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癌と分かってから、729日目。
この造影剤入れる注射針、けっこう太いのに、CT検査室の看護師さんは、私の細い血管にいつも一発で針が入る。
凄腕の人達だといつも感心させられる。
急遽お願いした診察を待ってる間、どうか私の見間違いでありますように…って、ずっと祈ってた。
呼び出し機が鳴った。
開口一番「急な診察すみません。お腹にシコリありますよね?さっき撮ったCTが最後に一通りサーッと流れた時にシコリを見つけたから。もう気になって帰れなかったから。」と私は言った。
主治医はビックリしてる様子だった。
そして「んー、怪しい箇所がありますね。」とすぐに返答した。
あー、やっぱり…もう絶望だ。
小さいシコリが3つ出来てた。
ずっとお腹の腫瘍は1つだったのに、3つも出来てる。
しかも放射線当てた箇所。
👱「再発したって事は放射線効かなかったってこと?」
🧑⚕️「IEだけじゃ2ヶ月位で再発してたと思うので、4ヶ月近くもったという事は効果はゼロじゃなかったと思う。癌細胞をゼロに抑えこめなかったということですかね。」
喉は主治医が見る限り、再発してないっぽいけど、そのうち出てくるだろうと。
他の箇所の転移はパッと見たところ無さそうだけど、読影のレポートがあがってくるまでは、はっきり分からない。
・放射線は当てれない。(当てられたとしてもやっつける程の線量は当てれないからやっても意味がない。やっつける線量当てたら皮膚が壊死して大変なことになる。)
・手術はどこまで取るかの判断もあるし、今見えてる範囲を切ったところで、寿命に影響しないと思う。手術はおそらく無い。
・抗がん剤になると思う。
・自分の家族だからといって何か特別な事はしない。私は医者なので、家族も患者さんも同じ治療をする。
・PETを撮るか、また細胞診するか、どの抗がん剤を使うかなど、チームで相談するので火曜まで時間を下さい。
が主治医の主な話し。
私はどれくらい生きられるのか聞いた。
あと1年生きられる?
1年無い可能性もある?
🧑⚕️「それは分からないが今の段階。でも可能性としてはゼロではない。今後どのくらいのスピードになるか、何処に出来るかで変わってくる。」
🧑⚕️「今後の抗がん剤は消す目的ではなく、腫瘍の大きさを留める目的。」
🧑⚕️「肉腫全般で効果は20%。それが横紋筋肉腫に限定するとなるともう少し低くなる。」
泣きながら訴えた。
👱「次男はまだ5年生。私のお腹にまだ顔くっつけて寝てる。そんな子を残して死ねない。だから先生、お願いします。どんな事をしてでも私をまだ生かして。先生しかいない。」
🧑⚕️「お気持ちは非常に良く分かります。考える時間を下さい。」
実際シコリに気付いたのは、6月26日。
病院に電話したのは7月5日。
その時点で様子見るじゃなければ、今頃はもう治療が始まってた。
この出遅れた1ヶ月でどう変わったのか?
先生は、そこはさほどの違いは無いって言ってたけど、これからの抗がん剤は、腫瘍が消える事は無く大きさを留める為なら、小さいうちに始めるに越した事はない。
仮にそうだったとしても、今更そう言ったところで時間が戻せる訳でもなく、もうどうにもならないんだから、仮に治療に違いがあったとしても、「はい、そうです。」とは先生言うはずがない。
診察終わった後、泣きながら、旦那、妹、義妹に電話した。
母には旦那から電話かけてもらった。
義父、義姉には旦那から伝えてもらおう。
「やることは決まってるんだから。治療がなくなった訳じゃないでしょ。やってみなきゃ分からないじゃない。」とみんな同じ事を言っていた。
妹には「子供達の前で、もう死ぬんだとか絶対言っちゃダメだよ!」と言われた。
なんで私何だろ。
なんでウチなんだろ。
なんでウチの子供達がこんな目に合わないといけないんだろ。
1番最初の頃に戻ってしまった。
駅までボーッとしながら歩いた。
オフィス街だから、会社帰りの人達が大勢歩いている。
周りの人達全員が幸せそうに見える。
いつまでこうやって歩けるんだろ。
いつまで生きてられるんだろ。
せっかく良い感じになってきたカーブス、もう休会じゃなくて退会だよな。
顔もせっかくスッキリしてきて、髪の毛も伸びて帽子被らず外に出れるようになったのに、また振り出しか。
眉毛睫毛ないと、化粧も大変なんだよなぁ。
しかも、かなりブスになるし。
28日の美容室も30日のお肌のお手入れ会もキャンセルしなきゃ。
抗がん剤始まれば、また熱出て入院なんて事もあるから、お盆は帰省出来ないかな。
1日の緩和外来の予約、来週に早めてもらって、薬を貰ってこなきゃ。
ココは癌に特化した病院だから、メンタル系の薬の採用薬が少ないと言ってたから、トラゾドンがあるか分からないし、もうリフレックスは飲みたくない。地元の緩和でもらわなきゃ。
26日の熱海、どうしよう。
先生に治療の開始時期もあるから、熱海の事を話したら、
「今年が最後かもとかそうゆう意味合いではなくて、抗がん剤始まれば動けなくなるだろうから、行きたい所や旅行は、行ける時に行くのが1番です。ここで数日治療が遅れたとしても変わらないので、是非行って下さい。」
と言ってくれた。
どうせ今日からキャンセル料は発生するから、23日まで考えよう。
7月最初の時点で再発が確定して、治療がもう始まってたとしたら、マホロバマインズ三浦や熱海には行けてなかったよな。
今年が最後の可能性大なこれからの旅行と、早めの治療開始、どっちが良かったんだろう?
何が正解だったんだろう?
今日が終業式で夏休みに突入する。
この夏休みは次男と2人で何処かに出かけたり、プールに行こうと考えてた。
楽しい夏休みにしてあげたかった。
全部出来なくなった。
ホントに1ヶ月先の予測もつかない状態なんだな、私。
今、帰りの電車でこれを書いてる。
「家にこのまま帰っても、どんな顔して子供達に会ったらいいか分からない。」
そう旦那に伝えたら、仕事を切り上げて、駅で待っててくれている。
本当に優しい人だ。
想像してたし、何となく分かってた事だからなのか、まだ外だからなのか、そこまで泣いてない。
そんなに涙が出てこない。
悲しすぎるからか、ショックすぎるせいだからか分からない。
もう、残された時間はあとどれくらいなのか…が怖いだけ。
ホントにそればかり考える。
トランプ氏は頭めがけて銃撃されたのに、耳をかすめただけで生きてる。
なんて強運の持ち主なんだ。
プーチンは、戦争おこしてるのに生きてる。
どんなに願ったって、お参りしたって、神様にお願いしたって意味がない。
生き残れる人は生きてるし、死ぬ人は死ぬ。
寿命や運命で、生まれた時にもう決まってること。
私は早く死ぬ組に入ってしまった。
こんな事をひたすら考えてたって何も変わらない。
残りの時間、ずーっとこうやって塞ぎ込んで過ごすのか、やれる事をやって自分を生き抜くのか、どっちがいいかなんて分かってる。
でも後者をやれる自信がない。
メンタルが蟻サイズ並みの私だから、恐怖と不安でダメになってく自分しか考えられない。
絶望しか、今は見えない。