今日は、6月9日のネットオークションで落札された駒について思ったことを書いてみようと思います。下の画像、「奥野一香作/宗歩好」ですが、なんと851,000円という落札価格になりました。

 

確かに良い駒だと思います。しっかりした太目の字にたっぷり漆が盛られており線質も良い。起筆・収筆の表現など毛筆の感じが良く出ているのもポイントが高い。二代目奥野一香の没年が1939年だそうですから、作られてから70年程度は経っているのでしょうか。漆はかなり擦り減っていますが、綺麗な状態が保たれており、とても大切に扱われてきたのだと分かります。

 

それにも係わらず、やはり「ただなあ・・・」と思ってしまうのは、

①将棋連盟の名人駒が、同じ「宗歩好」であるのと比べて、この駒は玉将や歩兵の意匠が大きく異なる。さらに文字は龍山の模倣であり、他にも”宗歩好”の銘が入ったものが数種類、作られている

②天野宗歩の愛用していた駒が現存している訳ではなく、上記のいずれの”宗歩好”も宗歩とは何の関係も無い

 

落札した方が、上に書いたことを踏まえて落札の判断をしたのかが少し気になりました。

もし、自分が駒を買うとしたらですが、

・自分の好きな(字を書いている)書家に依頼して駒字を書いてもらう

・その文字を字母紙に加工して、自分の好みの木地に貼り付ける

・それを盛上げができる駒師に依頼して盛上駒に作ってもらう

というのが理想です。新品で買ったものが、手入れを経て飴色に変化していくのを楽しむことが何よりという気持ちからです。

 

内容が批判めいたものになってしまい恐縮です。買った人が納得していて、「金額に見合った価値あり」と思っているのならそれが一番であり、私などがとやかく口を出すことではないと承知しています。ここまでの内容は貧乏人の愚痴とでも受け取っていただければ幸いです。

 

それで、ここからが本題なのですが、「これからの駒作りは、龍山や影水から離れても良いのではないか」というのが私の思いです。

龍山が、「美術工芸品」としての将棋駒制作の先駆者であることは間違い無いし、その功績は本当に大きいと思います。しかし、龍山や影水が完全無欠かと言ったらそうではないでしょう。

一部の人が龍山他を神様扱いして、「龍山の字母をベースにしていなければ良い駒(駒字)にはなり得ない」という風潮を作り上げてしまった。私は、そんな風に感じています。

駒作りは自由なものである筈です。自分勝手な”読めない字”を書いてはいけませんが、自分独自の駒字を書いたり、臨書として有名な書家の字を模倣することに問題があるとは思えません。

私も少しだけですが勉強はしていますので、毛筆を習うことがどれだけ大変かは分かっています。それでも、それを乗り越えて「新しい駒」を作ってくれる人が出て来てくれることを願って止みません。