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日本人の幸福度ランキングはコロナを機に上昇へ

経営コンサルタント  日沖 健 

 

2020年4月7日に第1回の緊急事態宣言が発出されて、

3年が経ちました。

この3年間、日本人はさまざまな困難に直面しましたが、

幸福だったでしょうか。

それとも不幸だったでしょうか。

 

過去の日本の順位は、2020年に62位まで下がりました。

そこから回復し、2010年代前半に近い水準に戻っています。

 

過去最低だった2020年(2017~2019年)の62位から

15位ランクアップしており、指数の値も上がっています。

コロナ前と比べて日本人の幸福感は上がっていることは、

コロナが日本人の幸福感を低下させなかったことに

間違いなさそうです。

 

コロナ以降、日本人の幸福感が増しているのは、なぜか。

調査をしたSDSNは、国や年による幸福度の違いは、

「1人当たりGDP」「社会的支援」「健康寿命」

「人生の選択の自由度」「寛容さ」「腐敗の少なさ」

という6つの変数によって4分の3以上を説明できる

としています。

 

が、諸外国はいざ知らず、近年の日本にはこの説明は

当てはまりません。

日本では、「1人当たりGDP」は長く不変で、すでに

コロナ前を上回っている諸外国に劣後しています。

外出制限で結婚・就職・転居などが制約され、

「人生の選択の自由度」はむしろ低下したと疑われます。

他の4つの変数も、大幅に改善した気配はありません。

 

コロナ禍の中「当たり前のことをできているのが幸せ」

という意見がありました。

 

これは、学問的には、経済学の祖、アダム・スミスが

唱えた幸福論です。

スミスによると、慎ましく平穏無事な生活を送っている

のが幸福な状態です。

そして、多くの日本人がスミスの幸福論に近い考え方を

しているという印象を受けました。

ただし、スミスの幸福論は、世界的には異質です。

SDSNが指摘した6つの変数を見てもわかる通り、人間は

より大きな収入や名誉、より充実した活動を求め、それが

充足されると幸福になる、という幸福論が断然優勢です。

つまり、日本人の幸福観は、世界的には異質と言えそうです。

 

個々人によって相違はあるでしょうが、一般的に日本人が

スミスの提示した控えめな幸福観を持っているとすれば、

日本人の幸福度ランキングが低いことやコロナという災禍で

逆にランキングが上がったことを、次のように説明できます。

 

日本人は、平穏無事に生活できていれば幸福なので、普段は

改まって「幸福とは何なのか?」と深く考えたり、

「もっと幸せになりたい!」と強く願ったりしません。

良くも悪くも幸福に無頓着です。

今回のヒアリングでも、

「幸せについて考えたことはありませんでした」という声が

多数ありました。

幸福について確固たる考えを持っていないので、SDSNの

調査のように「生活に満足しているか」と尋ねられると、

「さあ、どうなんですかねぇ」と曖昧な回答をしてしまいます。

これが豊かな先進国で暮らす日本人の幸福度ランキングが

低い理由です。

 

2012~2018年まで、日本は「1人当たりGDP」がほぼ横ばい、

物価やその他の生活環境もほぼ変わりませんでした。

その間、諸外国は順調に経済成長し、社会が発展したので、

日本は順位をどんどん下げていきました。

2019年から「日本は貧乏になった」「老後破産が続出する」

と盛んに喧伝されるようになりました。

そして、2020年からコロナ禍に見舞われました。

 

平穏な生活を脅かされると、幸福に無頓着だった日本人も

さすがに幸福について考えるようになります。

ただ、貧乏になっても、コロナ禍で不自由を強いられても、

多くの日本人は平穏無事な生活を送っています。

逆に困難な状況でも平穏無事な生活を維持できていることが

ありがたく感じられ、幸福感が増しているのです。

 

ブラジルでIT企業を経営している友人に、わたしの分析を

紹介したところ、思い切り鼻で笑われました。

「2021年にコロナ禍で史上初めてカーニバルが中止になって、

猛烈にショックだったよ。家族が死んだのと同じくらい不幸だった。

君の話だと、日本人はとにかく息を吸っていれば幸せってことか?

馬鹿馬鹿しくて話にならん」

 

友人に嘲笑されても、筆者はまったく腹が立ちませんでした。

「別にカーニバルなんかなくても、日本人は十分に幸せだから……」

とふと思ったわたしは非常に日本的な日本人なのかもしれません。

 

 

 


 

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