たましのたまたまりんのブログ

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多摩に住むいち住民のつぶやきです。

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実はいま、特定のプロジェクトに割り当たっていないことから時間がある。
プロジェクトにアサインされると激務になるが、そうでもないときは急に定時帰りが可能となる。

7月末までとても忙しかったので、当初は非常に助かった。折角の機会なので、これまでできなかった勉強をしてみたり、積み残していた課題などを片付ける。福利厚生のマッサージも利用した。

でも、それも2週間続くと、だらけた気分になってしまう。同時に、この時間をどっかに貯金できないかと思う。

「部署」という組織単位で仕事をしていた時代は、可能だったかも知れない。つまり、いつでも誰かの作業負荷は大きくなっているわけで、その人の仕事を手伝っておくと、いつか自分の負荷が上がったときに助けてもらえる。それは、約束をしたわけではないけれど、特に日本人の場合は「恩」という負債を返すという風土がある(ルース・ベネディクト「菊と刀」より)ので、それが可能だ。

しかし、プロジェクト単位でしか動かなくなってしまった会社においては、それは不可能だ。まして、顧客情報の取り扱いに神経質になっている現在、他のプロジェクトの人が「助けて欲しい」と思っていても、情報を出すことができないため、ヘルプを頼めないのである。

もちろん、他にもプロジェクトの採算とか経費の問題とかがあるし、過少な見積りをして本来は失敗するはずなのに、大量のヘルプがきたお陰で成功してしまったら、本当にやるべき反省が行われなかったりするので、簡単にヘルプ要員を突っ込むわけにはいかない。

それでも、月あたりの残業が0か100かしかないのは非効率に思う。例えば、部署としてヘルプ調整枠などを用意しておいて、プロジェクト規模の何%はヘルプ利用OKとし、ヘルプ分は遊休資産を利用した扱いにして採算上は経費増加はゼロとし、しかし反省をするときは、計画に対する実績にヘルプ分を入れる、などの工夫はできないだろうか。

同年代である30代の同僚が、心身ともに疲れて倒れつつある。そういった現状の改善のひとつとして、プロジェクト横断的な作業負荷軽減ができないかと思う。
ここ数年、ビジネス書を買っていない。昔はよく本屋に行ってビジネス書を買い漁っていたものだが、読み続けていると、だんだんどの本も似たようなことが書いてある気がしてきて、とうとう嫌になってしまった。

いま、「似たようなことが書いてある気がして嫌だ」と書いたが、よくよく考えると、本当に似ているから嫌かというとそうではない気がする。なんだか「こうすればうまくいく」「ああすればできる」といわれ続け、「お前の幸せはこうなることだ」と押し付けられている気がして嫌なのかもしれない。

そういえば、テレビの成功伝も余り見なくなった。成功する=人生の充実=幸せと思っていたときはよく見ていたが、果たして最終的に幸せにたどり着くのか、本当にそんな遠そうなところに幸せがあるのか。そんな気がしてならない。

つい最近、昔の職場の同期と、Facebookを通じて会うことができた。彼はいま、年収は下がったものの、定時に帰宅し、妻と小さい息子と一緒に夜を過ごす日々だとか。人としての角が取れ、性格も人との接しかたも穏やかになった気がする。実際、いまの生活は楽しいと言っていた。その生活は、よくあるビジネス書の「こうすればあなたもできる」とは一線を画するものだ。

こうして書いているうちにだんだん思えてきたことがある。それは、多くのビジネス書は日本の原点=高度経済成長orバブル期への回帰をうたっているものが多いのではないかということだ。終身雇用は崩壊し、右肩上がりの給与制度はなくなり、10年どころか3年後の未来の予測すら不可能な時代になったにもかかわらず。相変わらず欧米諸国に比べて残業は多く、むしろ当時より増え、余暇は少なく、幸せ満足度は低く、自殺者は世界トップである。それなのに、10年~20年前と本の内容が余り変わらないのはどういうことだろうかと思う。

とはいえ、この類の本を求めている人も世の中にはいる。若いときの私がそうだったように。結論から言えば、ただ私が読まなければいいだけである。ただ言いたかったのは、本がより大衆迎合した結果、陳腐化し、世の中に問うものが少なくなったことを、ただ悲しく思っている、ということである。