5月29日(水曜)(IE最終から121日目)


義姉が「パンでも食べに行かない?」と誘いに来てくれた。

けど、何もやる気になれず、動く気にもなれず、何もしたくない。

せっかくの誘いを断った。


今日は何もしたくない。

お腹のシコリが気になって何も手につかないのとは違うやる気の無さ。

お腹のシコリは、前の時みたいに成長してる感じがしない。

大きさが変わってない気がする。

私の勘違いだったのかも?しれない。

少しだけ安心感が生まれた。


引っかかってる事がある。

ソレをブログに書こうか、書いて良いものか迷いがある。

私は自分の思う事を開けっぴろげに今まで何でも書いてきた。

亡くなった麻央ちゃんも女医さんも、ブログに全然弱音吐いてなくて、「何で私みたいな感情が生まれないんだろ?」と以前妹に聞いたことがある。

その時に妹が、「お姉ちゃんみたいに思った事何でも書きゃいいってもんでもないし、本音と建前の部分があるでしょ。強い人はそれが使い分けられるんだよ。女優になれるんだよ。」

と言ってた。


だから今思ってるこの負の感情は書いちゃいけない気もする。

書いても、やっぱり残したくないと思ったら、後で消すかもしれない。


母に狭心症が見つかって検査・手術入院した。

「入院前に血液サラサラの薬を飲み始めたら胸の痛みが無くなった。」と母は言ってた。

カテーテル検査を行い、ステントを入れてもらって手術は上手くいったそうだ。

「手術前・後の画像を見比べたけど、とても良くなってるのが分かる。」と父が言っていた。

妹が仕事を休んで2泊3日で帰り、病院で一緒に先生の話しを聞いたり、家の事をしてくれた。

妹には感謝しかないし、こんな時に何も出来ない私を不甲斐無く思い、本当に申し訳なく思う。


母にはまだまだ元気で居てもらいたい。

だから、今回の手術で良くなって本当に良かったと思っている。


そう思ってるのに、なんかスッキリしない私が居る。

何でスッキリしないのか、モヤモヤしてるのか…。


80近い母は、悪い部分が見つかって手術して良くなって、以前と同じ生活が送れる。

自分の親の事なのに、単純に、良かったね‥で済まない。

羨ましい…と思ってしまう。

良かったと同時に、同じくらい羨ましいの気持ちが出てきてしまう。


私ひねくれてるよね。

心が狭いよね。

自己中すぎだよね。

…そう。分かってる。


けど、羨ましい。


高齢でも治れる。

前と同じ生活が送れる。

それが羨ましい。

この負の感情がどうにも消えない。


母からラインがきた。

『カテーテル検査を行いステントを入れて頂き今日昼には帰って来ました。

◯◯も今帰りました。

田植えも終わったのでいつでも出かけられます。

必要だったらいつでも言って下さい。』


こう私を心配してるラインを貰ったのに、電話もしてない。

『大丈夫。』

と返しただけ。


私は悲劇のヒロインにでもなってるつもり?と自分に問いただす。

イヤ、そんなつもりは微塵も無い。


でも、なんだろ?このモヤモヤ。

私には治るって選択肢がないから。

日曜の時みたいに「再発したかも」に常に怯えて、お腹を触って確認して、他に転移してるかを心配して、心から安心して過ごせる日がない。

どんなに楽しい夢を見ても、目を覚ました途端に、現実は何も変わってない…と落胆する。

死ぬまで、もう、ずーっとこう。


延命を告げられた日から、我が家の日常は変わってしまった。

私だけじゃない、旦那も子供達もそう。

一瞬忘れてる時間はあるかもだけど、常に頭のどこかに『ママがいなくなっちゃうんじゃないか』って思いがずっと張り付いてると思う。


私も、治りたい!治りたい!治りたい!

安心して過ごしたい!


だからそれが可能な人が、いくら母でも羨ましい。


私は器の小さい、ホント自己中な人間だ。


標準治療が功を奏して、放射線治療にまでこぎつけて、傍からみたら、私を羨ましいと思う人もいるかもしれない。


生かせてもらえた今、残りの人生、儲けもんなんだ。

もう終わってたかもしれないんだから。


だから、負の感情になんかに惑わされないで、儲けもんなこの命を無駄な時間に使ったら勿体ない、負の感情でモヤモヤさせてたら勿体ないと思ってるのも確か。


…なのに、治る人を身内でさえも羨ましく思う。


何なんだろな。


自分でも分かんないや。


モヤモヤを薄めるために夕方歩きに出た。

こんなドス黒い気持ちを持ち続けてる中にも、キレイと思える感情も出てくる。

不思議。


待宵草(マツヨイクサ)?

月見草?

グーグル検索すると両方出てくる🤔