渡し船乗り場
玄武洞駅の東側から出て坂道を下り、県道を渡った先にあります船







案内
渡し船を利用するには事前予約が必要ですスマホ






対岸
玄武洞ミュージアムが見えます目

お土産物を買ったり飲食もできますルンルン

新しい施設でしたキラキラ







船着場と思われますひらめき電球







玄武洞公園無料休憩所

玄武洞へは鉄道を利用する場合、山陰本線の玄武洞駅を下車し、渡し船を利用する方法と豊岡駅城崎温泉駅 からタクシーを利用する方法があります車



時間と体力に余裕のある方は徒歩で行くのも1つの方法ですランニング(約1時間程度)


またレンタサイクル(注意玄武洞駅にはありません)を利用している人もいました自転車


駅から直線距離は短いですが、行くのは中々困難な観光名所ですねてへぺろ


観光客の多くは車が来ていました車


玄武洞ミュージアム横には数十台駐車できる無料の駐車場があります駐車場空









玄武洞公園案内図
メインの玄武洞を中央にして南側に青龍洞、北側に白虎洞南北朱雀洞があります。各洞へは階段の上り下りが必須です笑い泣き







フォトスポット
玄武岩の玄さんと写真が撮れますカメラ


自分が玄武岩になって、玄さんに採掘される構図です酔っ払い(笑)







現地説明文
玄武洞と人々の暮らし

玄武洞はかつては採石場でした。

規則正しい目のある玄武岩は、石材に適しており、家の石垣や庭石、漬物石などに使用されていました。

Genbudo Cave used to be a quarry. 
Basalt with regular crevices of columnar joints is suitable for stone materials such as garden rocks, stone walls, stone weights placed on pickels for household use.

1925年5月23日に発生した 「北但馬地震 (北但大震災)」によって、大規模な岩石の崩落が起きました。

The North Tajima Earthquake which occurred on May 23, 1925,caused the Genbudo Cave to collapse.

この地震で壊滅的な被害を受けた城崎温泉街の復興時に、地震で崩れた大量の玄武岩が、円山川 (まるやまがわ) を舟で運ばれ、街を流れる大谿(おおたに) 川の護岸として使われました。

Kinosaki Onsen was seriously damaged by the North Tajima Earthquake.

In the reconstruction process, large amount of the basalt rocks that fell down from Genbudo Cave were carried here in the downstream of the Maruyamagawa River by ship, to reinforce the banks of the Otanigawa River, which flows through the town.








玄武洞


実際に近くで見ると、イメージしていたものより壮大でしたびっくり


写真と実物では迫力が違います!!


城崎温泉などの旅行の際には必ず観光コースに入れてほしい観光名所ですウインク







玄武洞と玄武岩、名前の由来
【現地説明文】
文化4年(1807年)、この地を訪れた江戸時代後期の儒学者・柴野栗山は、この洞の岩石が作り出す節理の形や断面の模様などから、中国の妖獣「玄武」を連想し、「玄武洞」と命名しました。

さらに明治17年 (1884年)、 東京帝国大学の小藤文次郎博士は、玄武洞にちなんで、同様の岩石の名称を玄武岩と名付けました。

なお、玄武洞以外の青龍洞・白虎洞・朱雀洞などの名称は、大正時代以後に観光用として名付けられたものです。

Genbudo Cave means the cave where a tortoise and a snake are united and become a God: Genbu. 
The cross section is a hexagon, and it looks like the back of a tortoise.
 The long columnar pillars with horizon tal splits in linear patterns look like the belly of a snake.




玄武洞の溶岩をつくった火山
今から300万年前頃から1万年前頃、但馬地域一帯では盛んに火山の噴火が起こっていました。

そのなかで、玄武洞付近を構成しているのは、約160万年前に流れた玄武岩の溶岩であるとされています。

その火山の形は残っていませんが、公園の周囲や円山川をはさんだ対岸の地域にも同じ玄武岩が分布しており、広い範囲を覆った火山活動があったことがわかります。

The lava of basalt flew out over a wide range about 1.6 million years ago. It is confirmed because the basalt was found around the park and the opposite shore across from Maruyamagawa River.








青龍洞



現地説明文
岩石に見られる規則正しい割れ目を節理と言い、それが柱のようになったものが柱状節理です。

玄武洞公園の洞窟の中でも特に美しい柱状節理を見せてくれるのが青龍洞です。

 このような柱状節理は、熱い溶岩が固まり、冷えていく過程で岩石が収縮してできたもので、溶岩の表面から中心部に向かって伸びていきます。

Systematic splits appear in the rock. When they look like pillars, they are called "columnar joints". When the surface splits evenly, it becomes a hexagon. The split goes inside and it becomes columns.




青龍洞では、明治44年に玄武洞の採石が禁止されてから、大正14年までの期間に採石されていました。

正面の採石跡がくぼんで池のようになり、橋を渡して行き来していました。

Seiryudo Cave had begun to be quarried from1911, when quarrying was prohibited at Genbudo Cave, to 1925. A bridge was built to cross a pond left in the quarry site.

幕末頃、採石する人や石材を運搬するために、玄武洞対岸の二見 (ふたみ) 地区から舟が出されていました。

 採石が禁止されてからは、観光用の玄武洞渡し舟が運行されていました。

At the end of the Edo period (1603-1868), boats had been operated to transport quarry workers and rocks from Futami district, located at the opposite side of the river. After the prohibition of quarrying at Genbudo Cave, the sightseeing boats had been operated.

採石された玄武岩は、石垣などによく使われており、 豊岡市内では各地で見ることができます。

円山川の氾濫に備えた水害対策として、玄武岩を積み重ねて嵩上げした家もあります。

The basalt rocks from Genbudo Cave are used to build stone walls, which still remain in many places in Toyooka City. There are houses that are raised by stacked basalt as a countermeasure for the floods from the Maruyamagawa River.




滞在時間は30分程でしたニコニコ


玄武洞以外にも玄武洞ミュージアムなどの施設があり、合わせて1時間ぐらいあれば、一通り見てまわれると思います音符


夏休みの時期に行ったので人は多い印象でしたが、屋外なのでストレス無く観光できました太陽









(202008)