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栃木県宇都宮市で攀じるパパクライマー

人の親になっても頂きを目指し、家族と共に攀じり続けるパパクライマーの記録

 

 遅ればながら報告します。先月20日に妻が第一子(長女)を出産致しました。へその緒が32センチしかないという珍しいケースで、出てくるのに61時間もかかりました。それでも結果的に立ち会った身としては、安産だったなあと思える出産でした。流石わたしの妻、強かった。子も3215グラムと立派なものです。今は妻も無事に退院し、子を連れて里帰りしております。なによりです。

 出産に立ち会い、我が子を抱いて思うことは、妻にただただ感謝ということしかありません。人の親になりたいなんて全く考えたこともなく、結婚だってまったく考えてなかったわたしが、こうして人の親に成り得たのは、ひとえに妻に出会えたからです。妻に感謝せずにはいられません。人生で一回きりの初産というビックイベントを成功に導いた妻は格好良いです。とめどない「おめでとう」と「ありがとう」を贈ります。

 

 

 さて、子どもは7歳までは神の子です。小さい時分には思いもよらない色々なことが起こります。だからと言って、それを防ごうとしたってきりがない。わたしだって、小学校に入る前から死んでもおかしくないようなことばかりやっていたし、その頃の傷は身体に刻まれて文字通り残っている。それを親や大人が止めようものなら、今のわたしはいなかっただろう。

 だから、あの当時のわたしもまた「神の子」の領域にいたとしか思えない。わたしは、我が子には7歳まで生きてみろと言いたい。話はそれからだと。

 人生の残り時間なんて決まっていません。勝手に残りを推測して、目の前の一瞬一瞬を軽んじ、正当に評価せず、日々呼吸をしているだけなら、それは生きていないのと同じです。我が子を前にしても、誰とだって後どれだけ一緒にいられるかは分からないと、強く感じます。当たり前のことだけれど、相手が先にいくのか、自分が先にいくのか、それすら分からないのです。それは明日かもしれません。

 唯一の真実は、わたしたちも、最初は先人が満たした大洋から発した蒸気であり雨でしかなかったということ。それが流れとなり河となったくらいで、いい気になってはいけません。こうして支流を設けたけれど、この支流もいずれは目指す方角を定めて見えなくなる一人格でしかない。子に教えるなんておこがましいおごりをもったなら、残りの人生はつまらないものとなるでしょう。子から教わり、自分が成長してこその授かりもの。わたしたちは皆いずれ大洋に帰するのだから、一緒にいる時間や場所は関係ないと割り切り、大事なのは一緒に併走した際の心の有り様だと覚悟を決めて、勇気をもって一歩を踏み出していかなければならない。迷ったときには、子の瞳を覗き込むという原点に立ち戻ればいい。ある日、子の瞳が曇っていたなら、それは自分が遭難していると自覚する時だ。今立っている場所こそが立ち戻らなければならない分岐点、記憶に刻み込んでおこう。

 

 

 兎にも角にも人の親になったわたし。いつまで生きられるか分からないので、自分のための備忘録でしかなかったこのブログを、子への遺言とまではいかないけれど、将来子が読んでも意味があるような記録にするべくリニューアルします。読者さまにはご迷惑をおかけしますが、いままでのフォーマットや約束事は無視します。読みづらくなるかもしれませんが、書く内容はさして変わらないと思いますので、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。(おわり)