幸せを語る人 | 人は話さずにはいられない「トークケア」

人は話さずにはいられない「トークケア」

栗原未来主宰 日本発の思いやりを形にした”トークケア”。
より多くの方に楽しんでご利用頂けるよう、
スタッフやサービス、その他皆様のライフスタイルに
有効なご案内をしております。

この季節になると同級生のユカを思い出す。
本当に残念なことに、不慮の事故で
今は会えない人となってしまったのですが。

彼女と私は小学校~中学校が一緒でした。

在学中はさほど仲良しでは無かったのですが、
彼女がエスカレート式の高校に進学せず、
スイスに留学してから連絡を取るようになったのです。

そして時が流れて二人とも、だいぶ大人になったある日。
恵比寿のガーデンプレイスで食事をしていた時のこと。

「あのね、私がもうあの学校にいられないって思ったのって
どんな理由か知ってる?」
ふいに彼女が私に尋ねました。

私は当時、彼女とはクラスも違いほとんど
会話をすることが無かったので、
その問いには答えることができませんでした。

でも、彼女が当時から本当に自由奔放で、
なんていうか感性そのものという印象は持っていたので
私たちの通っていた厳しい校則のある女子高には
合わなかったんだろうなと予測はしていました。

私が首を横にふると、彼女はちょっと大げさに
「あのね、中学生の時に担任に、将来何になりたいか?って聞かれたんだ。
だから私は、幸せになりたい!って素直に答えたの。

そうしたら○○ったら、そんなことじゃダメじゃないかって
すごく怒ったのよ。それもみんなの前で。

その時から今に至っても、どうしてもそれは納得がいかないのよね。」

なるほど。ユカなら間違いなく言いそうだと納得した。
やはり自由な彼女にとって、私たちの学校の押し付けは
苦しかったのだと。

この会話だけが原因では無いにしても、
ここにその想いは集約されているのだろう。

そしてユカは高校に進学せず、
スイスの全寮制の学校に行くことになった。

お父様が芸能関係の仕事をしていたこともあり、
この点では彼女は本当に恵まれていたと思う。

「それでね」
言葉の後にちょっと間をおいてユカがもったいぶる。

「面白いことが起こったの」
なんと彼女はこのスイスの学校での面接でも
同じ事を聞かれたという。

相手はちょっと怖そうな年配の校長(女性)。
「ユカ、あなたは将来どうしたいの、何になりたいの?」

彼女は迷わず答えたそうだ
「私は幸せになりたい」と。

校長はこの答えに大満足してくれたという。
「何て素敵な答えなの!私もずっとそう思ってきたのよ。」と。

きっとその時のユカは満面の笑みをうかべていたんだろうな


最近やや不調ですが、サッカーの本田や野球のイチローが
小学生の頃に将来の夢や目標をリアルに語り、
それが叶ったことはマスコミでも何度も取り上げられている。

彼らの夢は誰の目にもわかる成功でした。

ここで思うのです。

目標は人から評価されるものでなくてはならないのでしょうか。
「絶対的な成功」だけが私たちが目指すべきものなのでしょうか。

私は「成功」や「目標達成」は「幸せ」に繋がる
過程であり通過点だと思っています。

どんな状態であっても、本人が幸せだと感じられる
そんな人生こそ
豊かなものであり、
目指したいものだと思うのです。

ユカから教わった「私は幸せになりたい!」は
私が勝手に引き継いでいます。

そして私だけでなく、全ての人が「心が幸せになる!」
ことを目指せたならと願ってやみません。

みんなで幸せを真っ直ぐに目指しましょう、ね!

K