ハロウィーンの季節になると
思い出す、2人の日本人
戦争花嫁さん。
勿論ゾンビとかっていう訳ではなく
丁度ハロウィーンの時期に初めて出会ったので
この時期になると思い出すのでしょうね。
まず実際に会う事が出来た方のお名前を
愛子さんとしてみましょう。
愛子さんと出会ったのは
ベルリッツというランゲージスクールで
日本語を教えていた時の事。
まだアメリカに来て間もなく
普段のお仕事の片手間に
広いアメリカ社会の色々な方と会いたくて
週末に通っていたんです。
愛子さんはその街で
ベルリッツが創業された頃からの
大先輩 だそう。
本業からは(何だったかは聞きそびれた)
とっくの昔に退職なさっていて
ベルリッツが人出不足になると
愛子さんに連絡が入り
どうしても断り切れず
昔取った杵柄を試しに
いらっしゃるのだとか。
初めて会った時から
とっても良く面倒を見て下さって
大好きな日本人女性 の
一人となりました。
(このパンプキン、1つ 60cm 位あります)
愛子さんは、日本人としての
アイデンティティを
誇りに思っていらっしゃるみたいで
いつもお洋服の上に
羽織かちゃんちゃんこ を
着ていらしたのが印象的。
年齢は不詳。
こちらでは年齢を聞くのは失礼になるので
勿論お歳を聞いた事はありませんが
戦後に進駐軍の関係者だったご主人と結婚し
アメリカにやっていらっしゃったそうです。
ご主人と日本で出会った頃は
アメリカ人はお金持ちというイメージがあり
ワクワクしながらアメリカに着いてみると
夫の実家は田舎町。
最初のうちはアメリカはこんな所と
諦めていたそうです。
それでも ご主人は優しく
毎日愛していると言ってくれたとか。
ご主人と会う迄は
「 綺麗だ 」 なんて公に言ってくれた男性は
いなかったとおっしゃいます。
その内次々とお子さんに授かり
4人の子供の母親 になった愛子さん。
自分の父親や兄達とは違い
子育てや家事を
進んで手伝ってくれる夫の姿に
アメリカにやってきてよかったと
思った日もあったそう。
勤勉なご主人と一緒に
生計を立てていくのも楽しかったそうで
出来るお仕事は選ばず
お裁縫でもお掃除のお仕事でも
何でもなさったんだとか。
そんな生活の中の もう一人の心の支え は
やはり日本人のお友達B子さん。
B子さんのご主人は
日本で出会った頃は
ヒーローの様だったのに
戦後は連日お酒を飲んで
マリワナ?にも手を出していたみたい。
お仕事も中々続かなかった為
Bさんが3つのお仕事をかけもちして
生活を支えていらした。
そんな時に夜のベビーシッターを
買って出ていたのが
親友の愛子さんだったのですね。
3人のお子さんを持ちながら
3つのお仕事を掛け持ちしていたB子さん。
だんだん疲労は体を蝕んでいって
まだ一番上の息子さんが7歳の年に
とうとう亡くなってしまったんだそう。
可愛い盛りのお子さんを
残しての他界は辛かった事でしょうと言うと
愛子さんは
「 彼女の厳しかった状況を想うと
天国に召されるのは
正直ほっとした 」 そうです。
B子さんがあちらに召される前に
「 夫も彼の親族も誰も信用できないから
どうか子供の面倒を見て 」 と
頼まれた愛子さん。
自分の子供達と兄弟の様に育った
B子さんのお子さんを引き取るのは
’当たり前’と思ったそうで
正式に養子縁組 をなさったんだとか
( 愛子さんのご主人も素晴らしい(涙) )。