その人は、


静かに窓の外を見て話し始めた





あの日もこんな暑い日だった







いつもと変わらない朝日





いつもと変わらない挨拶






いつもと変わらない朝食














いつもと変わらない風景に幸せを感じてた人も居た












いつもと同じ時間に朝食を食べ



身支度して


お母さんに


行ってきます


行ってらっしゃい




普通に挨拶して出掛ける





暑くて


いつの間にか太陽は高い位置にあって陽射しが照りつける



セミも忙しなく鳴いている








学校に着いて友達に挨拶




教室に入って間も無く






空襲警報がなり響く





今日はこれで2回目の空襲警報






またか。。







廊下に出て防空壕に向かおうとした瞬間









飛行機が見えた








出遅れた






瞬間的に体をかがめる














ピカ












朝なのに陽射しにも負けないくらいの明るさ







一瞬何が起こったかわからなかった








その後爆風が襲ってきて


熱い




苦しい












それからどの位経ったか分からないくらい気を失っていた








気が付いて





周りを見渡してみると






さっきまでそこにあったはずの




風景















空気まで変わっていた







変わり果てていた









家族








家族が気になって





家まで急いだ







家はほとんど吹き飛ばされていて






人も真っ黒焦げ








家屋に押し潰された人も






かろうじて生き残った人は






火傷で皮膚がただれ




腕の皮がベロンと剥け



爪のところでかろうじてとどめている




地面に皮膚がつかないように





よく幽霊のマネをする様な格好







熱い














惨劇がひろがっていた









家に着く前に






配水管が壊れて水が出ている所があった







その周辺には多くの息絶えた人







尋常じゃない程の喉の渇き





水欲しさに人がくる










持っていた水筒に水を入れる









途中横たわっているが






水が欲しいと言ってきた








水筒を渡そうとした時







止める人がいた








水を与えると死んでしまう






と言った









確かに配水管の所には沢山の死体があった







水が欲しい気力だけで動けている








生地獄とはこの事を言うのかもしれない











家は当然のように無くなっていた








家族も










亡くなっていた










普通に始まった






何でもない日が










世界的に歴史に残る日になった










いつもの朝日が









愛する人が









友達が









ご近所さんが









馴れ親しんだ町が









あっという間に







無くなった







亡くなった











この話しを中学の時に聞いた




歴史の先生から




私のクラスは比較的騒がしいクラスで
ちょっと不良な子もいて



聞いた日も暑くて集中散漫してた





先生が静かに語り出して



いつの間にか


クラスは静まり返ってた



後ろの方だった私の席からは




クラス中が見渡せた




皆集中して聞き入っていた




多分、思う事は近かったんじゃないかな





こんな歴史が日本に起こったんだ


恐い



10数年経っているけど


忘れられない授業の一つ



話になっている男の子は頭に火傷を負っていたらしい
ちょうど窓から頭が出ていてその部分が被爆したらしい。



先生は言った

こんな悲劇、惨劇はこれから一生あってはならない。



私もそう思う。


明日は私の誕生日。
前日に原爆の日。
小さい頃から今日まで
必ず毎年ニュースで原爆の日追悼が流れる



歳を重ねるごとに思う事、受け入れる事が増してくる。




明日が今日に変わる前に







黙祷