◎1月1日(月曜)(IE4クール19日目)


2024年の幕開け。

コタツで寝てしまい、夜中2時半に目覚めてから寝つけなくなり、してはいけないブログあさりをしてしまった。

案の定、悲しい記事や重苦しい記事を目にして気持ちがザワザワしてきた。

先の事が不安になった…いつ再発するんだろう?今後使う抗がん剤はどこまで効くんだろう?私はいつまでこの状態の良い私で居られる?いつまで生きられるんだろう?次のお正月はどうなってるんだろう?

不安や恐怖は実在しないもの、自分で作り出してるもの。 

分からない事に気を揉んで疲弊するほど意味のない事はない、その時間がもったいない。

だから私にとってマイナスのブログは読まない!…そう決めてたのに…私はバカだ。


どうにか寝ついて、8時頃起きた。

ブログあさりした暗い気持ちを引きずっていた。

先に起きてた旦那が明るく「明けましておめでとう。」と私に言った。

私は「おめでとうなんて言える気分じゃないし、私にはおめでとうじゃない。私の気持ちなんて分からないよね?自分の事じゃないから他人事なんだよ、そうでしょ?夫婦って言っても所詮他人だもんね。」と新年早々、旦那に向かってひどい言葉を浴びせてしまった。 

旦那は「ごめん。」と言った。

全然ごめんじゃないよ、悪いのは私だよ。

その後謝るタイミングを逃して、まだ謝ってない。

旦那は私のブログを読んでいる。

だからこの場で謝らせて下さい…

『あの時に私も笑顔で「明けましておめでとう」と返せなくてごめんなさい。他人事なんて言ってごめんなさい。

今年は私にとっては勝負の年だと思ってる。これからどう転ぶか分からない。

不安にかられてまた暴言吐くかもしれない。でもそれは本心じゃないから。

一緒に戦って下さい。お願いします。』


次男が従兄弟達と遊びたがってるし、お年玉をもらいたいしで、今日から2泊で実家に帰省した。

妹や弟家族は年末から先に帰省していた。

みんな健康で元気で、私だけこんなで、そんな中に居ても「いいじゃん、みんなは先の心配しなくてすんで。」とやっかむ気持ちばかりが湧いてきそうで、正直帰省に気乗りしなかった。

でも、実家に着いてみんなの顔見たら、そんな気持ちは吹っ飛んだ。

病気前と変わらない気持ちで居られた。


到着してすぐにお年玉を配った。

じーちゃん、ばーちゃんからの予想外の金額に大喜びしてる子供達。

次男は従兄弟とハイテンションで楽しそうに過ごしてる。

長男は勉強してるけど、時々休憩中に年下の従兄弟達と小さい頃と変わらずに一緒に楽しそうに遊んでた。

私は義妹と妹と、3月の卒業旅行の計画を立てた。

夕方に母と30分歩いた。


帰省して良かった。

年明けたばかりだけど、みんなで集まるのはやっぱり楽しいなぁ、来年のお正月もこうやって帰省したいなぁ、出来たらいいなぁと何回も思っていた。


夕方16時過ぎに緊急地震速報が鳴った。

実家も揺れはそこまで強くはなかったけど、揺れてる時間は長かった。

能登地方で大きな地震が起きた。

「津波、逃げろ!」の大きな文字がTVにずっと出ている。

NHKアナウンサーが、緊迫感のある声で連呼し続ける避難の呼びかけ。

アナウンサーの声のトーンや緊迫感に義妹の子供は怖がっていた。

倒壊した建物や火事の映像が映し出されている。

新年早々、誰もがこんな事が起こるなんて思ってなかった。

帰省中の人達や観光客だって大勢いるだろう。

楽しく過ごしていたであろう家族団らん中に起きた出来事に涙が出てくる、胸が痛い。

一刻も早い救助が進んで欲しい。

被災者の皆さんが1日でも早く以前と同じ笑顔で過ごせる日が訪れる事を願う。