継体天皇の存在は日本人にとって 大きな節目です。 | たまきちのブログ

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2006年元旦 ピンクとブルーの巴にくるくる輝くお日様を見ました。

木村 正治

17時間前  · 

継体天皇の存在は日本人にとって

大きな節目です。

神武天皇から第25代武烈天皇までは

ガド族による王で、とても戦闘的な存在でした。

2016年に京都府亀岡市にある出雲大神宮を

訪れた時に、社務所の方と会話をしていく中で

第10代崇神天皇の時にこの亀岡の地まで

崇神天皇軍が攻めてきたと説明を受けました。

初代の神武天皇も東征してきましたし、天皇に

よる軍事行動がよく見られます。

そして第25代の武烈天皇の時は悪政だったと

され、世の人々は大いに苦しんだ事が伝わって

います。

ガド族は戦闘的な一族だったと言えます。

しかし武烈天皇には世継ぎが無く、ここで一時的な

混乱が生じました。

紆余曲折を経て越(こし)のくにからオオド王に

白羽の矢が立ち、後の継体天皇になります。

越のくには越前、越中、越後にまたがるくにで、

豊かな土地と財力のあるくにでした。

今でもあの辺りは独特の風土が広がり、何かを

感じます。

さて、その継体天皇ですが越のくにから大和へ

移動するのに30年も要しています。

当時の都だった大和にすぐには入らず、各地に宮

を設けては移動しつつ、30年もかけて大和に

入っています。

よほど大和には入りにくい政治的背景があった

に違いありません。

それはそれまでのガド族による天皇からレビ族

が玉座を交代するためには大和に存在したガド族

政権の抵抗が根強かったからだと推察します。

継体天皇は今の大阪府枚方市の樟葉宮や今の

京都府京田辺市の筒木宮などへ宮を移しながら

ようやくにして大和に入りました。

ちなみに宮がある場所が首都、都になりますから

例えば筒木宮が存在した今の同志社大学京田辺

キャンパス周辺は継体天皇が座していて当然ながら

周辺には付き人や宮廷人、臣下などがいたでしょう

からあの辺りは一時的な都や首都だった可能性が

あります。

同志社大学卒業生の私としては継体天皇にゆかり

を感じ、何か縁のようなものを感じます。

その継体天皇からはレビ族の天皇となり、武烈天皇

までの戦闘的な天皇から祭祀・祈りの存在と

なりました。

以降、日本の天皇の本質はレビであり祭祀・祈り

となりました。

レビ族は日本に何段階にも分かれて波状的に

亡命してきて日本人の中枢をなしていった古代

イスラエル12支族とはまた別の一族です。

日本は深いです。

この12支族が陸路から海路から、何段階にも

分かれて淡路島や房総半島、或いは丹後半島や

能登半島、或いは青森や四国、九州などに定住

し広い意味での12支族による同族のくにぐに

を構成していきました。

更にはそれ以前から日本列島に定住していた

縄文人も独自のコミュニティーを形成していました。

それ故に縄文人、12支族、レビ族がそれぞれに

違う言語とコミュニティーを有していたことから

聖徳太子と後に呼ばれた蘇我◯◯は「和を以て尊し」

とせよ、としたのでしょう。

和する事と同時に和して同ぜず、という事も

日本を無くさないために特にこれからは必要だと

私は思います。

レビ族が他の12支族と異なるのはレビ族にしか

無い祈りの血筋だと言うことです。

古代イスラエル12支族は世界史では行方不明に

なった、忽然と消えたとされていますが日本に

亡命してきたのです。

しかもただ亡命してきただけではなく、ある大切な

ものを大切に匿いながら東へ東へと亡命してきた

のです。

それが聖櫃、いわゆるアークと言われるもので

モーセの石版、アロンの杖、マナの壺の3種の

神器が納められたものです。

この聖櫃はどこに消えたか分からないとされて

きましたが日本にあります。

以前は四国の剣山に秘されていたようですが、

今は別の場所に大切に匿われています。

その聖櫃に触れる事ができるのがレビ族だけ

とされています。

他の一族や民族が聖櫃に触れると、これまでも

人知を超えた現象が生じ、レビ族以外で聖櫃に

触れた者は絶命したと記録にもあります。

先日訪れた能登半島の宝達山にはモーセの墓

がありますしGHQは1945年以後しばらくの

期間、宝達山山頂を日本人立ち入り禁止にして

連日連夜に渡り発掘調査を行っています。

彼らは日本の本当の姿や歴史を知っています。

しかしながら灯台もと暗しで大多数の日本人には

日本の様々な事実が知らされていません。

しかしこれから様々な日本の真の姿が表に

出てくるでしょう。

隠れてきたもの、意味があって隠されてきたもの

が次々と表に出てくる時代です。

出雲の神々と伊勢の神々とが争ってきたことも

事実です。

いにしへの世にやって来た天津神と従来から

日本にいた国津神との関係もあります。

封印されてきた縄文の神々もあります。

瀬織津姫もその封印されてきた女神ですね。

九州や東北、北海道などまだまだ表には出ない

歴史の蓄積があります。

その諸々の事を日本人としての歴史財産として

紐解いていきたいです。

これからの人生は魂が燃えるような生き方を

したいですから、日本人として様々な事を知り、

先ずは知る喜びを味わいたいものです。