まるぞうさんの備忘録より

 

今話題の「ゴジラ-1.0」を観てきました。
ストーリーや映画の出来については、もうネットで

いろいろ評価がありますが、私が興味があったのは、

「映画は観客の深層の心にどういう風景を伝えたか」

でした。


ゴジラ-1.0 に対する画像結果  
 

社会現象となるような映画には必ず
・大勢の人が感じている心象風景の共通点がある。
・その社会が引き寄せている近未来の心象風景の

 共通点がある。
というのが私の仮説です。

その映画の深層の風景に、私達の心が引き寄せている

近未来の心象風景を感じること。

私の個人的な映画鑑賞です。

過去の日本人。妄想未来の日本人に向けて。
この映画で個人的に感じたことは「鎮魂の物語」

ということでした。
太平洋戦争で被害にあった本当に大勢の人たちへの

改めての「鎮魂」でした。
それは妄想未来になくなる大勢の日本人たちへの

「鎮魂」でありました。

このゴジラの映画は、太平洋戦争直後。

焼け野原になった国土。

特に東京圏。

そこにゴジラが現れて生き残っていた街を壊滅させる。

というお話でした。
それは妄想未来の東京圏の風景と重なっておりました。

漠然と日本に近い未来、大きな災害災難が発生すること。
特に東京圏は壊滅する。そういう風景。
ゴジラという「(大自然の)怒りの象徴」。
伊豆小笠原諸島の海底から、東京圏に向かってまっすぐ

上陸すること。
相模湾。
海底。
原爆。
崩壊する銀座。
庶民たち。

再びゼロの生活。

妄想未来はいくつにも枝分かれしています。
その中で実体化し始めている妄想未来の風景の

断片キーワード。

鎮魂の気持ち=静かに寄り添う気持ち。
この世は、過去も現在も未来も同時に存在しています。
過去太平洋戦争で大きな犠牲を受けた数多くの日本人と
妄想近未来の災害災難で大きな犠牲を受ける数多くの

日本人。
同時に存在しています。

改めて過去の日本人たちに私達が鎮魂の想いを送ることは、
同時に、妄想未来の私達日本人に鎮魂の想いを送ることに

なります。

だからこの映画を大勢の日本人が観ることは、この時期

良いことだなと思いました。
やはり日本は幸運なのだなと思いました。
表面のストーリーはそれぞれ皆様解釈することでしょう。
大切なのはその深層に伝わる心象風景。
過去の大勢の日本人たちに対する、そして妄想未来の

私達日本人たち対する鎮魂の想い。

代理昇華で未来は変わっていく。
妄想未来は妄想のまま(現実化されることなく)

昇華されていく。

ありがとうございます。

 

 

コメント欄より

「ゴジラ英霊説」というのがあります。

太平洋に散った英霊の魂がゴジラになって、戦争を忘れ

享楽にふける現代の日本人を糺すためにやってくるのだ、

とする説です。

この説を取り入れ制作されたのが2001年公開、金子修介

監督作品『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』

です。

金子監督と言えば「平成ガメラ三部作」の監督でもあり、

その手腕たるや見事なものでしたが、ただ1点、この

「ゴジラ英霊説」が今一つうまく機能していなかった

ように思えます。

日本の繁栄を願い散っていった英霊方が、なぜ日本を

襲うのかが今一つピンとこなかった。

今回の作品では、この英霊説を神木くん演じる敷島

という青年個人の視点から示したのが上手かったです。

敷島にとってゴジラは自分を罰しにきた英霊なんです。

だから敷島はその「英霊」との決着をつけるために、

ああいう行動をとることになるわけです。
今回の作品には、重巡洋艦「高雄」とか四式戦車とか、

ミリタリー好きにはたまらない逸品が登場します。

特に「震電」。

戦争は絶対ダメだけどミリタリーは好き。

こういう矛盾した感覚は男の子の中にはあるもので、

こうしたマニアックな兵器類を見た時に思わず涙ぐんで

しまうのはロマンへの憧憬だけではなく、これら兵器と

ともに散っていった英霊方への「鎮魂」の想いも働いて

いるのだと思いたい。

 

 

 

 

 

 

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