2022年秋ごろの話です。

きっかけはいつも大体同じ。
うちは家事育児を気づいた方、やれる方がやる役割分担で、家や子供の状況を見てそれぞれが考えて動くシステム。
ただ実際は子供がママ甘えになりがちで、実際は妻が子供と炊事の比率が高く、自分が家事をやることが多い。
頭ではこの配分が最良だと理解している。ただ余裕がない、疲れているとき、目の前で戯れているママと子供達を横目に、一人で洗い物や片付けなどしてると、何か無性に虚しくなってくる。自分がそこで堪えきれないと、最終的には口論に。

しかし、これについては前回かなりちゃんと話し合って解決したはずなのに、また同じ内容で喧嘩をしていることに気づいた。
そしてこちらが言えば、妻も返し、お互いに不満はあるんだと気づかされる。
そもそも、自分自身も本当はやり方を変えることは難しいとわかってるのに、じゃあ何で怒っているんだろうと。。

そこで気づいたのは、手伝われることも、気づかれることもなく、当たり前の光景として自分の苦労が流れていくことが耐えがいんだなと思った。
自分が昔、妻に「家族なんだから、ささえ合うのが当たり前で、いちいちありがとうとか言わなくていいよ」と言ったらしいのが、今になって自分にブーメランしてきたんだなと。

今までの自分の価値観と事実を整理すると、
①子供や家族が大切なら、やって当たり前の意識をもって、大変でもギリギリまで自分に責任を課してきたこと。
②料理や子供の世話と比べて家事は作業感が高く、マイナスをゼロにするような日の当たらない仕事であること。
③家族なんだから余計な気を遣わないでいい、という価値観。
が結果として、プラス・マイナスを含めて互いに伝え合うコミュニケーションや感謝し合う配慮を欠き、自らの疑心暗鬼を生んだことに気づかされた。また、これやったよの報告は、単なる感謝しろアピール(だと思って毛嫌いしていた)じゃないことにも気づかされた。
自分で栓をして、抜きようのなくなったガスがいつも爆発しているのだと気づかされた。

最終的には、親なんだから家族や子供のためにやって当たり前、という倫理のハードルを下げて、やってくれることをお互いに感謝することに自分の意識を改めることにした。それに、大変なときは弱音を吐いたりお願いする。
これらを普段からちゃんとやっていれば、きっと爆発することはないのかなと、今回学ばせていただきました。