こんばんは!
自閉症スペクトラムの息子を持つ、スポーツジムインストラクターの高橋志乃です。
今回は、息子が産まれてから障害がわかるまでのことを書きたいと思います。
障害がわかったのは2歳半くらいの時ですね。
産まれてから2歳くらいまでは、定型発達の子どもとほとんど変わりない成長過程でした。
成長の過程
産まれてすぐは、もちろん生活リズムが整うまでは夜何度も起こされましたが、1ヶ月経つ頃には夜よく寝てくれるようになりました。
母乳もミルクも良く飲むし、離乳食も順調でした。
お座りは4,5ヶ月くらい。
ずり這いの期間と、ハイハイの期間がまあまあ長く、1歳半までは立てませんでしたが、立つようになってから歩くまではかなり早くて、いつ歩くようになったか覚えていないほどです。
ただ、このずり這いやハイハイの期間が長いのは私は良いことだと思っていて、ずり這いは腕や腹筋をかなり使いますし、ハイハイを上手に行うことも、上半身と下半身をうまく連動させて行うトレーニングになります。
転んで手をついても支えられる、そもそもハイハイの期間がほぼないと、咄嗟に手をつくことすらできない子もいると聞きます。
立つことができるようになった1歳半くらいから、発語も出てきていました。
「マンマ」、「パパ」を初めに言っていた気がします。
よく発達障害の子どもを持つ親御さんの本やブログを読むと、発語は5歳くらいまでほぼなかったということが多いですが、うちの息子は発語は普通にあったのですよね。
そのまま2歳になり、発語もかなり増えていましたし、1歳くらいから保育園にもちょいちょい預けるようになっていましたが、それなりに馴染んでいたように思います。
唯一の心配は、1歳半検診で指差しができなかったこと。
でも、その後家では少し練習するとできるようにはなってましたね。
障害の兆候が出てきた
しかし、2歳あたりでイヤイヤ期が出てきて、癇癪を起こすことが増えてきました。
また、人見知りはそこまで酷くなかったですが、場所見知りはけっこうあって、実家に行っても暫くは泣いていることが多かったのです。
でもイヤイヤ期だし、そういうものなんだろうと思っていました。
もう一つ、やたらとコーヒーの缶が好きで、空き缶を持ち歩いたり、集めたりしていました。
預けていた保育園の先生から言われたこと
ある日、預けていた保育園の先生から「息子くん、そろそろお友達に興味を示すころなのですが、全く興味を示さないのと、缶を集めたり、癇癪が酷かったり、発達に何か問題があるかもしれません。似たような感じの子がいるんですよね。」
と言われたのです。
癇癪は酷かったし、空き缶を集めるのとか変わってるなとは思いましたが、まさか発達に問題があるとは予想していなかったですよね。
それから、私がトレーナーとしてサポートしていたお客様に保育士の方がいらっしゃったので、相談したら、一度発達センターに相談してみたらどうですか?
と。
しかし、発達センターは家から近くてよかったのですが、相談の予約は1ヶ月くらい先にならないと取れない状況でしたね。
まだマシなほうなのだと思いますが、当時は早く相談して何もないことを証明してほかったというのが本音ですね。
発達センターで
ようやく予約の日が来て、発達検査をして状況を説明しましたが、そこで何か言われることはなく、結果をお待ちください。
とまた待たされることになりました。
恐らくその後1ヶ月後くらいに結果が来て、今の息子の発達状況は、当時2歳半くらいでしたが、1歳程度の発達具合とのことでした。
なるほど。
遅れているんだなとは理解しました。
でも、その時に障害があるとかあるかもとかということは言われませんでした。
なので、まだ障害があるんだとは認められませんでしたね。
とりあえず、月一回発達センターに通ってみましょうという話になり、通うことになりました。
それから、私が障害を認めるまでに半年かかりましたかね。
皆さんそうかと思いますが、自分の子どもがまさか障害があるなんて、なかなか考えることはできないし、認めるまで時間もかかるものですよね。
ただ、私は息子に障害があってもあまり悲観的には考えていません。
それは夫も一緒ですね。
大変であることは確かだし、不安はもちろんあります。
でも、自分のせいで障害が出てしまったのかとか考えることはありますが、息子がかわいそう。とか、人生終わりみたいな絶望的な気分になったことはないですね。
なぜだかはよくわからないのですが。。
恐らく、息子がわりと楽しく過ごせてることが多いと感じることができてるからですかね。
また、新しい保育園のことや療育のこと、今までの歴史を書いていこうと思います。
ペットボトルも大好きで、今もよく持ち歩いてます(^^)
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私のジムは浦安のChampacaです。


