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「なんだか自分が軽んじられているような気がする」「いいように使われている気がする」、つまりバカにされているような気がすることが多いような気がする。(気がする、ばかりだ)。


なんだか気持ちよく働けない。こんな想いがじわじわとある。


誰々にこう言われた、と延々と他の誰かに訴えて「それら誰々がおかしいよ」となぐさめてもらいたいだけなんだろうか。そもそも誰々が「こう」言った時に、他の誰かはその場にいなかったのだから、公平な立場で判断も出来ない。


私自身がおかしいのかも、と思わなくもない。だから余計に苦しい。働く環境でそういうことが多い。でもそこを逃げたらまた一から「働く」ということを始めなくてはいけない(ここは、そうすればいい、のかもしれない)、それもしんどい。


とか、そういうことを悶々と考え、ふとネットで「自分がバカにされているような気がする時」と検索すると。


『まずあなたがあなた自身をバカにしていませんか?』というようなアドバイスが案外出てくることが多い。結局、私に原因があるってことなの?


さっき、その場にいない他の誰かは公平な意見を言えない、というようなことを書いた。


とすると、ネットでアドバイスしている人も同じなので真に受けることはあるまい。自分が自分をバカにしているから、他人からバカにされるのだ、なんて思わなくても良い。


ただ、自分が、気持ち良い、そうあって欲しい、というような人間どうしの触れ合いが当たり前の前提としてあって欲しいのだよね。


話は変わるが、人に投げかけた言葉は必ず自分にも返ってくる、というような言い方がある。ほんとうなんだろうか。


逆にひどいことをした人が仮にいたとして、そのことを誰かに相談したときに、その人には必ず同じことがその人に返るのだからいまここで成敗しなくても良い、というようアドバイスも聞くこともある。ほんとうなんだろうか。


それは、今世の中で、不当な扱いを受け、不当な言葉を投げかけられている人は「巡りめぐって」そういう状態にあると言っているに等しいのだが、それで良いと思っているのだろうか。


こういうときは心が狭くなりがちだ。余裕がなくなるのでやっぱり他人に出来る対応がぎりぎりになる。ちょっとしたことで傷つけられたような気もするし、逆にヤイバが出て傷つけてしまうこともある。


不当がヤイバを呼び誰かに不当をして、その誰かも不当をする。世の中はすさむ。


とすると、不当な扱いをされたからといって落ち込んでいても仕方がない。自分が望むような振る舞いを自分はするしかない。


不当な扱いを受けても、揺るがない強い、誰かを傷つけるようなことがないような心構えを持つことが望ましい。


とすると、自分に不当をけしかけてきた相手にさえも堂々巡りをとめるために報復的に必要以上の強い態度や「わからせてやる」的なことをしないに越したことはない、と考えることが出来る。


とここまでかいて、調子に乗る人は確かにいるのでそうとも言えないよな、と思う。


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書くと整理されます(自分だけが、ですが)。読んでくれた人には意味不明でしょう。


要はたぶん、自分はこんなに悔しい想いをしたんですよ、ということを相手に伝えたいってことなんでしょうね。それは無意味、ということはわかっています。だいたい(特に私の場合は)下手をやってさらにこんがらかります。


一番良いのはなんでしょう。後から自分の中で記憶と想像で出来事を再生リピートさせて怒りを増幅するぐらいなら、その場で「それは嫌です」「なんか違う」とか言えるようにしたらいいのかな。そうなんでしょうね。


「それは嫌」というタイミングはかなり大事なんだろうな。方法も。時間がたってからだと、逆方向へ強化するんだろうな。時間がたってから夜中に書いた手紙とか怖そうだもんな。