龍蔵の学問は龍蔵オリジナルのみだ

龍曰く、自分の学問は家族皆もの(大意)
これは、その仕事を支えた家族への感謝の意。

しかし、これは、
「私の学問の内容は家族皆と一緒」、または
「家族の学問は私の学問だ」
などの意味ではない、のだ。

龍蔵曰く、「私の学問は私の学問である」
その学問中身の独自性・独立性を語る。

だから、龍の親族家族であろうと、
彼等の学問(?)は
龍蔵の学問ではあるまい。

何を言いたいのか、というと、
日本社会では、
「親の七光り」の考え方が強く、
龍蔵の学問探求において、
つい、その親族の「著作」?をあてに
引用・使用する傾向あり。

これは非合理的で危険だ。
それら「著作」すら七光りの出版だろうから。

偉人の親族であろうと、
「親族である」という価値以外、
何ら価値もないのだ。

彼等の「著作」?を龍学問の一部
と見なすのは、大きな見当違いだ。

親族は龍蔵とは別人格、別専門、
彼等の「著作」はせいぜい日常か類似程度、
学問的レベルは論外であろう:

専門は「家政」などでは、
龍学問との接点はどこだろうか?

だから、これら「著作」?を根拠に、
龍蔵を論じてはならんのだ。
どうでもよいような事柄を別に、
龍蔵オリジナルの「論拠」としての利用は
やめるべし:
龍蔵オリジナルにゆがみが出るだろうから、
龍蔵オリジナルは、龍蔵学のみが根拠なのだ、
誰としても、龍蔵の代わりにはなれないのだ。

リピートだが、いくら親族でも、
龍蔵とは別人格、別レベルなのだ。
龍蔵にアクセスするに、
彼等は近道ではない。

並びに、親族は顕彰対象ではあるまい、
その「著作」?を龍蔵のものと一緒に
並べたり、リスト作りなどは
やめましょう:
そういう価値はないから。

龍蔵学は龍蔵オリジナルのみ、
と、僕は確信するのだ。