前回ブログから気がついたらまた半年近くご無沙汰してしまっていました
なんとなれば、また突然、民間資格の音楽療法とサイキックの通信講座の受講を始めたり
ほんの気まぐれに始めた語学アプリ(デュオリンゴ)に思いの外、熱中してしまい、毎週のリーグのトップ争いに全集中で挑んだりとか
なんか色々ある内に思いっきり時が過ぎていてボーゼンとする今日この頃
この記事自体は2023年4月末に編集途中ったのですが、埒があかないので、一旦ここでアップしちゃいます
そんなわけで、前回の続き↓
いろいろ珍道中過ぎた宮川神社から
バスで亀岡駅に戻り、
そこからまたJR、バスを乗り継いで、
出雲大神宮へ向かう予定で、
とりあえず亀岡駅に戻ってきたのが
11:00
次の電車が
11:28発
で、
約30分ほどの中空き時間があったので、簡単な軽食でも食べようかと駅付近をウロウロ
ほで、巨大招き猫に引っ張られて見つけたのが、
讃岐うどんのお店でした
↓
よく見ると後ろ身が省略されとる
↑
何故かお店の前にピアノが置いてあって、
11時から演奏可能となっていたので、
てっきり私は、
お店のオープンも午前11時と勘違いしてしまい、
うどんならすぐ食べられそうだし、
11時28発の電車に間に合うようにランチを済ませられれば、
その後の魂(たま)旅が効率よく周れる、
と算段し、
すっかりその気になって、
店先メニューの看板を眺めながら、
何を頼もうかもすでに考えていたのに、
なかなかお店が開かず、、、
仕込み中の店主さんが、ちょろっと表に出てきたときに、
「何時からですか?」
とお尋ねしたら、
「11:30からです」
と言われ
次の電車に間に合わないやんけ
と、
仕方なく食べる気満々だった讃岐うどんを諦めました
待っている間、おそらくいつも弾きに来ているのだろうと思われる女性がピアノをちょっと触って音を奏でていました
私も30年ぶりにピアノを触ろうかと思ったけど、もう弾き方を全く忘れてしまったので控えました
その時点でiPhone電池がすでに30%を切っており
節電のため、できるだけインターネット検索は控えたかったけど、
出雲大神宮に到着するのが12:08頃なので、
到着してすぐにランチが食べられるように、周辺の食事処をチェックしておこう、
と思ってググッたところ、
出雲庵
という、クチコミ評価の高い、
古民家を改装した、風情のありそうなお蕎麦屋さんがあったので、
よし!ランチはここにしよう
と決めてから、
出雲大神宮に向かったのでした
はたして、電車もバスもそれなりに時間通りに運行し、
Googleマップで検索した通り、12:08に出雲大神宮前に到着
(さっきの教訓を活かし、目的地手前で停車してくれるバスを選んだ人)
んーーーーー
見事な御神木
出雲大神宮とはどういう神社さんかというと、、、
元々は、
背後に聳える御蔭山(みかげやま)を
御神体とする信仰が
一万年くらい前からあった
そうな
ほで、出雲大神宮の御由緒によると、
古代の丹波国(たんばのくに)というのは、出雲と大和の両勢力の接点
であり、
出雲の大国主様の国譲りの時に、
この地に大国主様をお祀りした
とあります。
ほで、その国譲りの際に、
天祖・高産霊尊(たかみむすびのみこと)の命により、
大国主様の后神になったのが、
高産霊尊(たかみむすびのみこと)の娘
である
三穂津姫(みほつひめ)
だそうで、、、
Wikipediaを見ると、
天祖の高産霊尊(たかみむすびのみこと)は、
国譲りの際に、
大国主様
(の和魂=にぎみたま とされる大物主)
に向かって、
「もしお前が国津神を妻とするなら、まだお前は心を許していないのだろう。私の娘の三穂津姫を妻とし、八十万神を率いて永遠に皇孫のために護られよ」
と宣われたのだそうな
また出た、
“和平のための”結婚
↑
よほど これにまつわる面白くない過去世があったらしい、、、
それはともかく
ま、そんな感じで、
地上の超・“人(ひと)たらし”で人気者だった出雲勢力の大国主様は、
天孫族(というかヤマト族?)に国譲りを迫られ、
ヤマト族の軍師的な立場だったと思われる高産霊尊の娘と、半強制的に、ヤマト族への恭順の証として結婚させられたと、、、
で、一応、
出雲族とヤマト族の
和平のご縁結び、
平和の象徴として、
大国主様と三穂津姫(みほつひめ)の二柱をお祀りしたのが、
出雲大神宮の起源なのだそうな
ほで、さらに、
出雲大神宮の御由緒によると、
第10代・崇神(すじん)天皇の時に、
祭神が再興された
のだそうな。
祭神が再興された???
(´・∀・`)
ちょっとよくわからないけど
大国主様の国譲りのときに出雲大神宮のお宮が創建された。
↓
崇神天皇の時代に、もっかい、
この地は古来から出雲大国主(と三穂津姫)を祀る由緒ある神域ぞー
みたいに、
御神威の念押しをした感じ?
・・・ってコト?
ほで、さらに、元明天皇の時代(西暦709年)に、
初めて社殿が造営された
のだそうな
御由緒の最後に、
そもそも、御蔭山(みかげやま)は、
古来より国常立尊(くにのとこたちのみこと)が鎮座されている聖地である
と書いてあります
社伝によると、
『丹波国風土記』の逸文に、
元明天皇の時代に、
大国主様だけを現・出雲大社である杵築大社に移した、
とあるそうで、
つまり、
現・出雲大社さんに祀られている大国主様は、
元々は京都・亀岡(古代丹波国)にあった出雲大神宮から西暦709年に移られている。
よって、
出雲大神宮こそが、
元々の出雲大社(元出雲)である。
というのが、
出雲大神宮の社伝なんだそうで、、、
私的には、
出雲の真名井から翡翠勾玉が出土していて、その勾玉は、おそらく、元明天皇(西暦709年)どころじゃない、もっと、かなり古い時代のものだと思うので、
大国主様は、もっと前から杵築の出雲大社にお鎮まりあそばされていたと思うけど、、、
ただ、第10代崇神天皇は、
私のシンクロ魂ご縁の初代斎宮・豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)の父とされている人物なので、
その時代の丹波国で、やっぱり古代出雲族とヤマト族の衝突があって、
おそらく、その時代でも、大国主様の国譲りと似たような出来事があったんではないかとは思います
でなきゃ、出雲大神宮の境内に、崇神天皇を祀らないよね、、、
↓2008年の撮影
↓2023年の撮影
ミマキイリヒコイニエノミコト、、、第10代崇神(すじん)天皇。
娘であった豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)にとって、彼はどういう存在だったのかな、、、
私がご縁を感じる神社は、大体が、崇神天皇か推古天皇時代に創建されたと伝えられるものが多く、
推古天皇時代、私の魂は、彼女の妹で、斎宮的な立場で、水鏡を通じて彼女と繋がっていたのだそうで、
崇神天皇時代も、おそらく豊鍬入姫かそのごく近いところにいる巫女として生きていたようなので、
時代の過渡期に存在した、この二人の天皇のことは、私の中でとりわけ特別な存在として位置づけられています。
もう一人、何故か、丹波国風土記に伝わる竜宮神話と羽衣神話のどちらにも名前が出てくる雄略天皇も、私にとって、ちょっと特殊な存在ですが、、、
あっ、また脱線しちゃった
ところで、京都駅から宮川神社に向かうJR線の車内で掲示されていた、マナー啓発ポスターで、
「マナーいきものペディア」
なるものが目に入った時、
当然、私の巫女アンテナは、
「マ、ナ、イ」(真名井)
というキーワードでキャッチするわけですが
真名井かあ〜、、、やっぱり呼ばれてるんかなあ〜、、、でも、(天橋立の)真名井神社は去年も行ってるし、さすがに今回の魂(たま)旅に組み込むにはちょっと遠すぎるんだよなあ〜
と、思っていたのですが、
スッカリ忘れていたのだけど、
↓2008年
↓2008年
↓2023年
↓2023年
出雲大神宮に、
真名井が
あった
ちなみに、真名井神社の真名井はコチラです
さすが水神系巫女魂
はからずも(←忘れていたことが草w)
ちゃんと真名井シンクロを回収していたのでした
ここから2023年10月6日に加筆
2008年と2023年の写真や自分の記憶の中の風景を比べたりしながら、
15年という時間と、そもそも建国で伝えられる時期と現代の間を流れた膨大な時と、
私自身がきっと魂の衣(いわゆる肉体)を何度も入れ替えしながら、この土地を何回も訪れているだろうご縁の不思議さ、深さ、
そんなことを感慨深く味わったのでした
実は昨日、前世リーディングの練習瞑想で、ひとつ、出てきたイメージが、
私自身は日本の古代の海人族の戦士か何かで、それなりに部族内でリーダーシップを取っている存在で、妹とお母さんを大事に思ってて、
ほでも、妹が、渡来してきた武力勢力との和平に利用される形で(多分、嫁入り)最終的に犠牲となり、
自分は平定されるのがわかってても妹のために相手勢力に反抗して散った、、、
みたいな前世イメージを取得して、
多分、この前世イメージは、この出雲大神宮が持っている歴史と記憶にも、奇妙にシンクロ共鳴するんだろうなと、
ふと思った次第です