私たちは知らぬ間に自分自身で作った
「こうあるべき」「こうすべき」に縛られてしまいます。
私はこれを「べきの壁」と呼んでいます。
それでは、その「べき」の正体はいったい何だと思いますか
答えられるのではないでしょうか。
「普通、こうだよね。」
「男は~」「女は~」
「社会人ならこうしなくちゃね。」って。
結構沢山あるのではないでしょうか
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その正体は「固定概念」です
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例えば、世間って、それは日本国民の
何パーセントを指しているのか。
その常識は日本全国どの地域でも
どんな場合でも常識で有りえるのか。
もしかしたらそれはあなたの育った
環境において、あなたの親や家族、
通った学校や会社で接した人々の中で
あなたが「感じた」もの、周囲の数人が
言ったことでしか無いのでは
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事実、いったい何人がそれを本当に言葉にだしてあなたに伝えたのか。
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私たちは結局のところ、自分自身で
構築した「べき」の壁で身動きを取れなく
している、そう感じるのです。
「しなきゃいけないから」
したくないのに、しなくてはならないことって
確かにあります。
でもそれって、させられているのか、
自分がしようと思ってしていることなのか。
本当に必要なことなのか、
思い込みの判断ではないのか、
そういった感覚を麻痺させてはいけないと思います。
自分以外の誰かの思惑を配慮して、
目に見えない「べき」の壁をどうか
これ以上自分で高く積み上げないようにして欲しい。
あなたの周りにある「べき」の壁、
もう一度見直してみてください。
「べき」だからするのではなくて、
したいからする、
する意味を納得しているからする、
それが大人の行動であると思います。
もちろん、そうは言っても現実の「べきの壁」は
あなたの目の前にまだ高くそびえたっていることでしょう。
長い時間をかけて自分自身で作り上げた
壁を壊すのは勇気のいることだからです。
でも、それを乗り越えた人にしか見ることのできない
自由な世界
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万里の道も一歩からですね。
K