私はお金を使うのが苦手である。

昔から買い物をしないことが

お金を使わないことが

美徳だと信じてきたからか、

今でも理由をつけて何も買わないのだ。

しかしビジネスを進めるにあたり

買い物の喜びを知るべきだということで、

私は自分にノルマを課した。

ある条件を満たすと数万円の

"ムダ遣い予算"

が計上され、

それを使い切らなければならない、

というルールを決めたのである。

記念すべき1回目の予算は

思いついた欲しいものを買って行ったら

綺麗に使い切ることができた。

そして2回目になって

私は困惑した。

欲しいものが全く

思いつかなかったのである。

このムダ遣い予算、

・生活になくても困らないもの

・自分のためだけのもの

・有形のもの

この3つを満たしたものでないと

予算を使えないというルールも作ってある。

生活に絶対必要なものや

家族で使うもの、

受けたいサービスなら

いくらでも思いつくのに

いやはや

厄介なルールを作ったものだ。

そうやって頭を抱えているうちに

加入している謎サービス「ミチコム」の

グルコンの日がやってきた。

相変わらず財布の紐が硬すぎる私に

主催のクミコさんは優しく言った。

「たまちゃん、

かわいいだけで買っていいのよ」

金言だ、と思った。

そして

私にはない感覚だ、とも思った。

実用性と機能性、そして使用頻度。

そこが価格と見合うかを計算してから

デザインを加味する私には

なかなかできない発想だったのだ。

「かわいいだけで買っていい。」

3回言って胸に刻んだ。

飽き足らずに手帳に書いた。

なるべく大きな文字で、書いた。

それでもムダ遣い予算の使い道は

特に思い浮かばなかった。

仕方がないので

予算の話はいったん棚上げして、

会いたい人に会いに行こうと

久しぶりに大学院時代の友人に連絡し、

1日を一緒に過ごす約束を取り付けた。

「日帰りで有馬温泉でも行く?」

と誘うと、

「顔崩れるからそれは泊まりで行こう。

顔面の治安維持。」

という返事が来たため、

1日都会でショッピングをすることになった。

彼女は私の友人の中でも

ワードセンスに定評のある女である。

「顔面」と「治安維持」の単語を

組み合わせるセンスは私にない。

子どもの世話を全て夫にぶん投げ

私は友人と都会へ繰り出した。

ムダ遣い予算を握り締め

「かわいいだけで買っていい」

の言葉を脳内で何度も反すうしながら

お店をぐるぐる見て回った。

ランドセルを眺め、

ダイニングテーブルを撫でまわし、

帽子を片っ端からかぶり、

アロマの染み込んだ紙をいくつももらった。

ケーキの形の一輪挿しを眺めたあたりで

疲労困憊した私たちは

カフェでプリンを食べた。

心理士をやっている彼女の愚痴を聞き、

私も仕事の苦労話を、

そしてその20倍以上もの育児の泣き言を

ぴーぴーまくし立て、

ゲラゲラ笑った。

彼女は早々にプリンを食べ終えると、

「で、欲しいものは決まった?」

と聞いてきた。

「2つある。でも踏ん切りがつかない。」

私は正直に答えた。

彼女はふふふと笑って

「お金を使えば踏ん切りもつくよ。

マスカラでも買いに行こう。」

と席を立った。

到着したコスメ売り場で

私たちは人波をかき分けながら

マスカラを買い、

試供品を手の甲に塗りたくった。

「たまちゃんはイエベ春!

って感じやから、

この辺の色がいいんじゃないかな。」

心理士のはずの彼女は

大量にあり過ぎて混乱し

私が選ぶのを放棄したアイシャドウを

ホイホイと選んで手渡してくれた。

「カラー診断でも習ったの?」

驚いて聞く私に

「YouTubeと道ゆく人の観察で

なんとなく分かるようになったよね。」

と答える彼女の肩を掴んで

私は真剣にささやいた。

「今は何でも売れる時代。

今からスモールビジネス始めようぜ。」

そんなこんなで買うと決めていた

化粧品にお金を使った私は

ついに決断した。

「あのとき見たカバンを買います。」

もう一度売り場で確認したカバンは

やはり私の頭の中にあるカバンの概念とは

少々かけ離れた代物だった。

私の定義では、

カバンとはモノを持ち運ぶための道具である。

であるからして、

丈夫で

必要なものが十分に入り

小物を分けられるポケットがあり

持ちやすい必要がある。

のに、

そのカバンときたら

そのどれも満たしていないのだ。

透明のビニール生地でできたそのカバンには

ビニール生地と裏地の間に

本物のドライフラワーが挟まれていた。

ご丁寧に取手の管の中にも

ドライフラワーが内包されていて、

なんとも春らしい一品ではあるのだが、

挟まれたドライフラワーを

潰さないように使うとすると

雑には扱えない。

重い物を入れようものなら

重みで花が潰れてしまう。

小物を分けられるポケットなぞ

便利なものはついていないし、

腕と胴体で花を潰してしまいそうで

うかうか肩にもかけられない。

私が考えるカバンの要素を

何ひとつ満たしていないのだ。

でも、かわいい。

とんでもなく、かわいい。

 

 

「かわいいだけで買っていい」

何度も呪文を呟き

鏡で何度もカバンを持つ自分の姿を確認して

何度も彼女に尋ねた。

「ねえ、変じゃない?」

「大丈夫。」

「これでホテルのアフタヌーンティー行ける?」

「大丈夫」

「公園は?」

「大丈夫。

花が潰れないように気をつけて。」

公園に持っていくのはやめておこう。

そう決めて、

買うことにした。

かわいいだけで、買った。

そこからは早かった。

そのまま別の店に行き

想定の4倍もの値が付いていたブルゾンを

これまたかわいいだけで買った。

とはいえ私のことだから

すぐに決めることはできなかった。

ブルゾン片手に

鏡と睨めっこしている私の元に

彼女はブラウスやらパンツやらスカートやら

あれこれ持ってきては合わせ、

「ほらこれも合う、

こっちもたまちゃんにお似合い、

よそ行きでもカジュアルでも

これ一枚あればこんな着回しも」

と、

店員さんが吹き出すぐらいの

見事な店員っぷりを見せていた。

「ねぇ、こんな高い値段の服買って

破産したらどうしよう」

と真剣にビビる私に

彼女は真剣な眼差しで答えた。

「この値段で破産する人はいません。」

こうして私は服とカバンを手に入れ、

彼女と夕食を共にし

遅くまでやっているカフェで

たらふくスイーツを食べて別れた。

家に着くなり

私は壁にピンを刺し、

ドライフラワーがよく見えるように

そっとカバンをかけた。

その日から私は毎日

カバンを見てはニッコリし、

ブルゾンを羽織ってはニヤニヤし、

出かけるときは両方を身につけて

1人足取り軽く外に出るようになった。

「かわいいだけで買っていい」

私は知らなかった。

私の「かわいい」が

こんなに私を喜ばせるなんて

全然知らなかったのだ。

そんなことをご報告すると

クミコさんからメッセージが来た。

「次は、

すぐに決められるようになるといいね」

もともと私は

欲しい物を買うかどうか決められず

5年間考え続けた実績を持つ女である。

たった1日で

買うと決められるようになったことが

もはや奇跡なのだ。

これ以上どう決断を早巻けばいいのか、

残念ながら見当もつかない。

しかし、

しかしだ。

まずはここまで来れた自分を褒め、

そして次なる高みに

「欲しい物を即決で買う」

という高みに、

ムダ遣い予算を握りしめながら

登っていく所存である。

 

 

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