その地の発見は、その地の人々のものだ

そのふるさとから持ち出してはならない


この2,3年前?かの有名な大英博物館が、ミーラなどをエジプトに帰郷させた。フランスのルーブルもなにか?詳細覚えていないが、素晴らしいことだ。


1世紀以上前、産業革命で力をつけた欧州各国を始め、あとからアメリカ・ロシア・日本も海外へ、各方面の進出を始めた。列強による植民地化」政策が打ち出され、歴史発展の必然的プロセスだ。


日本も明治維新から、富国強兵策のもと、急激に国力をつけ、日清戦争・日露戦争の勝利を経て、アジアで唯一といわれる、植民地化されなかった国として、列強に加わり、植民地分割に参加した。


日本では、「進出」というあいまいな用語が固定しているが、受側の国々は「侵略された」、という受け止め方が普通。

これは、今沖縄県民の、米軍基地への気持ちと似通ったものがある。立場の違いだ。


列強進出(その前、スペイン・ポルトガルの活動も含め)により、その軍、或いは文化人による、植民地各国芸術品などの収集(受側は「略奪された」という)が頻繁で、今観光しても、頭のないエジプト・ギリシャ・中国などの石象(神々・石仏など)が見られる。当時の「収集という文化活動」の傷跡だ。


当時の文化人も、時の流れに身を任せ、一生懸命収集に励んだ方々もいたようだ。

文化を保護したい一心もあったでしょうから、ここでは論じない。

もちろん、事実として、結果として、世界文化遺産を保護したことになった場合が多い。


他方、神々の頭・ミーラなど持って行かれ、切り取られた生々しい傷跡を眺める受側の恨み辛みは、ひとしおでないそうだ。それは仕方ない、ご先祖様・神様をもってかれたんだから・・・

時代背景として、前置きが少し長くなったが、ここから、本題に入る。


フイールド・ワークのプロ鳥居龍蔵だったら、転がっている物、発掘した物、価値ありかすぐ識別できる。

その気になれば、豊富な「獲物」を持ち帰れたはず: 彼の活動の強度・頻度からして、単純計算でゆくと:

(基本的に正比例だから)


   獲物 X 最大強度・頻度 = 最大量・質の獲物     のはず


しかし、龍蔵が持ち帰った、わずかの物はほとんど現地住民から購入したもの。それを公的機関に出している。

彼の驢馬・馬車・牛車に乗せた荷物は、食料品日用品くらい(貧しい山村・野原の長期ワークが多いため)。


龍蔵には、生涯を通して貫いたポリシーがある:

その地での発見は、その地の人々の物。

そのふるさとから持ち出してはならない。


だから、龍蔵がアジアの貧しい山村(当時)で、「重要文化財」レベルの物を見つけた時(村民たちが重要性を知らず放置状態も多かったようだ)、必ず村長・部落長などリーダを集め、通訳を通し、「皆さんの国の文化の大事なものだ」というのをきちんと伝え、保管方法まで丁寧に説明する。歴史的にどの時代のどのような意味があるか、など、書面にまで書いて渡すのだ。

だから、現地の人々が自分たちの大事な文化に目覚め、感激でうれし涙をし、それらを大事に保存した。そこで、龍蔵のお人柄に傾倒し、鳥居先生、鳥居先生と、親しみと尊敬を込め、近づき手伝うのだ。龍蔵が「収集家」でないことがよく分かったから。

それからは、「鳥居先生、これは何でしょうか」など、自らの文化につき質問し、愛着関心をもつようになったそうだ。


自分は肩書きで生活しない、と龍蔵が言った。

少々飛躍だが、龍蔵は、当時強い日本を背に、威張ったりなど一切せず、「一個の、自分が作り出した自分」に徹したのだ: すなわち、マイウェイ、マイポリシーに徹したのだ。


「その地の発見は、その地の人々の物だ」、という龍蔵のポリシーは、彼が科学者、と同時に、心の暖かいフェミニストだというのが、伝わってくる: 強く・やさしいこころの持ち主だ。


この話を下さった方、ありがとう。


無学の僕に、学問の部分は分からないが、こころ打たれる話ばかり。

聞けば聞くほど、人間鳥居龍蔵に惹かれてゆくのだ。

1世紀以上前から大活躍した龍蔵と、こころが通じあえたのだ。


もっと、もっと聞きたい・・・