北陸旅行記その2(金沢市内編) | 魅惑のガラクタ箱~気まぐれ雑記帳

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「鉄道を利用した旅行記」と「模型工作」について気の向くままに駄文を書いています。

2024年3月5日の日帰り旅行の記録です。

北陸旅行記その1(サンダーバード乗車記)はこちら

新横浜7:00発「のぞみ201号」に乗車して京都で9:11発「サンダーバード9号」に乗り換えて金沢に11:14到着

約4時間かけて金沢に到着です。(東京駅から「かがやき」に乗れば3時間かからないのですが。)

この長いホームに12両編成の特急電車が到着する姿も見納め。

 

金沢駅は東西を通り抜けできる作りになっており、観光目的なら東口(兼六園口)から出ることが多いと思います。

大阪駅のように巨大な大屋根で覆われた駅舎が特徴です。金沢駅の物は大屋根というよりドームといった方が分かりやすいかも。写真右側は中央改札方面。左側には巨大な鼓門があります。

因みに地下には北鉄浅野川線の北鉄金沢駅があり内灘というとこまで運行しています。

 

ちょうどお昼前に到着したので、まずは腹ごしらえ。

駅前の大通りを金沢城公園に向かって15分ほど歩くと近江町市場という建物が目に入ります。

入口付近のお店はかなり混んでいましたが中ほどに行くと空いている店もあります。市場の新鮮な食材を使った料理はどこも魅力的。10種盛の海鮮丼を食べました。お腹が空いていたので写真撮らずに食べちゃいました。(苦笑)

私が食べた海鮮丼は1900円とかなりお得感がありましたが、使っている食材によっては5000円くらいするものもあります。それでも都心より安いのではと思います。

スマホの地図を見ながらなんとか金沢城公園の入口にたどり着きます。後で気が付いたのですがもっと効率の良い行き方があったようです。

 

この地には尾山御坊という城塞のような寺院がありこの建物が前田利家らによって改築され金沢城になったのだとか。

1602年に落雷により本丸天守が焼失してからは二の丸に本拠地を移したそうです。本丸跡地はちょっとした森になっています。

 

明治になると陸軍省の管理下にはいりましたが、明治14年に失火により建物のほとんどが焼失してしまいます。辛うじて焼失を逃れた建物が三十間長屋と鶴丸倉庫でした。写真は明治31年に建てられた第6旅団司令部の建物です。戦後は金沢大学が教育開放センターとして使用していました。

 

三十間長屋とは倉庫と防壁を兼ねた建物で多聞櫓ともいわれています。三十間は長さのことで建立時は北側(写真奥)に櫓があったそうです。1759年に大火で焼失したものの1858年に再建され現在に至ります。昭和32年に重要文化財に指定。昭和44年に保存修理が行われています。建物内は公開していません。

鶴丸倉庫は1848年に竣工した武具土蔵です。陸軍では被服庫として利用していたそうです。こちらも内部は非公開です。

二の丸御殿跡地は復元調査作業中でした。囲いの窓から撮影。

 

五十間長屋、菱櫓、橋爪門続櫓は資料館になっており復元事業についての情報が発信されています。復元調査で発掘された物の展示のほかに現行の各種法律に合わせた設計変更など興味深い展示がありました。

一部は構造が見やすいようにガラス張りになっています。

 

復元された橋爪門と五十間長屋の全景。一部とはいえ百万石のお城の威厳が感じられます。

 

北陸旅行記その3に続く