1956年に入ると、従来のスタンダード分野のアーティストが、ロックンロールを取り入れる、という現象が起こります。

その最たるものがこの曲ではないかと思います。

●ロックンロール・ワルツ / ケイ・スター (1956年 3週1位)

ロックンロールとワルツって!(笑)
でも僕はこの曲は好きです。


★ポップスの登場
もう1つ、白人によってロックンロールを取り入れた、初のポップス曲といえる曲が登場しました。

●いちごの片想い / ペイシェンス&プルーデンス (1956年 全米4位)

これは、曲自体は1920年代の古い曲のカバーですが、R&B的な伴奏、十代の女性二人のチャーミングなボーカルなど、このあと数年にもわたるアメリカンポップスの原型を初めて世に示した曲だと思います。


一方、一部にそのような動きがあったとはいえ、1956年もチャートの主流は(圧倒的だったエルヴィスを除いて)まだまだ従来のスタンダードなポップスが占めていました。

比率でいうとスタンダードが8割以上、ロックンロールが2割以下、というところです。

●1956年の他のヒット曲
・パリの可哀想な人々 / レス・バクスター (全米6週1位)
この曲、冬の夜に聴くのが大好きです。



・風来坊 / ゴギ・グラント (全米6週1位)
これも良い曲と思います。



★8ビートの登場
そんな中、ロックンロールは進化を続け、遂に初の8ビートといえるヒット曲が誕生します。

チャック・ベリーのロール・オーバー・ベートーベンです。(56年 全米29位 R&B2位)



それまでのロックンロールも、R&Bも、全てシャッフルビートでした。

ツッツタッツ、ツッツタッツ

と跳ねるビートですね。

これに対して8ビートとは、

ツツタツ、ツツタツ

と跳ねずに、叩きつけるようなビートです。

この最初のヒット曲が、私の知る限りチャック・ベリーのロール・オーバー・ベートーベンなのです。

このことは誰もピックアップしないのですが、ロック史に残る大偉業だと思っています。


★ニューカマーの誕生
56年には、エルヴィスに続いて、これぞロックンローラー、というアーティストが登場します。(どちらかというとロカビリーですが、この話は余り生産的ではないため割愛します 笑)

「ジーン・ヴィンセント」です。

彼のデビューヒットのビー・バップ・ア・ルーラは56年の夏、全米7位のヒットとなりました。

ジーン・ヴィンセントは、バックに「ブルー・キャップス」というバンドを従えていました。

個人的には、このバンドのリードギターであるクリフ・ギャラップが、当時もっとも上手いロックンロールギタリストだったと思っています。

後にストレイ・キャッツがカバーしたこの二曲からもセンスの良いギタープレイが聴けます。

●Cruisin'



●Double Talkin' Baby

(音色からフレーズまでブライアン・セッツァーは、クリフ・ギャラップをかなりリスペクトしていたのではないかと思っています)


★受難の始まり
1956年のエルヴィスの衝撃的な登場と共に、彼や、ロックンロールに対するバッシングもスタートしました。

人気があるものには当然に起こる反動ですね。

エルヴィスのレコードを燃やす、人形を燃やすなど過激なものもありましたが、根底にあったのは、白人の子供を黒人音楽から守る、という白人の大人たちのエゴでした。


今回、映像は見当たりませんでしたが、ジーン・ヴィンセントのビー・バップ・ア・ルーラを嘲笑する当時のテレビ放送を見たことがあります。

メガネをかけた白人の司会者が、静かなBGMに乗せて、ビーバップアルーラの歌詞を朗読するのです。

その度に客席から嘲笑が起きます。

つまり、ロックンロールなんて何の芸術性もないものだ、と皆でせせら笑っていたのです。

その番組を見たとき、大の大人が見苦しく、みっともないなぁと思いました。


ロックンロールはそんな誹謗中傷にも負けず、ますます発展を遂げます。

それだけの魅力と、若者の圧倒的な支持があったからです。

chuma@WDRS