猫とは…
全くもって、自由気ままな生き物である。
これまで、私がいくら声を掛けても反応を示さなかった子が、おばあちゃんの屋敷では別の子のように甘えてきた。
そうかと思えば、今は私を通り過ぎ、貴人の足元に何の躊躇もなく纏わり付いて。
しかし、シンに寄り添ったかと思ったのは、ほんの一瞬の事。次の瞬間には黒猫は駆け出して、薄暗い廊下の奥へと、姿を消した。
「あ、猫ちゃん!どこに行っ…」
最後まで言う事は叶わなかった。
“捨て置け”
シンに止められたのだ。
“気が向けば、そのうちに戻って来よう”
ん?
まさか、この人があの子の飼い主なのだろうか。
「あの猫ちゃん、シンが飼っているのですか?」
それに対して、シンからの返事はもらえず、寄り掛かっていた壁から躰を起こした彼は、黒猫が消えた方とは反対側へと歩き出す。
「時々、見かけていたんです。でも、なかなか懐いてくれなくて…」
彼の後ろを付いて行きながら、今さっき、おばあちゃんの屋敷で会った黒猫の様子を、話して聞かせた。
するとシンは、少し歩調を緩めこう言った。
“今後は何時でも、其方の前に現れよう”
少しは私に懐いてくれたのか。
この広い屋敷の中では機会は少なくとも、おばあちゃんの屋敷に行けば、何時でも会えそう。
そんな事を考えていると、シンが急に立ち止まる。
“書庫だ”
シンが扉を開くと、そこには室内いっぱいに幾つも並ぶ書棚。
インクの匂いと…きっと、かなり古い書物もあるのだろう。少し、埃の混じった、何とも表現のし難い匂い。
でも、私は本の匂いが好きだ。
中に入り、手短な棚から一冊を手に取ってみる。
なるほど。興味深い事が書いてある。
“今後は好きに使うが良い。”
窓際には、読書にうってつけの机と椅子もある。
この日から、私は一日の大半をここで過ごす事となった。
そんなある日、朝から時間が過ぎるのも忘れて読み耽っていると、扉を掻くような微かな音に、私は気が付く。
誰かの訪問を知らせるノックではない。
況してや、シンならば何の前触れもなく入ってくる。
もう一度、耳を澄ませてみると、やはり、何か引っ掻くような、そんな音。
私は立ち上がり、重い扉を開けるが、誰もいない。しかし、ふと足元に目を遣れば、行儀良く前足を揃えて座り、長い尾を揺らしながら、私を見上げる黒い猫。
「あら。猫ちゃんがノックをしていたの?」
感嘆の声を上げる私を気にする様子もなく、するりと、書庫の中に入り込む黒猫。
軽快な足取りのまま机の上に飛び乗ると、手足を伸ばし寛ぎ始めた。
読書の邪魔を、するつもりはないみたい。
私が椅子に腰掛け直すと、黒猫は前足を枕代わりにして瞳を閉じた。
こんな事が、私の日常となっていった。
ある日のこと。
黒猫はまだ来ない。
扉には、人の来訪を知らせるノックの音が響く。
「やあ、ライラ。やはりここにいたね。」
この屋敷の、厨房を仕切っているノアさんだ。エレナさんと私の食事も準備してくれている。
そのノアさんが顔を見せたということは、時刻はお昼間近。
「今日は少し冷えるから、鶏は煮込みにしたよ。どうする?」
お昼は、おばあちゃんの所に行く事が多いから、ノアさんが気にしてくれている。
「少し分けてもらってもいいですか?今日は祖母の所に行って来ようと思います。」
ノアさんとともに厨房に戻りながら、ふと思い付いた事を聞いてみた。
「ここに、黒猫が出入りしていますよね?ノアさんも、よく見掛けますか?」
するとノアさんは、少し驚いた表情でこう言った。
「猫かい?僕は見たことはないなぁ…ここに来てから、町でも見たことはないし…」
この世界では、猫等、小動物の類は見掛けないと言う。
「お腹を空かせているかもしれないから、何時でもミルクや残りものを食べさせてあげられるよう、僕も気に止めておくよ。」
ノアさんの言葉から、ここに住み着いている訳ではない事が判った。
おばあちゃんの屋敷にいてくれたら良いのだけれど。
ノアさんからシチューを分けてもらい、まだ温かい鍋を籠に入れて、おばあちゃんの屋敷へと続く扉のある辺りに立つ。
瞬時に扉は現れ、シンが一緒にいなくても、私一人で往き来が出来るようになっていた。
いや…今日は一人では。
どこから現れたのか、黒猫がちゃっかり私の後に付いて入って来た。
そう言えば…
今までこの子は、どうやって往き来をしていたのだろう。おばあちゃんに聞いてみようか。
おばあちゃんの屋敷へと入れば、 黒猫は真っ直ぐに暖炉の前へ。既に準備されているブランケットの上に転がった。
おばあちゃんが焼いてくれたパンと、ノアさんが用意してくれた料理、それにおばあちゃんとのおしゃべりを楽しめば、お腹も心も満たされる。
この場にパパとママも揃えば…
でもそれは、叶わぬ事。
おばあちゃんの手により屋敷の周りに張られた結界は、両親を含め、此方の世界の人々の目から、この屋敷を隠していた。
陽の当たる暖炉の前で眠る黒猫。耳の後ろを撫でてやると、気持ち良さげに寝返りを打つ。
その姿を見ていたら、私まで眠りに誘われる。黒猫を抱えるように横になれば、案の定、私の瞼は即座に閉じられた。
微睡みながら、私はまた夢を見る。
ここは、書庫。
いつも私が座っている椅子には、シンがいた。
いつか見た状況だ。長い脚を組んで私を見ている。
“其方…”
また呆れているような声色。
今度はいったい、私は何をしたと言うのか。
シンに尋ねても、それ以上は何も言ってくれない。終いには、外方を向いてしまう始末で…
そこで私は、短い午睡から目覚めた。
だけど何だか、しっくりと来ない。今回のこの夢は、予知夢ではないという事?
でも…
目がすっかり醒めて、頭の中がはっきりしてくるうちに、私は自分を取り巻く状況が、先程とは異なっている事に気が付いた。
2022年6月16日管理人ho
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