失敗することや、負けることを、極端に恐れています。
いつからこうなんだろう。。と考えてみる。
わたしは小さな頃から足が早くて、小学生の頃は男の子に勝ったりすることもあった。
足の早さには自信があったから、中学校に入ると迷わず陸上部に入った。
でも、そこには、何をどうやってもかなわないくらいに足の早い同級生がいた。
レベルがちがった。
勝てない。
一番になれない。
どんなに努力しても負ける。
わたしはむいてない。
わたしはだめだ。
かなり早い段階でこんな風に思った。
あきらめた。
練習も本気になれなかった。
走ることを、まったく楽しんでいなかったし、
集中することができなくなった。
どうせ、勝てないし。
わたしは落ちこぼれの部員だったと思う。
練習に身が入らず、
故障を理由に練習量を減らしたり、試合に出なかったりした。
試合に出なければ負けなくてすむ。
故障していれば、エースである彼女と真っ向勝負しなくてすむ。
自分の情けない姿に人にさらさないですむ。
恥ずかしい思いしなくてすむ。
こうやって考えてみるとすごくよくわかる。
わたし自身が、
負ける人のことを死ぬほどバカにしていたということ。
わたしが、他人の失敗をバカにしているから、
わたしが失敗すると、人からバカにされるだろうと感じる。
わたしが、他人が負けている姿を見た時、
「みじめな人だ。かわいそう。」と思うから、
わたしが負ける姿を見せたら、
人から「みじめな人だ。かわいそう。」と思われるだろう、と感じる。
こうやって、人のことを裁いてたから、
自分のこともがんじがらめにして、裁いていたんだろう。
負けることは恥ずかしい。
負けてはいけない。
負ける自分はだめだ。
わたしの価値が減る。
人から見下される。
かっこわるい。
みっともない。
ダサい。
負けること、
失敗することに、
思いっきり❌(バツ)をつけてた。
負ける自分を許せなかったし、
認められなかった。
向き合いたくなかった。
だから、負けそうな勝負は最初からしてこなかった。
逃げた。
そうすれば傷つかなくてよかったから。
恥ずかしい思いしなくてすんだから。
負けても、いいんだよ。
負けても、減らないんだよ。
負けても、だいじょうぶなんだよ。
負けても、あなたはすばらしいんだよ。
あの頃のわたしをぎゅーっとしながら、
言ってあげよう。
あの頃とても、窮屈だったのは、こういうことだったんだなあ。
自分が自分に誰より厳しくしてたんだね。
今は、自分にいちばんやさしく、甘く、許すことを、やってみているところ。
今までとは反対のことだから、こわいこわい。
こわくて、たまらん。
でも、ただ、やってみる。
自分のやりたいことを自分にやらせてあげる。
やりたいかやりたくないかを、その都度ちゃんと立ち止まって確かめる。
これを丁寧に、ひたすらやる。
わたしに優しくすることは、
世界がわたしに優しくなる、
にきっとつながってるんだろう。