会社と裁判だ!

 

「自宅待機を命ずる」

会社側が、いや社長が示した最初の一撃だった。その1週間前に専務に珍しく酒席に誘われ対面で探られたのがベトナム・ハノイ事務所への長期駐在の内示だった。覚悟はしていたものの病身の妻を思うと即座に「お願いします」とは言えなかった。話題を変えた専務に向かってつい漏らしたのは、私が社内で尊敬する人物は3名。しかし、その3名の中に専務の名前は入れなかった。酒の席でつい本音が出たのだろう、確かに配慮はなかった。

人事の内示を断った形になった人物に会社側が攻勢をかけてきたのは早かった。年末に申請した有給休暇取得の子細な不備を理由に辞令を出してきたのだ。責める材料を模索していた結果らしいことは明らかだった。

高校時代の同窓だった弁護士Sに相談した。取りあえずは事案の経過を時系列に整理しておくようにとのアドバイスだった。いつ呼び出しがかかるかも知れない「自宅待機」の処分は意外にこたえた。妻にも相談できるような状況ではなかったし、コロナ騒ぎで当たり前になった在宅勤務もないご時世に働き盛りの男が昼間に街中をぶらぶらするのは憚られた気分でもあった。なので、近くの図書館を梯子することが毎日の時間を潰す唯一の日課になっていた。

S弁護士から提案があった。このままの状態では会社側の思い通りに時間が経過するだけで減俸を繰り返したのち何れは「解雇」の辞令を出してくる戦法だろう。民事で戦うなら「不当解雇」で争うことにしよう。民事裁判だ!

弁護士がついているとは言えそれは手続きに関する専門的な助言に留まり、訴えの中身については頼れそうもないので自分で弁明書を作り、己の立場が不利になるのを覚悟で応援してくれる同僚や社長に不満を持つ役員に申立書の作成を頼み続けた。会社側の弁護士もその筋では有能と聞いており事実、徹底的に個人攻撃を仕掛けてきた。加えてこれまで尊敬していた上司もこぞって援護射撃を浴びせる。こうして組織と戦う孤独さをいやでも味わうことになった。

実りのない低俗なやりとりに落ちいっていく中、一年近くを経て結局は「和解」することになった。結果、会社に戻ることにはなったが気持ちの整理がつかないまま数か月で去ることにした。それなりの退職条件を勝ち得たものの無毛な戦いだったことに変わりはない。

社長はその後、時を待たずして特別背任の容疑で逮捕され、会社はライバルの他社に吸収されることになった。訴訟のさ中に図らずも会社の外から見ていた同僚や上司がたどるそれからの運命をおもんばかると、自分は戦いに勝ったのか断定はできそうもない。