4月14日は亡父の祥月命日、

故郷の安中市へ墓参に

行って参りました

 

故郷の山々と浅間山

 

行く先々で桜満開

 

実家に姉妹が集まり

長姉手作りの「ぼたもち」や

持ち寄りの料理など

 

お喋りに花が咲き

楽しいひと時を過ごしてきました

 

桜桜桜桜桜

 

 

さて、旅の最終章です

 

甲斐国一宮浅間神社を後にし

甲州街道を

八王子方面へ進むこと20分

 

武田氏第17代当主、

甲斐武田家第20代当主、

武田勝頼公生涯の地

天童山景徳院

 

深い木立の山上に

景徳院は静かに佇んでました

 

 

山門

 

甲州市指定天然記念物の

サクラと山門

 

仁王様

 

 

山門の脇まで車は入れました

 

 

 

御本堂

天童山 景徳院

武田勝頼父子

および家臣の慰霊のため、

徳川家康公の命により

創建された

 

 

武田家の家紋

『武田菱』ですね

 

鐘楼

 

 

 

この地は

桜の名所でもあります

 

甲府盆地より高台のため

開花始めでした

 

左の建物は甲将殿(御霊屋)

 

勝頼公らが

自刃したという場所に建てられ
 

 勝頼・信勝・北条夫人

坐像と位牌、

 

三人と共に討死した家臣の

位牌が納められている

 

 

信勝・勝頼・北条夫人

 

この傍にお三方の

「生涯石(生害石)」が

ありましたが、

生々しくて胸が詰まりました

掲載は控えます

 

敵の侵入を家来たちが

食い止めてくれている間に、

勝頼は、嫡子信勝に

家督を継がせる儀式を行いました

 

父 信玄の代から伝わる

「御旗」(日の丸)を立て、

嫡子の信勝に

鎧の「楯無」を着せて

元服の儀を執り行った

 

「御旗」と「楯無」は、

武田氏の祖・新羅三郎義光

伝来の重宝

 

信勝、北条夫人が

「生涯石(生害石)」上で自害

そして最後に勝頼も自害しました

 

 

 

嫡子武田信勝公

武田家第18代当主

 

父は武田勝頼、

母は織田信長の養女である

龍勝院

甲斐武田家の

最後の当主であると

考えられている

 

没頭地蔵尊

自害した武田勝頼

嫡子の信勝・継室の北条夫人が

埋葬された場所と

伝えられている

 

武田勝頼:享年37
武田信勝:享年16
北条夫人:享年19

 

勝頼と信勝の首は、

織田信長によって

京都の一条通の辻で

梟首(晒し首)にされている

 

ー私見ー

戦国時代の惨さは

その時代の流れなのでしょうが

信長の惨さは狂気にも感じられ

私は好きではありません

 

 

武田勝頼公は沢山の役者さんが

演じられていますが

私は『真田丸』での

平岳大(ひらたけひろ)さんが

一押しです

 

哀愁を帯びつつ

優しく誇り高く奥深く

品格も併せて演じていました

 

 

この後は

甲州街道 笹子トンネルを進み

大月ICから

中央道に入りました

 

談合坂SAで食事

福龍飯店は本格中華ですね

具だくさんで美味しかったです

 

 

全行程 約545Km

ハート印が立ち寄ったところです

 

富士山を一回りしましたが

あいにくの空模様で残念でした

秋にでもリベンジしたいです

 

これにて今回の健忘録は

終了です