11月23日「大田原マラソン」に出場してきました。今シーズンのフルはこの大会1本に絞り、城内坂ウルトラ以降唯一の目標としてきましたが、結果から書けば完走なりませんでした。またもや33km付近の関門に引っ掛かってしまったのでした。とほ~
いろいろありまして、那須塩原ハーフマラソン以降1kmも走らずの大会出場になってしまったのもありますが(なんて体たらく)、前日に重い開き戸に足は挟まれ負傷するという、なんだかなーなことまであり、メンタル的にガタガタの出場。おまけに当日は雨。大田原はやはり過酷でした。小手先でどーこーなる大会ではないのです。猛省致します。
それはさておき、応援に来てくれていた妻が怒っております。完走もできない大会に2年連続も出るとは金の無駄である、何事かというわけです。それはそうです。他の大会を選択すれば、5時間や6時間で走っても完走証やらメダルがもらえるのに、大田原マラソンをチョイスすると4時間以内=サブ4で走り切らなければ完走にならないのだから。身の丈にあった大会に出場しろよというのは御尤も。
妻は来年大田原には出てはダメだと言いだしました。確かに、大田原に関係なく、もうマラソン大会に出るという意味でランを続けるのは潮時かもしれません。山に集中してランは諦めるという考え方もあるでしょう。山のトレーニングとして走り続ければいいのであって、大会に出ることはない。ふむふむ、確かにその通り。うん、来年はおれ、大田原に出ないことにしよう!
とわならない。なるわけない。
わたしは妻に言いました。来年は大田原マラソン引退をかけた1年にするぞと。完走できなければ大田原マラソンから引退する。それを賭けて出場とする。今のまま山のトレーニング意識で走っていても、走力は研ぎ澄まされていかないから、来年は「引退と完走をかけて大田原マラソンに挑む1年」を掲げ、走力を磨くことに集中してみよう。まだ345日ある。プランを練れば、余裕でクリアできるに違いない。ははぁ~ん
わけで、完走もしてないのに、自信満々で会場を後にするのであった。マラソンは嘘をつかない。だから好きだ。来年の前半戦はヒマラヤ遠征、後半戦は大田原マラソン「制限時間4時間、自己への挑戦状」にがっぷり四つで挑むことにしよう。となれば、企画を立てよう。本番より計画や企画を立てている自分が好きなのよねー。(おわり)