先日、作家の東野圭吾さんの訃報を目にしました。
一時期、東野圭吾作品にハマった時期があり、『麒麟の翼』(ハードカバー買った)辺りまでのほぼ全作品を読んだと思う(それ以降は疎遠に…。だって電子書籍出ないんだもん)。そのくらいの読者でしかないのだけれども、ワタクシが読んだ範囲での最高傑作だと思うのが『白夜行』です(どうでもいいことですけど個人的にこの書影が大好き。なんでだろ?)。
大阪の廃ビルで質屋の主人が鋭利な刃物で刺され殺害される。何故そんなところにいたのか、そこで何をしていたのか等々、数々の疑問を残しつつも捜査線上には幾人かの容疑者が浮かび上がってくるが、あるものは事故死したり、有力な容疑者であった西本文代もプロパンガスによる中毒死を遂げてしまい、結局、犯人は捕まらないまま―。その後、殺人事件被害者の息子・桐原亮司と容疑者西本文代の娘・雪穂(文代の死後、親戚に引き取られて唐沢雪穂となる)のふたりに焦点を当てた物語が進んでいく。ふたりにとって不都合な出来事が発生するたびに関係当事者に事件が発生し、解消されていく。偶然なのか、それとも…。という感じで1973年(小学5年生)から1992年までのふたりの行動を追っていくというストーリー。
この作品で特に注目したいのは、主人公ふたりの内面描写が一切ないこと。他の登場人物(その時々の語り部的な人物)は彼らの行動に対してどう感じているか等は描写されるのですが、このふたりに関してはそれは一切なく、その行動のみが描写されるところが素晴らしい。そしてもうひとつ。このふたりが接触している、直接会って会話しているとかのシーンが一切ない。実はふたりは繋がっているのではないか、と匂わせる描写はあれど直接的なものが一切ない。これらのおかげでこのふたりは何故このような悪事を働きながら生きていくのだろうか、実際ふたりは協力関係にあるのだろうか、という謎が最後まで続くことになります。そして最後に一番最初の事件の真相(と思われる推理)が、事件とこのふたりを追い続けてきた笹垣元刑事から明かされることでどうしてこのふたりがこのような人生を歩むこととなったのか、とてもやりきれない気持ちにさせられます。実に素晴らしい(大事なことなので…)。
『白夜行』はTVドラマ(2006年)、映画(2011年)と映像化されているのですが、数字的なことはさておき内容的には大失敗だというのがワタクシ個人的な評価となります。
まず一番ダメなのは冒頭の事件の真相をその時点で明かしてしまったこと。TVドラマの製作陣は数字とることが目的になるせいか、頭の悪い視聴者にもわかりやすく、インパクトのある内容で作ろうとする嫌い(驕りといってもいい)があるようにワタクシは感じていて、それがマイナスに作用したと思っています。真相が謎のままストーリーが進むことであのふたりの行動が不気味な恐ろしさを伴う(動機不明なため)ところがキモなのに、先にこれこれこういうことがあったのでそのせいであのふたりは悪事に手を染めることとなったのです、という進行は解りやすくはありますが原作ファンとしては興ざめでした。
つぎに映画版はともかくTVドラマ版ではふたりの接点をこれでもかと描写していたところ。ふたりは本当に共犯関係にあるのかないのかについて最後まで疑惑のまま進行するところにあるのに、TVドラマ版ではふたりでギャアギャア口論までしてやがったのには怒りを覚えましたね(笑)。
三つ目はあのふたりの関係性を、稀代の悪女とその下僕、的な単純な(わかりやすい)構造に落とし込んだこと。違うんですよ。個人的な感想ですが、あのふたりは互いを自分の半身だと思っていたに違いないんですよ。だから互いのピンチには万難を排してでも駆けつけ協力する、そういう関係なんですよ。中学時代パッチワークに凝った雪穂はRKとイニシャルの入った小物入れを作りますが友人からの自分のならYKではないのかという指摘に母親へのプレゼントで母の名はレイコなのでRKでいいのだ、と言ってますが、そのRKのイニシャル入りの小物入れを桐原亮司が持っている描写があったり、最後、雪穂が元々の地元である大阪へ出店するブティックの名前がR&Y(Ryoji and Yukihoの意と思われる)だったり…。極めつけは雪穂本人のこのセリフです。
あたしはね、太陽の下を生きたことなんかないの。あたしの上には太陽なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太陽に代わるものがあったから。太陽ほど明るくはないけれど、あたしには十分だった。あたしはその光によって、夜を昼と思って生きてくることができたの。
部下の「太陽に代わるものって何ですか」という質問に、雪穂は「さあ、何かしらね」とはぐらかしていますが、これは亮司の存在そのものだと個人的には解釈してます。
そして物語ラストではR&Yのオープン初日、警察に追い詰められた亮司は不幸にも命を落とすこととなってしまいます。逃亡の果てに二階から飛び降りた際に切り絵に使用する鋏(それは彼の人生を変えてしまった鋏でもあるが)が胸に刺さってしまったためです。倒れている亮司とその傍の笹垣老。そこに雪穂が近づいてきます。
気配を感じ、笹垣は顔を上げた。すぐそばに雪穂が立っていた。雪のように白い顔をして見下ろしていた。
「この男は……誰ですか」笹垣は彼女の目を見て訊いた。
雪穂の顔は人形のように表情がなかった。その顔のままで彼女は答えた。
「全然知らない人です。アルバイトの採用は店長に任せておりますから」
その台詞が終わらぬうちに、傍らから若い女が現れた。青ざめていた。店長のハマモトです、と彼女は細い声でいった。
(中略)
笹垣はふらふらと刑事たちの輪から離れた。見ると、雪穂がエスカレータを上がっていくところだった。その後ろ姿は白い影に見えた。
彼女は一度も振り返らなかった。
映像化作品ではこのシーンを、雪穂が亮司を切り捨てた(用済み)、という解釈(希代の悪女とその下僕という関係だから。映画ではラストで笑みを浮かべさせてて怒りをおぼえた記憶があります)としているようですが、ワタクシの解釈は違います。幼少の頃から「唐沢雪穂」を演じ続けてきた(中学時代、発言の後に何かを確認するかのように頷く癖があるという描写がある)彼女が、「唐沢雪穂」を演じることができないくらい動揺している描写だと思っています。おそらくともすれば崩れてしまいそうになる表情をおさえるのに必死だったことでしょう。普通、自分の店のオープン初日にこんな事件事故が起きたら店長のハマモトさんのように青ざめ、うろたえるのが普通です。その普通の人間を演じることさえできずに顔色も表情さえも失くさざるをえないほど動揺していたということだと思うのです。R&Yという名の自分たちの名をつけた店を出し、ふたりで歩いてきた白夜を少しでも抜けていけるかもしれないと思った矢先の出来事です。自分の半身ともいえる亮司を喪うこととなった雪穂の喪失感とはどれほどのものだったでしょうか。
一度も振り返らずに現場を去る雪穂は、振り返ってしまえばすべてが崩れてしまうことを知っていたのでしょう。そしてそれは亮司の望むところではない、とも。
(kindle fire capture)