今回


叔母の家に居候するに当たり
私が祖母の形見として持って
いた品を持参してきたのだよ
それは、何か?と言えば
日記とお手製の米袋
1月1日から
脳梗塞で倒れる前日の
6月5日まで
毎日キチンと書いてあり
その後
たぶん翌年の3月だと
思われるけれども
もうよれよれの字で
1週間程書いてありました
麻痺は残ったものの
祖母は物凄くリハビリを
頑張ったそうで
↑
母も叔母も絶賛!
自分達には真似が出来ない
と口を揃えて言うくらい
まぁ最後は寝たきりだった
けれども、、85年の人生を
全うしたのです
私は日記上には登場して
いなかったのだけれども
お年玉の記載のところに
名前があったわ


喘息持ちだった祖母
日記の中でもやっぱり
咳がかなり辛い様子で
せっかく食べた朝食を
もどしてしまうまで
なんて事もあった様子
その辛い様子を間近で
みていた叔母も喘息持ち

そして、私もこの間まで
咳喘息が続いていたしねぇ
やっぱり遺伝かしら


他にも、私や叔母にとって
大切な出来事があった日の
記載もあったりして
祖母、母、叔母、私の歴史
と言うか、懐かしい思い出
に浸ることが出来ました
例えば、苺好きの私
以前も何処の記事に書いた
かも知れないけれど
私の苺好きのルーツは
祖母と叔母が育てた苺が
物凄く美味しかったから
日記の中でも苺の記事も
書かれていたしねぇ

今年の6月には祖母の33回忌
葬い納めだそうで
その時にこの日記も一緒に
処分してもらおうと思って
いるンですけれどもねぇ
お米袋はね
編み物グッツ入れとして
使っているのだよ


パッチワークの先駆け?
たっぷりしているので
なかなか使い易いのだよ
こちらは一生モノよ
これからも引き続き大切に
使っていきたいと思いまふ
私の記憶の中でも
祖母はいつも縫い物を
していたイメージが
残っているのです
祖母も手先が器用で
着物なども仕立てて
いたそうな
こちらは
祖母、母からの嬉しい
遺伝かしら
ぐふふ

ぐふふ
それから
今回のこの居候生活の間に
叔母から聞いた衝撃の事実
があったのですよ
まぁそこまで大袈裟な事でも
ないような気もしますけれど
それは何かと言えばですねっ
祖母の子どもは
6人だと思っていたのだが
我が母の上にもうひとり
そして一番下にもひとり
合計8人だったのである
ゆえに、我が母は
長女ではなく次女との事
この事実を叔母は母と話を
した事がないので
母が知っているか?どうか?
は分からないとの事
私も母には何も言ってないし
聞いてもいませんけれども
そして、以前
お蕎麦の叔父の記事の中でも
記載しましたけれども☆
母とお蕎麦の叔父の下に
弟がひとり、10代半ばで
亡くなっている
名は孝治(こうじ)
そして3人の妹弟がいて
更にその一番下に
もうひとり弟がいたそうで
死因は不明だけど
2、3才で亡くなったとの事
名は孝治(たかはる)
祖父がボソッと
同じ名前なんかつけるもの
じゃないと話したのを
叔母は覚えているそうな
呼び名が違っても漢字は
同じですもんね
そして
祖母の月命日は(こうじ)と
一緒
そして
曽祖母の月命日は
(たかはる)と一緒
これも「運命なのだろうね」
と叔母は話ていたけれども
この年まで知らなかった事実
もーっ、ビックリしたわ

幼い我が子を3人も亡くして
いた祖母の気持ちを考えると
胸が痛みます
そして
昨年叔父2人が亡くなり
今は3姉妹♡
母88歳、叔母76歳、叔母75歳
健康で長生きして欲しいと
願うばかりです。
今回もまた最後までお付き合い
ありがとうございました

