左眼の状態が思わしくなく、もう二カ月近く印刀を持っていません。剥がれた網膜が分解して視界が晴れるのを待っているのですが、かなり時間がかかるようで手術も考えないといけないのかなあという状態です。そうは言っても、ただ待っているのもつまらないので、駒字(字母)作りなどはやっています。

 

そんな状況ですので、作業が再開できるようになるまで、しばらく駒字の良し悪しを見分ける方法などを書いていきたいと思います。

私は、駒を鑑賞するとき何よりもまず駒字がどのように書かれているのかを視ます。チェックするポイントは、「全体の字形」、「木地と字の大きさのバランス」、「字が正しく書かれているか」などいろいろあります。

 

今回は、そのうちの一つ、「筆の動き」について私の考えを書きます。具体例として、「源兵衛清安の龍馬」を例に、私がどのようなことを考えながら駒字を視ているか説明してみたいと思います。

 

(源兵衛清安の龍馬の「龍」)

上の画像は、ネットで拾ってきたものです。AとBは違う作者のもので、その右にあるのは私が考える、「こうあるべき筆の流れ(動き方)」を表したものです(マウスで字を書くのは不得手なので形がおかしいのはお赦しを)。

 

Aを見ると、違和感を覚えるところが二カ所あります。まず①の斜めの線ですが、偏から旁に筆が動き、その後に付けたされたように見えることがひとつ。それと偏から旁に向かう②の部分での線の繋がり方がおかしいですね。

一方、Bの方は素直で自然な筆運びになっています。「龍」は縁起文字として扱われることもあって、できるだけ一筆書きをするのが良いという話がありますが、それに沿った書き方になっています。Aの字を100%誤りとまでは言いませんが、私はとても不自然な書き方なように思います。

 

随分と細かいことを気にすると思われるかも知れませんが、私にとっては大切なところです。「彫って表現するとはいえ、駒字は不自然な筆文字であってはならない」と思うからです。

行書や草書の書き方は難しいもので、特に草書については「どうしてこれで〇と読めるの?」という文字ばかりです。駒銘でお馴染みの「書」の草書など、知らない人が見たら、「出?」とか思われそうです。草書寄りの行書(錦旗や水無瀬などの龍王、龍馬)を見ても、いったいどんな理屈でこの形になったのだろうと思わされます。字典を調べても、同じ文字に何通りも書き方があって、専門家でも間違えることがあると聞きました。

 

それならば逆に、「識別さえできればどんな書き方をしようが構わないだろう」という意見も出てくるかも知れません。「どうせ、将棋の駒限定の字なのだから識別さえできれば良い。うるさいことを言ってるんじゃないよ」と。

 

しかし、「正しく書く努力をする」ことは、やはり必要だと思います。以前、書きましたが、「木村作」が「木材作」に見えてしまうという例もあります。作者は「金」と書いたつもりなのでしょうが、「これでは、”ひとやね”+「至」みたいだけれど…」という例もありました。

 

こういうことは、字典を一冊買って調べれば防げることです。「五體(体)字類」など、ネットで古本を探せば送料込み1,500円くらいで手に入ります。鑑賞もそうですが、特に自分で駒作りをしようとするときは絶対に持っていた方が良いと思います。

何度も書いていますが、「読めない字」というのは、作った本人に加えて使う人に恥ずかしい思いをさせることになる可能性があります。作り手の責任として、最低限のチェックは必要ではないでしょうか。

 

最後に種明かしをすると、画像のAは金井静山作、Bは現在活躍中の駒師のものです。静山は豊島龍山の字母をそのまま使っていますので、龍山も同じということですね。

上に書いたことをどう捉えるかは、読んでくださった方の考え方によります。一つの意見として受け取っていただければ幸いです。