日本の人類学
一般的に、
「形態」から始まる
純?理系的なものだった?

しかし、最近、
人間にかかわること全てを
「人類学」とし、
「○○の人類学」が大流行、
具体的な社会現象全般が
範囲内になった、
これらは「人類学」の
「大衆編」・「普及版」といえよう

又、社会構造などの研究は
「社会人類学」と称されたり、
「社会学」を「人類学」の
一分野にした感じ?

これらさまざまな楽しい流れ
をさて置き、
鳥居龍蔵の人類学は?
について考えたい:

龍蔵の人類学は
その恩師坪井正五郎に
師事することから始まり、

どんどん領域を広め、
言語・歴史・・・など、
人類文化全般に及ぶ、

その特徴は
文・理両方の強い基礎力、
8つ高いレベルの外国語を
(アイヌ語までかなり操る)基盤に
最初から非常に横断的・複眼的な
研究を行った、この手法・方式は
日本離れの、欧米流といえよう、

それに、幼少時は
徳島地元の歴史・考古学調査、
後、日本全土のフイールドワーク

さらに、戦乱中の、命がけの
台湾・大陸における
長年積み重ねたフイールドワーク、
血と涙の結晶である
仮説の検証、新しい仮説・・・

上記の、言わば、
横・縦・紙面・現場などなど
いろいろの視点から
研究し続けたのだ、

だから、その学問は
主観的想像・創造の結果ではなく
常に立体的に、3D的に
当時条件の限界まで
緻密に検証し、
それこそ、学問であり、科学である
と信じたのだ。

これを龍蔵のことばでいうと
「学問の真実」になる。
これこそ、
龍蔵が生涯追い続けたものでは?

これが龍蔵の信念であり、
人格でもある?だから、彼は
これを曲げようとしなかった。

話を戻そう、
鳥居龍蔵はなにもの?
どういう人類学者?

武蔵野文化協会の「影武者」
若き日から一筋働いた先生が
常に「文化人類学者鳥居龍蔵」と
称したとおりでは?だから

文化人類学者鳥居龍蔵なのだ。そして
「龍蔵学」は平面ではなく、立体なのだ。