いつしか「荷物」になる親、そして介護の時代
介護保険が始まる少し前。
わしは介護支援専門員の一期生として講習を受けた。
あの頃はまだ、
「家で看るのが当たり前」
そんな時代だった。
嫁が介護する。
娘が仕事を辞める。
家族が全部抱える。
だから介護保険が始まる時、言われた。
「家族は介護しない」
最初は冷たい言葉にも聞こえた。
でも現場を見ていた人間には分かった。
あれは、“家族を壊さないための言葉”だった。
介護で共倒れになる人。
仕事を辞める人。
心を病む人。
人生そのものを失っていく家族。
そういう現実を、現場はたくさん見てきた。
だから、介護は社会で支える。
制度を使う。
プロに頼る。
家族だけで抱え込まない。
それが新しい介護の形だった。
わしは、その考え方が好きだった。
全部を背負って憎しみになるより。
少し距離を取りながらでも、親子で居られる方がいい。
顔を見に行く。
話をする。
手を握る。
それだけでも、人は安心するから。
でも今。
また家族が介護している。
人手不足。
施設不足。
訪問介護の減少。
老老介護。
核家族化。
長寿化。
制度はある。
でも、使いたくても十分に使えない現実が増えた。
そして最後は、また家族へ戻ってくる。
「ご家族でお願いします」
その言葉が、静かに家族へ返される。
その中で、少しずつ起きてしまう事がある。
親が、“大切な存在”ではなく、“負担”として語られ始める事。
病院。
薬。
通院。
介護。
お金。
生活に余裕が無いほど、人は追い詰められる。
そしていつしか、親が「荷物」のように扱われ始める。
でも本当は、親も分かっている。
迷惑をかけている事。
弱っていく自分。
世話になっている現実。
だから高齢者が、
「早く死んだ方がいい」
そう口にしてしまう事もある。
けれど、人は。
役に立つから価値がある訳じゃない。
弱くなったから不要になる訳でもない。
ただ今の社会には、余裕が無い。
介護する側も苦しい。
親も苦しい。
現場も苦しい。
だから必要なのは、誰かを責める事じゃない。
家族だけでもなく。
制度だけでもなく。
誰か一人だけでもなく。
少しずつ支え合う事。
介護とは、人の暮らしそのものだから。
綺麗事だけでは続かない。
愛情だけでも続かない。
それでも最後まで、人として向き合える社会であってほしい。
そう思う。