龍蔵は普通の人 顕彰はプラス思考で

父親としての龍蔵
極平凡な父親だ、

きみ子がよく周囲に話していたのは、
次女のみどり、
才女で抜きん出た美人、
気立てが優しく、
軽妙なジョークを飛ばす、

その子へのファンレター(ラブレター?)は山、
結婚話も多い・・・
欧米人にも人気、
多分、レターの多くは彼ら?

しかし、こういうことに、
龍蔵はうれしく見えないのだ、
何か言ったわけでないが、
とても、寂しそうな悲しそうな顔、

それを察知するきみ子、
かわいいそうで、
話を受けたり進めたりできない、と
言っていた:
龍蔵は、最愛の娘みどりだけは、
手放したくないのだ!

その父親のエゴ見え見え、
それに同情するきみ子・・・
きみ子にとって、
大事な大事な龍蔵なので、
どんなエゴでも許すのだ!

巨人でも偉人でも、
仕事以外は、
ただの凡庸な人間鳥居龍蔵なのだ!

この世の偉人・巨人・・・など、
さまざまな超人について、
僕はこう思うのだ:

彼らは皆、
それぞれの分野で、
超人的な功績を立てた、

多分、これらの功績は、
彼ら全人的の、6割、7割、8割以上占めたかも、
しかし、
残りの、1,2,3,4・・・?割りは、
普通の人なのさ!
神ではないのだ!

彼らの親族全員、
別の生き物なのだ!
偉人などの血筋を引いた子孫・親族は、
それぞれ別人格、別知能なのだ!

遺伝子組み合わせの妙によって、
中に異才が現れることもあろうが、
単なる生物学的偶然では?

従って、龍蔵顕彰は、
龍蔵、きみ子二人のみのこと、
それ以上でもそれ以下でもないのだ。
これは顕彰以前、
守るべき鉄則なのだ。

これは顕彰の最初から最後まで、
貫くべきでは?

これまでの流れを見ると、
中には、やはり、
龍蔵に理解がなく、
実際、何を顕彰すべきか、
どういう実績があって、
どういうところが空前絶後か、
さっぱり掴めないない者が、

それでも自分は他人勝りに
情報通であることを前面に、
龍蔵の親族がどうのこうの・・・など、
得意とする者もいるが、
それは顕彰の主旨からかけ離れる:

それは顕彰ではなく、
三面記事作りの龍蔵貶しにあたる。
親族子息など全員、顕彰と無関係だ!

彼らになんら学問的実績もなく、
血のつながりだけで、
これらを持ち上げたり、下げたりは、
むだ以外のなにものでもない。

空前絶後の実績以外、
前記とおり、
鳥居龍蔵は、
ただの、普通の人間なのさ!
その喜怒哀楽は一般人と共通だ。

その親族子孫なども、
どこでも転がっているような、
下らんの、ましの、・・・いろいろだ。
これは、どの家庭でも同じ。

民族学・人類学の巨人だから、
一族、優秀極まる優等生など、
ありえないナンセンスなのだ!


龍蔵顕彰は
それらナンセンスを追うのではなく、
あくまで
鳥居龍蔵・きみ子なのだ!

悪意もって、
三面記事を顕彰にする人はいない。
だから、この際、
龍蔵記念博物館オープンにおいて、
顕彰の方向を正確に定める必要ありでは?

龍蔵業績の量質共に空前絶後、
的を正しく定めないと、
龍蔵顕彰が右往左往、
徳島県への貢献が遅れる。

方向を定め、
龍蔵の持っている、
現代に生かせる諸要素を発揮しましょう!

龍蔵賞をもうけ、
まずは、徳島県に貢献した人々を奨励し、
さらなる発展を勝ち取りましょう。

言いたいのは、
龍蔵顕彰を前向きに
プラス思考で行いましょう!

すると、必ずプラスの結果に結びつくのだ!
僕は、そう信じるのだ。