春、常に希望をもたらす?

さくらはまだ「満開」の一歩手前?
風もなんとなくやさしく、

皆はのびのび、
明るい気持ちに・・・?

こんな春
週末の1日
江戸下町散策を楽しまないか?

今回は
ちょっと「静かな」下町?
(上野・浅草と比べると)

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以下は、鳥居龍蔵創設 「武蔵野会」
現在の 「武蔵野文化協会」 の
お知らせです:


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        江東区深川の江戸情緒ある街並みを歩く

4月例会は、江戸情緒漂う江東区深川公園周辺の富岡八幡宮、深川不動堂、清澄庭園などを歩きます。

春の一日をお誘い併せて多数ご参加下さい。


                 記

日  時  平成28年4月17日(日)午前10時集合(雨天決行)

集  合  都営地下鉄大江戸線「門前仲町駅」改札口前(出口1箇所)

       ご 案 内 島田正人氏(本会常任理事、考古学部会副代表)

会  費    1000円(入園料・資料代等)

コ ー ス  門前仲町駅ーー八幡橋(日本最古の鉄橋・国重要文化財)ーー三十三間堂跡ーー富岡八幡宮(伊能忠敬銅像・横綱力士碑・日本一の大神輿)ーー深川公園(明治6年公園制定)成田山別院深川不動堂(元禄16年=1703創建)ーー永代寺ーー昼食(深川公園、一時解散)ーー深川東京モダン館(旧 東京市深川食堂)ーー伊能忠敬旧居跡ーー陽岳寺(伏見義民の墓・都旧跡)ーー法乗院(深川えんま堂・江戸三大えんまのひとつ)ーー小津安次郎 邸(映画監督)ーー採茶庵跡(芭蕉が「おくのほそ道」の旅へ出発)ーー滝沢馬琴生誕の地碑ーー清澄庭園(明治11年=1878、三菱グループ創始者の岩崎弥太郎が造園した回遊式林泉庭園)ーー清澄白河駅(解散4時頃)

そ の 他 ・コースの変更あり

      ・飲物・雨具は各自用意

      ・昼食は、弁当持参又は、深川公園近くの食堂を


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         武 蔵 野 文 化 協 会

問合せ先

電話・FAX  048-775-6918 (加藤 方)

メール kt-isao@jcom.home.ne.jp

次 回 5月例会は、府中多磨霊園ほか(予定)

予 告 本会は、本年7月創立(前身武蔵野会)100 周年を迎え、7月18日(月・祝日)100周年記念式典予定、ご周知ください。

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どうぞ、よろしくお願い致します!


貧困のどん底に
落ちた龍蔵

そんな龍蔵にも
「訪問客」が絶えない!

それは
中国人の若者たちだ!

龍蔵のお人柄
並びにその「膨大な学問」 に
惚れ込み

「鳥居先生」はどうなっている? と
心配と懐かしさで
訪ねてきた!遠くから・・・

以前のような「ごちそう」は
できなく、
一家の「粗食」をすそわけし
皆で 「貧困の共有」をした。

若者たちは
それをまったく気にせず
大喜び

龍蔵の素朴なおしゃべり
それに加えて、
皆が一気に明るくなる

「ほ、ほ、ほ・・・!」 という
きみ子夫人の明るく
きれいな笑い声、

これは まるで、
じみな?「ボーカル」 に
にぎやかな?「伴奏」 がごとく

なんともいえぬ
龍蔵宅 特有の
龍蔵・きみ子「協奏曲?」
なのです!

(東京の時も
龍蔵の教え子たち は やはり
この「協奏曲」に
引かれ、癒されたのだ)

外は戦争: 
日中戦争と太平洋戦争

しかし、この貧しい住まいの中 は
暖かく、明るく、なごやか な
別世界!

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龍蔵は
日本の真珠湾襲撃に
大変心配 だった:

「こんなことはいかん
日本は負ける

広大なアメリカ
その豊かな資源
けっして屈しない国民

その強大な「底力」を
見落としている

日中戦争も同じだ!」 (大意)

当時
「世界制覇」かのよう
誇る日本は 破竹の勢い
どこを見ても 日の丸・・・

そんな中
龍蔵の発言は
若者たちにとって
鮮明な記憶になった:

その若者のひとり
アン さん こそ
後、中国考古学界の重鎮
となった人です・・・

若者たち は
戦前・戦中・戦後 を通して
龍蔵を見て、感じて
苦しい日々を共にし

龍蔵の
透明で純粋なお人柄 に
ますます「ほれて」
不動な「ファン」になった。

アン さんは
数年前 徳島を訪れ
鳴門で 
龍蔵の墓参りをした・・・

さぞかし 万感が・・・

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その教え子、
やはり考古学者のトンさん

つい最近日本で講演会
その恩師アンさん同様 
龍蔵の熱烈な「ファン」であります。

中国の若者たち と 龍蔵 間の
揺るぎのない「信頼」と「友情」

それは
月日の流れで薄まるものではなく
いつまでも 保ち続くであろう・・・

ゆえに、ドンさんは
中国の代表として
確信と事実をもって

龍蔵を惜しみなく
絶高に評価したのであります。

龍蔵の
中国の考古学への貢献につき
その基礎を築いた と
惜しみなく評価しました。

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「水を飲むに際し
井戸を掘った人を
忘れてはならない」

という 中国の古いことわざ 
がある ように

中国の考古学界並びに政府は
非常に客観的に

鳥居龍蔵 を
中国考古学の
「井戸を掘った」人 だと
確信・確認しています。

そこに
日本学界のような
「右顧左眄」(上野誠 先生)はない、

「学界テロ」の「さくら」をつとめ
龍蔵を貶すものも いない!

あるのは
客観的な 公平な
白黒はっきりした評価!

※ これまで「考古学」と表現した。
理由は、中国では「人類学」という
分枝」をしていないから。

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太平洋戦争で
龍蔵はいろいろ苦労をしたが

しかし
その中でこそ
中国の若者と
深い理解 に達し
真の信頼・友情を築いたのです。

その意味で、龍蔵の
「日本まさり の理解者 は 中国?」 (他篇既述)
ということになるのでしょうか?

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多くの貴重なお話をくださった皆さん
本当にありがとうございます!


軍部の「研究所長」「任命」を断り、
貧困のどん底に落ちた龍蔵

もう「治まりがついた」? と
思いきや・・・

突然、「晴天の霹靂」?がごとく、

日本軍占領下の
燕京米領にかかわらず、

龍蔵が論文「発表」!

それも、
1.「ハーバード燕京研究所」名で!

さらに、
2.日本軍に投獄された
  当時も 獄中にいた米人「総長」
  レイトン・スチュアート氏の
  「前置き」つきで!

そんな「論文」を
龍蔵が
堂々発表した! (1942年?)

その怖いもの知らず ぶり に
皆、びっくり仰天!

「日本軍占領下の
すごい日本人大学者だ!」 と。

これって、
自分はハーバード燕京研究所の人
総長のレイトン・スチュアート氏
しか認めないぞ!

という「声明」みたいなもの?

しかし、仰天したのは
中国の大衆であり
日本の軍部ではなさそうだ?

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というのは、
鳥居龍蔵は
ずっと、日本学界の
「いじめられっ子」

その 彗星がごとく
学界のトップに踊り出たことで
学閥他の 激しいねたみに会い
集中攻撃の「まと」に されてきた

それに屈することなく
龍蔵は引き続き
学問で躍進し続けた

東大もぽんと やめたり

その「暴れん坊将軍」ぶり
独立独歩ぶり は
当時の日本では 「超有名」?

だから、
日本人からなる日本軍部は
当然「びっくり」しません

「あ、また か・・・」
と、思ったくらいのようだ?

まして、論文の内容は
もちろん 純学問的

軍部は当然不満であったろうが
かかってこなかった!

「暴れん坊」とはいえ、
「将軍」は「将軍」だから? (冗談ごめん!)

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「無事」論文発表をしたものの
時代は時代・・・
実に危ない「火遊び」じゃん?

でしょう?
普通では怖くて出来ないこと!

2.26以来
日本は軍部至上の時代

中国大陸においても
日本軍の「特高」や、「憲兵」や
厳しく皆を監視している。

そんな中
龍蔵が 豪胆にも
このような 「とんだ」?形の
論文発表!

「どこまで暴れん坊?」 と
言いたくなる、
心配で!

龍蔵は「純粋」だけでなく
その「どきも」、豪胆ぶり も
とてもまねできないレベルです!

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龍蔵って
しよう と思ったことは
いのち をかけてもする?!

阿波の野生児龍蔵 ですもの!

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永年経った今でも
このできごとは 
あの広大な中国で
「龍蔵伝説」の一話になっています。

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飾らない、媚びない、裏切らない
強権に屈しない・・・

学問一筋
その真実を決して曲げない

万難をいとわず
フイールドワークを決行する

そんな純粋な学者鳥居龍蔵

中国では 皆さんから
こよなく敬愛・信頼されています。

龍蔵を 
身近に見て、感じて
共に戦争の苦難をくくりぬいてきたから。

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貴重なお話下さった皆さん
本当にありがとうございます!


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日本軍に占領された
米領ハーバード燕京

「総長」のレイトン・スチュアート氏
占領と同時に、
日本軍により
投獄された。

日本人大学者龍蔵の
こころは重かった・・・
これから、どうなる?

そんなところ、
日本軍の「おえらさん」(トップ?)が
「うれしそうに」?龍蔵宅を
訪ねてきた、

大変いいお話を
もってきたつもりらしく

アメリカの
「ハーバード燕京研究所」
に代わって

日本の
「日本綜合研究所」を設立し

その研究所長に
世界的有名な大学者
鳥居龍蔵を任命したい
と、頼んできた。

「お国のため 龍蔵が
間違いなく 喜んで
引き受ける」 と
思い込んだ顔に見えた (きみ子夫人曰く)

ところが、龍蔵は
憤慨していた:

「自分はアメリカ人に招かれ
この研究所で仕事しておる」

これを裏切って、乗っ取るようなことは
断じてできん」 と (大意)

前置きとか、はぐらかし など
飾りは一切なく、

ストレート に
「おえらさん」の頼みを断った。

長年龍蔵を見てきたきみ子は
ひやひやだった:

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龍蔵は「断り」に際し
常にこうであり、

冷静に、まっすぐ
相手の目を見て

一語一句はっきり言い
決して感情的にならず

しかし、意志堅固で
決してその決断を変えません。

そんな龍蔵が心配で仕方ない
と同時に 
「かっこいい!」「男らしい!」 と
誇りに思ったきみ子なのです。

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日本軍の「おえらさん」(トップ?)
予想外の結果にショック?

龍蔵を理解できず
メンツも「つぶされ」?
がっかりして帰っていった。

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断ったその「お返し」はきた:

龍蔵もこの「米領」から追われ
北京市内の狭い家に

収入がなく
生活はどんぞこ

次女みどりは日本の会社で
「庶務」みたいな仕事をし
わずかな給料を・・・

後みどりは栄養失調?で
「胸膜炎」に似た重病に
危うく いのち を落とすところ・・・

一家は
日本敗戦まで
命がらがらの状態で
やっと持ちこたえたようです。

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龍蔵一家に詳しい方々
どうもありがとうございます。

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1941年12月8日
日本の真珠湾「奇襲」
日米 開戦!

日本の対米宣戦と同時に
北京の日本軍は
ハーバード燕京に突入占領
日の丸旗はこの米領上空に

「小さなアメリカ」は
「落城」してしまった!

中国人教職員・学生は皆
ハーバード燕京学園から追い出された・・・

現代情報社会と違って
皆は何が起きたかはっきり知らず

「日本軍」に占領されただけは
理解し、とぼとぼ と
学園を離れていった。

そんな人の流れが
学園の大門から、
緩やかに
流れ出ていった・・・

皆が気付くと
この大門の傍らに
なんと日本人の大学者
鳥居龍蔵が立っていた、

大変沈痛な面持ちで
皆さんを見送っていた、

「申し訳ない」というように、
頭を下げていた、

自国軍により
こういう事態になったことに
龍蔵は深くこころを傷め、
皆さんに謝っていました。

そんな龍蔵の真摯な姿は
中国の皆さんの脳裏に、こころに
焼きついたのです:

日本により 起こされた
太平洋戦争に際し

日本人学者鳥居龍蔵の
その姿、そのこころ は

異国中国の広大な大陸で
いつまでも・・・?

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