありました。

 

おばさんの家族の事など詳しい話を聞いたことは有りませんが、当時流行った「おばちゃんブルース」をよく聞きながら、おばさんの生活はどんなんかなと思ったりしていました。

 

お世話になったのに、まだまだ世間知らずで気配りも出来ず、一度だけ田舎の土産を帰省した時に買ってお渡ししただけです。

 

その内私は転勤になり、きちんとご挨拶もできずそのままとなってしまいました。

 

年を取ってくると、昔の人に会って当時のことを色々話してみたいなとよく思いますね。

 

話を戻しますが、仁鶴さんのサインはどこかにしまい込んだのか出てこないんですよ。

捨ててるはずは無いので、今度すみずみまで探してみようと思っています。