正式国名
日本語:ウルグアイ東方共和国
スペイン語:
República Oriental del Uruguay
英語:
Oriental Republic of Uruguay

国名の由来
グアラニー族が、ラプラタ川の支流を「曲がりくねった川」という意味で、ウルグアイ川と名付けたのが由来。
正式国名のOriental(東方共和国)は、ラプラタ川やウルグアイ川の東岸
がBanda Orientalと呼ばれたことに由来。


国旗



青:自由と正義
白:平和
9本の帯:ブラジルから独立した当時の9地域
太陽:大元はインカ帝国の太陽神に由来
   
ウルグアイの独立支援への謝意として、アルゼンチン国旗と同じ太陽を採用


国章




天秤:平等と正義
馬:自由
牛:豊饒
右上は、植民当初にモンテビデオの丘に築かれた要塞(力の象徴)
月桂樹:名誉
オリーブ:平和


国の標語Libertad o Muerte(自由か死か)


国歌


吹奏楽
オーケストラ
歌つき


Himno nacional de Uruguay

¡Orientales, la patria o la tumba!
¡Libertad o con gloria morir!
¡Orientales, la patria o la tumba!
¡ Libertad o con gloria morir!
Es el voto que el alma pronuncia
Y que heroicos sabremos cumplir,
Es el voto que el alma pronuncia
Y que heroicos sabremos cumplir,
que sabremos cumplir,
Es el voto que el alma pronuncia
Y que heroicos sabremos cumplir,
que sabremos cumplir,
sabremos cumplir,
sabremos cumplir,
sabremos cumplir.


Libertad, libertad, orientales
este grito a la patria salvó
Que a sus bravos en fieras batallas
de entusiasmo sublimé inflamó
Libertad, libertad, orientales
este grito a la patria salvó
Que a sus bravos en fieras batallas
de entusiasmo sublimé inflamó
De este don sacrosanto la gloria
Merecimos ¡Tiranos temblad!
¡Tiranos temblad! Tiranos temblad!

¡Libertad en la lid clamaremos
Y muriendo también libertad!
¡ Libertad en la lid clamaremos
Y muriendo también libertad!
y muriendo también libertad!
también libertad!
también libertad!


¡Orientales, la patria o la tumba!
¡Libertad o con gloria morir!
¡Orientales, la patria o la tumba!
¡ Libertad o con gloria morir!
Es el voto que el alma pronuncia
Y que heroicos sabremos cumplir,
Es el voto que el alma pronuncia
Y que heroicos sabremos cumplir,
que sabremos cumplir,
Es el voto que el alma pronuncia
Y que heroicos sabremos cumplir,
que sabremos cumplir,
sabremos cumplir,
sabremos cumplir,
sabremos cumplir.



東の民よ、祖国か墓か?
自由求むか、栄光の死か?
祖国を救う我らの叫び
熱き魂込めて誓わん
勇気をもちて果たせる使命
我ら全ての知るところなり

自由なるかな、東の民よ
聖なる父祖に授かりし国
勇者は熱く猛りて叫び
悪しき暴君退けるなり
自由求むる叫びは絶えず
我らが命尽き果てるまで



ごく大まかな歴史
16世紀以前:チャルーア人やグアラニー人が居住(インカの支配は及ばず)
1516年:スペイン人が初めて発見
1603年:スペイン人が牛の放牧を開始(ポルトガル人との抗争開始)
1726年:ブエノスアイレス総督のブルーノ・デ・ナバーラが、現在の首都モンテビデオを建設
1761年:ポルトガル人が撤退し、事実上全土がスペインの植民地に
1776年:スペイン植民地再編で、リオ・デ・ラプラタ副王領に組み込まれる
1806年:欧州大陸でのフランス大革命の余波で、イギリス軍がモンテビデオを占領(翌年撤退)
1811年:独立戦争開始
1821年:ブラジルの占領下に
1828年:イギリスの仲介により独立
1839年:大戦争勃発(親ブラジルのコロラド党と親アルゼンチンのブランコ党の政治抗争が両国の介入を招き、11年後に終結)
1865年:ブラジル、アルゼンチンと三国同盟を結成し、反政府勢力に加担したパラグアイと戦争状態に
1903年:ホセ・バッジェが大統領に就任し、数々の改革に着手(
ウルグアイは「南米のスイス」の異名をとる)
1917年:ヘラルド・マトス・ロドリゲスが「ラ・クンパルシータ」を作曲
1930年:第1回サッカーW杯を開催し優勝
1973年:左翼ゲリラを弾圧した軍部がクーデターで政権簒奪
1985年:民政復帰
2005年:拡大戦線のタバレ・バスケスが大統領に当選し、コロラド党とブランコ党の二大政党体制に終止符


代表チームの愛称
Los Teros
(テロス)
Teroは国鳥のナンベイタゲリ(チドリの一種)


過去のW杯戦績

1999年第4回ウェールズ大会
スペイン ○27-15
スコットランド ×12-43
南アフリカ ×3-39
(1次リーグ3位で敗退)

2003年第5回オーストラリア大会

南アフリカ ×6-72
サモア ×13-60
グルジア ○24-12
イングランド ×13-111

(1次リーグ4位で敗退)


 W杯米州予選及び大陸間プレーオフの戦績
チリ ○27-26
ブラジル ○27-15
(2次予選A組を首位で通過)
ブラジル ○58-7
チリ ○23-9
(3次予選A組を首位で通過)
アメリカ(H) △27-27
アメリカ(A) ×13-32
(米州予選総合3位でプレーオフへ)
香港 ○28-3
ロシア(A) ×21-22
ロシア(H) ○36-27
(得失点差で上回りW杯本大会出場)


1次リーグA組の対戦相手との戦績(8/29現在)
ウェールズ(9/20カーディフ):初顔合わせ
オーストラリア(9/27バーミンガム):
初顔合わせ
フィジー(10/6ミルトンキーンズ):0勝0分1敗(24得点39失点)
イングランド(10/10マンチェスター):0勝0分1敗(13得点111失点)



他の国々との対戦成績(8/29現在)
 

南アフリカ:0勝0分3敗(12得点245失点)

スコットランド:0勝0分1敗(12得点43失点)

サモア:0勝0分1敗(13得点60失点)

日本:1勝0分1敗(32得点48失点)

アメリカ:1勝1分12敗(211得点438失点) 

ニュージーランド:対戦なし
アルゼンチン:0勝0分32敗(323得点1393失点)
トンガ:対戦なし
ジョージア:2勝0分1敗(59得点39失点)
ナミビア:1勝0分1敗(23得点12失点)
フランス:
対戦なし

アイルランド:対戦なし

イタリア:0勝0分3敗(25得点92失点)

カナダ:1勝0分7敗(108得点247失点)

ルーマニア:0勝1分4敗(59得点116失点)

通称
英語:Namibia
アフリカーンス語:
Namibië(ナミビエ)
ドイツ語:Namibia(ナミービア)


正式名称

日本語:ナミビア共和国
英語:Republic of Namibia

アフリカーンス語:Republiek van Namibië

ドイツ語:Republik Namibia



国旗



青:大西洋、青空、貴重な水資源
赤:独立のために流された血潮、新国家建設への決意
緑:農作物、天然資源
(青・赤・緑は、主要先住民オバンボ族の伝統色で、南アフリカからの独立闘争を主導した、南西アフリカ人民機構の旗から継承)
白:平和と統一
太陽:生命力と活力
陽光を示す12の光線:国内の主要12部族
(金色はナミブ砂漠と原野)


国章



盾の左右のオリックス:勇気・優美・誇りの象徴
盾の上のサンショクウミワシ:気高さ
盾の下の植物:生存と不屈の精神(代表チームの愛称欄で詳述)


国歌

オーケストラ
吹奏楽
歌付き1
歌付き2

Namibia land of the brave
Freedom fight we have won
Glory to their bravery
Whose blood waters our freedom
We give our love and loyalty
Together in unity
Contrasting beautiful Namibia
Namibia our country
Beloved land of savannahs
Hold high the banner of liberty
Namibia our Country
Namibia Motherland
We love thee


勇気あふれし大地ナミビア
我らが自由勝ち得んがため
戦い抜いて血潮を流す
栄光あらん、彼らの勇気
麗しき国ナミビアに
皆で捧げる愛と忠誠
愛に満ちたるサバンナの地に
自由の旗を高く掲げん
我らが祖国ナミビアに
愛しき母国ナミビアに



国の標語
Unity, Libery, Justice(統一、自由、正義)


ごく大まかな歴史
太古:アフリカ大陸南部全体に、コイコイ族(ホッテントット)やサン族(ブッシュマン)等のカポイド(初期ホモ・サピエンスの特徴を残しており、一般的なアフリカの黒人とは別人種)が生息
14世紀:アフリカ大陸北部からコンゴイド(一般的な黒色人種)のバントゥー系諸族が南下を開始し、カポイドを圧迫
16世紀:ヘレロ族、オバンボ族、カバンゴ族等のバントゥー系諸族がナミビアを支配
1840年:イギリスがナミビア沿岸中部のウォルビスベイを領有
1884年:ドイツがウォルビスベイ以外のナミビア全域を、ドイツ領南西アフリカとして保護国化
1904年:ヘレロ族やナマ族(カポイド系)がドイツ支配に反発して武装蜂起(3年後に鎮圧されるまで、ヘレロ族の8割以上、ナマ族の5割以上が殺害)
1915年:第一次世界大戦で南アフリカ連邦が南西アフリカを制圧
1921年:国際連盟からの委任にという形で、南アが南西アフリカを統治
1946年:国際連盟消滅による委任統治終了により、南アが南西アフリカの併合を宣言(国際社会から認められず不法統治状態に)
1959年:ウィントフック虐殺事件(強制立ち退きに反対する黒人デモ隊に警官が発砲し、死者11人)
1960年:国際連合が南アによる南西アフリカ委任統治終了と信託統治への移行を決議(将来的独立を前提とした国連の監視が、国際連盟委任統治より厳しいため、南アはこれを無視して実効支配継続)
1966年:南西アフリカ人民機構(SWAPO)が武装蜂起(ナミビア独立戦争開始)
1970年:ナミビアでアパルトヘイトが本格化(南ア同様、黒人をホームランドに隔離)
1975年:ナミビアの北隣のアンゴラがポルトガルから独立するも、直ちに内戦突入(キューバに援助されたアンゴラの共産主義勢力を打倒すべく、ナミビアを支配する南ア軍がアンゴラに侵攻し、泥沼化)
1982年:アメリカのレーガン大統領が、キューバ軍のアンゴラからの撤退とナミビアの独立を抱き合わせで実施することを提案
1988年:敗北が決定的になった南アがアンゴラから撤退を表明し、関係各国はニューヨーク協定でレーガン提案を承認(翌年の国連監視下の総選挙で、SWAPOが圧勝)
1990年:憲法を制定し正式に独立
1994年:南アがウォルビスベイをナミビアに変換


代表チームの愛称
Welwitschias(ウェルウィッチアーズ)
ナミブ砂漠固有のウェルウィッチアという植物(長い葉を生やし、千年以上生き続ける)に由来


過去のW杯戦績

1999年第4回ウェールズ大会

フィジー ×18-67

フランス ×13-47

カナダ ×11-72

(1次リーグ4位で敗退)


2003年第5回オーストラリア大会

アルゼンチン ×14-67

アイルランド ×7-64

オーストラリア ×0-142

ルーマニア ×7-37

(1次リーグ5位で敗退)


2007年第6回フランス大会

アイルランド ×17-32

フランス ×10-87

アルゼンチン ×3-63

グルジア ×0-30

(1次リーグ5位で敗退)


2011年第7回ニュージーランド大会

フィジー ×25-49

サモア ×12-49

南アフリカ ×0-87

ウェールズ ×7-81

(1次リーグ5位で敗退)



W杯アフリカ予選の戦績
セネガル ○20-18
マダガスカル ×54-57
(1次予選A組で2位)
セネガル ○35-12
チュニジア ○45-13
(2次予選A組で1位)
ケニア ×22-29
ジンバブエ ○24-20
マダガスカル ○89-10
(3次予選1位で出場権獲得)


1次リーグC組の対戦相手との対戦成績(8/21現在)
ニュージーランド(9/24ロンドン):初顔合わせ
トンガ(9/29エクセター):0勝0分1敗(14得点20失点)
ジョージア(10/7エクセター):1勝0分3敗(57得点95失点)
アルゼンチン(10/11レスター):0勝0分2敗(17得点130失点)


他の国々との対戦成績
(8/21現在)
イングランド:対戦なし

オーストラリア:0勝0分1敗(0得点142失点)

ウェールズ:0勝0分4敗(69得点171失点)
フィジー:0勝0分2敗(43得点116失点) 
ウルグアイ:0勝0分1敗(12得点23失点)

南アフリカ:0勝0分2敗(13得点96失点)

スコットランド:対戦なし

サモア:0勝0分2敗(25得点89失点)

日本:対戦なし

アメリカ:対戦なし

フランス:0勝0分5敗(59得点216失点)

アイルランド:2勝0分2敗(65得点117失点)

イタリア:2勝0分1敗(74得点75失点)

カナダ:0勝0分2敗(24得点89失点)

ルーマニア:1勝0分3敗(55得点95失点)

1937年改正憲法でのアイルランド共和国の正式名称
アイルランド語:
Éire(エァル)
英語:Ireland

1949年制定アイルランド共和国法でのアイルランド共和国の公称
アイルランド語:
Poblacht na hÉireann 
英語:Republic of Ireland


アイルランド共和国法は憲法に優越するものではないので、英語によるフルネームの国号としてはIrelandであり、国連やEU等の国際機関でもRepublic ofは使われない。
日本語でも、
アイルランド島や北アイルランドと区別するため、アイルランド共和国を慣例として用いるが、日本政府が定めた正式名称はアイルランドで、共和国はつけない。

北アイルランドの通称
英語:Northern Ireland
アイルランド語:
Tuaisceart Éireann
アルスター・スコットランド語:Norlin Airlann


アイルランド共和国の国旗




緑:アイルランドの伝統要素(ケルト民族、カトリック)
橙:外来の新興要素(アングロサクソン民族、プロテスタント)
白:新旧両要素の調和


北アイルランドの非公式国旗




白地に赤十字:イングランドの守護聖人聖ジョージの旗(イングランド国旗)
赤い手:アルスター王国の新国王候補の一人が、王位継承争いに敗れた絶望から、自分の片手を切り落としたて投げたところ、それがきっかけに王位についたという神話に基づく

1853年に正式な北アイルランド国旗となったが、1972年に北アイルランド政府・議会が廃止されたことで、この旗も官公庁等での使用は禁止されたが、サッカーやネットボール等、各競技の北アイルランド代表では、事実上の国旗として使われている


ラグビーアイルランド代表としての国旗



中央(クローバー):アイルランドの国花
左上(北部アルスター地方の旗):
黄色地に赤十字は、13世紀中旬にアルスター伯となった、デ・バラ家の家紋
右上(東部レンスター地方の旗):アイリッシュハープ(アイルランド伝統のペダルがない小型ハープ)
左下(南部マンスター地方の旗):三つの王冠は、長年の小豪族同士の抗争を平定した、ソーモンド、オーモンド、デスモンドの三王朝並立時代の象徴
下(西部コナハト地方の旗):黒鷲はカトリック修道会の象徴、剣を持った腕は太古のアイルランドの支配者の家紋とされるが、詳細は不明

アイルランドのラグビー協会は、上記アルスター、レンスター、マンスター、コナハト各ラグビー協会の上に存在し、アルスターの協会は北アイルランドとアイルランド共和国にまたがっているため、ラグビーのアイルランド代表も、国籍上はアイルランド共和国と北アイルランドの合同チームとなる


アイルランド共和国の国章



ハープがアイルランドの象徴となったのは、イングランドによるアイルランド語禁止に対し、ハープを奏でて怒りを表現したことに由来


北アイルランドの非公式国章



国旗同様、正式には1972年に廃止


アイルランド共和国の国歌


オーケストラ
歌付き(アイルランド語)
歌付き(英語)



アイルランド語歌詞

Amhrán na bhFiann

Seo dhibh a cháirde duan Óglaigh,
Cathréimeach briomhar ceolmhar,
Ár dtinte cnámh go buacach táid,
'S an spéir go min réaltogach
Is fonnmhar faobhrach sinn chun gleo
'S go tiúnmhar glé roimh thíocht do'n ló
Fé chiúnas chaomh na hoiche ar seol:
Seo libh canaídh Amhrán na bhFiann.


Sinne Fianna Fáil a tá fé gheall ag Éirinn,
Buion dár slua thar toinn do ráinig chugainn,
Fé mhóid bheith saor. Sean tír ár sinsir feasta
Ní fhagfar fé'n tiorán ná fé'n tráil
Anocht a théam sa bhearna bhaoil,
Le gean ar Ghaeil chun báis nó saoil
Le guna screach fé lámhach na bpiléar
Seo libh canaídh Amhrán na bhFiann.



英語歌詞

Soldier's Song

We'll sing a song, a soldier's song,
With cheering rousing chorus,
As round our blazing fires we throng,
The starry heavens o'er us;
Impatient for the coming fight,
And as we wait the morning's light,
Here in the silence of the night,
We'll chant a soldier's song.

Soldiers are we, whose lives are pledged to Ireland;
Some have come from a land beyond the wave.
Sworn to be free, no more our ancient sireland
Shall shelter the despot and the slave.
Tonight we man the gap of danger
In Erin's cause, come woe or weal
'Mid cannons' roar and rifles peal,
We'll chant a soldier's song.



兵士の歌

熱き喝采歌声に込め

炎を囲み我ら集いて
天の輝き我らを照らし
我ら戦(いくさ)のときを待ちかね
静けき夜に朝日を待ちて
我ら兵士の歌を詠わん

自由誓いしつわものたちは
荒波越えて約束の地に
種馬の棲む時代は終わり
王も奴隷も砦守りて
今宵祖国の危機にあたりて
幸あるときも、災いの日も
火球の如く轟きわたり
我ら兵士の歌を詠わん



元々
ラグビーアイルランド代表の試合前には、上記のアイルランド共和国国歌が斉唱されたが、北アイルランド出身の選手が歌わないことが深刻な問題となり、アイルランド代表の試合では、国歌斉唱が省略という事態に陥る。
(歴史的遺恨により、地元でのイングランド国歌斉唱が絶対のタブーだったため、アイルランドのホームゲームでは、対戦相手の国歌は演奏されず、アウェイではアイルランド国歌が省略ということが続いた)
北アイルランドの国歌は、競技によって使われる曲が異なり、ラグビーアイルランド代表の試合には使われない。


ラグビーアイルランド代表としての国歌

歌付き1
歌付き2
歌付き3

 
Ireland's Call

Come the day
And come the hour
Come the power and the glory
We have come to answer
Our country's call
From the four proud provinces of Ireland


Ireland, Ireland
Together standing tall
Shoulder to shoulder
We'll answer Ireland's call.



アイルランドの叫び

その日その時今こそ来たり
我ら力と栄光ありて
誉(ほまれ)も高き四地域より
響く呼びかけ今ぞ応えん

アイルランド、アイルランド
我ら肩組み高くから立ち
祖国の声に今ぞ応えん

アイルランドの誘(いざな)う声に

アイルランド共和国・北アイルランドどちらの出身者も共に唄うことを目的に、
1995年第3回W杯南アフリカ大会より、Ireland's Callはラグビーアイルランド代表の国歌として採用。
現在は、アイルランドのホームゲームでは、Soldier's SongとIreland's Callを続けて斉唱し、アウェイや第三国の試合では、
Ireland's Callのみが演奏される。


ごく大まかな歴史
BC3世紀:ローマ帝国やゲルマン民族に欧州大陸で圧迫されたケルト民族が、ブリテン島やアイルランド島に渡来
432年:カトリックの宣教師パトリキウス(アイルランドの守護聖人聖パトリック)が渡来
6世紀:ドルイド(ケルト民族の知的エリート階級)が主導する150前後の小国が分立
7世紀:キリスト教布教とと在来の多神教文化研究が同時進行しながら融合し、アイルランドは欧州文化の中心に
9世紀:バイキングの侵略が本格化し、多くの文化遺産が消失(アイルランドには強大な王権がなく、団結してバイキングに対抗できず)
999年:マンスター王の弟ポルーがバイキングとレンスター王国の連合軍を破る(3年後に全アイルランドの王として即位するも、彼の死後は再び戦国時代に)
1171年:イングランド王ヘンリー2世がアイルランドを征服(植民者たちはアイルランドに徐々に同化)
1366年:キルケニー法により、ダブリン周辺を柵で囲ってイングランドの州とし、それ以外の地域は事実上イングランド支配から脱した状態に
1494年:イングランド王ヘンリー7世が、アイルランド人総督を罷免し、イングランド人による支配を強化
1536年:イングランド王ヘンリー8世がアイルランド王を兼任(イングランド国教会への改宗を強要)
1605年:アイルランド人領主連合による反乱がイングランドにより鎮圧(イングランド王ジェームズ1世の方針により、アルスター地方にイングランド国教やスコットランド長老派教会の信者が多数移住し、後年の火種の元に)
1641年:アルスターでカトリックの農民が蜂起し、イングランド人入植者を多数殺害(アイルランド同盟戦争勃発)
1653年:イングランドでピューリタン革命を主導したオリバー・クロムウェルによるアイルランド制服が完了(カトリック信者は神の敵として断罪され、アイルランドでは人口の3分の1が殺害又は逃亡により消失)
1727年:カトリック信者のアイルランド議会選挙権を剥奪
1782年:アイルランド議会がウエストミンスターの議会と対等とみなされ、立法の自主権を獲得
1798年:ナポレオンに援助された秘密結社ユナイテッド・アイリッシュメンの反乱が鎮圧
1800年:合邦法によりアイルランド議会が消滅し、グレートブリテン王国と合併
1829年:カトリック解放法により、カトリック信者が公職(議員を含む)に就くことが合法化
1843年:ダブリン市長ダニエル・オコンネルが主導した独立運動集会が鎮圧
1845年:欧州全土でジャガイモが疫病によって壊滅し、ジャガイモを主食とするアイルランドで大飢饉発生(約5年間で人口の3,4割が死亡又は国外脱出)
1868年:アイルランド共和国同盟(現在のIRAの前身)による暴動発生
1914年:アイルランド自治法がウエストミンスター議会で可決されるも、第一次世界大戦により棚上げ
1916年:アイルランド義勇軍やアイルランド市民軍によるイースター蜂起(アイルランド共和国建国を宣言するも、7日で鎮圧)
1919年:イースター蜂起の流れを受け継ぐシン・フェイン党が一方的に独立宣言(アイルランド独立戦争勃発)
1921年:英愛条約により、イギリス連邦を構成する自治領としてのアイルランド自由国が独立(アルスターの6県はこれに反発し、イギリスにとどまる)
1922年:英愛条約への反対勢力が武装蜂起(凄惨なテロやリンチの応酬で、犠牲者約4千人)
1949年:アイルランドがイギリス連邦から離脱し、共和制となる
1966年:北アイルランドのプロテスタント勢力がアルスター義勇軍を組織し、カトリックへのテロ行為を開始
1969年:北アイルランド各地でカトリック住民の暴動が頻発(現地警察への不信感が強く、イギリス軍が治安維持を代行)
1972年:
イギリス陸軍がロンドンデリーでデモ行進中の市民に発砲し、死者14人(この年だけで爆弾テロが1300件も起きており、イギリスは北アイルランド政府・議会を当事者能力なしとみなして廃止し、北アイルランドはイギリス政府の直轄統治下に)
1975年:IRAとイギリス政府の交渉により1年間の暫定的停戦で合意
1987年:一般市民を巻き添えにしたテロ行為の連続で、IRAへの非難が激化
1998年:ベルファスト合意により、北アイルランド議会が復活(アイルランド共和国は北アイルランドの領有権を放棄)
2013年:ベルファスト市庁舎でのイギリス国旗掲揚中止が決定(反対派による暴動事件発生)


過去のW杯戦績

1987年第1回ニュージーランド大会

ウェールズ ×6-13

カナダ ○46-19

トンガ ○32-9
オーストラリア ×15-33

(準々決勝で敗退)


1991年第2回イングランド大会

ジンバブエ ○55-11

日本 ○32-16

スコットランド ×15-24

オーストラリア ×18-19

(準々決勝で敗退)


1995年第3回南アフリカ大会

ニュージーランド ×19-43

日本 ○50-28

ウェールズ ○24-23

フランス ×12-36

(準々決勝で敗退)


1999年第4回ウェールズ大会

アメリカ ○53-8

オーストラリア ×3-23

ルーマニア ○44-14

アルゼンチン ×24-28

(プレーオフで敗退)


2003年第5回オーストラリア大会

ルーマニア ○45-17

ナミビア ○64-17

アルゼンチン ○16-15

オーストラリア ×16-17

フランス ×21-43

(準々決勝で敗退)


2007年第6回フランス大会

ナミビア ○32-17

グルジア ○14-10

フランス ×3-25

アルゼンチン ×15-30

(1次リーグ3位で敗退)


2011年第7回ニュージーランド大会

アメリカ ○22-10

オーストラリア ○15-6

ロシア ○62-12

イタリア ○36-6

ウェールズ ×10-22

(準々決勝で敗退)


1次リーグD組の国々との対戦成績(8/15現在)

カナダ(9/19カーディフ):5勝1分0敗(226得点77失点)
ルーマニア(9/27ロンドン):8勝0分0敗(346得点92失点)
イタリア(10/4ロンドン):20勝0分4敗(772得点382失点)
フランス(10/11カーディフ):31勝7分55敗(1084得点1508失点)


他の国々との対戦成績(8/15現在)
 

イングランド:47勝8分74敗(1067得点1547失点)

オーストラリア:10勝1分21敗(453得点657失点)

ウェールズ:49勝6分66敗(1332得点1441失点)
フィジー:4勝0分0敗(165得点45失点)
ウルグアイ:対戦なし

南アフリカ:5勝1分16敗(277得点432失点)

スコットランド:59勝5分66敗(1416得点1420失点)

サモア:5勝0分1敗(209得点103失点)

日本:5勝0分0敗(251得点83失点)

アメリカ:8勝0分0敗(306得点82失点)

ニュージーランド:0勝1分27敗(310得点812失点)
アルゼンチン:10勝0分5敗(331得点283失点)
トンガ:2勝0分0敗(72得点14失点)
ジョージア:4
勝0分0敗(196得点31失点)

ナミビア:2勝0分2敗(65得点52失点)

 

国名
ウェールズ語:Cymru(カムリ)
英語:Wales


ウェールズは、イングランド、スコットランド、北アイルランドとともに、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)の構成する国(Countries of the United Kingdom, Constitute Country, Home Nations)の一つで、スコットランドや北アイルランド同様、独自の議会を有しているが、法的にはイングランドと一体の存在(England and Wales)と位置付けられる。



国名の意味・由来
ウェールズ語のCymruは、仲間たちの地という意味
英語のWalesは、この地を征服したイングアンド人が、先住民のケルト人をWealh(ヨソ者)と蔑称したことに由来



国旗



赤いドラゴン:ウェールズの歴史的象徴(ドラゴンの大元は、ローマのトラヤヌス帝が現在のルーマニアやイランに遠征した際、敵の軍旗に描かれた大蛇のような動物をDracoと呼んで自国の軍旗にも採用したことに由来し、ウェールズも後に征服者ローマ軍かたドラゴンの旗を授かる)
白と緑は、リーキ(国章で詳述)の色であり、イングランドのチューダー朝時代に旗の図柄として採用



国旗

ウェールズは、イングランドの皇太子を君主とする公国(連合王国の国王はウェールズの元首ではない)であるため、連合王国国旗(ユニオンジャック)にウェールズを意味する要素は含まれない。


国章



四頭の獅子が描かれた盾:13世紀前半にウェールズを統治したルウェリン大王の紋章
リーキ(西洋ネギ):ウェールズの国花
アザミ:スコットランドの国花
シャムロック(クローバー):アイルランドの国花
赤バラと白バラ:上記チューダー朝の家紋(白バラを家紋とするヨーク朝と赤バラを家紋とするランカスター朝の薔薇戦争を終結させてイングランドを再統一したチューダー朝は、赤バラの上に白バラを重ねた図柄を家紋に使用)
王冠:イングランドの王冠で、聖エドワード王冠と呼ばれる
リボンに書かれた文言:Pleidiol Wyf I'm Gwlad(「我ら祖国にこの身捧げん」という意味のウェールズ語)



国歌

歌付き1

歌付き2


Mae hen wlad fy nhadau yn annwyl i mi,
Gwlad beirdd a chantorion, enwogion o fri;
Ei gwrol ryfelwyr, gwladgarwyr tra mâd,
Dros ryddid collasant eu gwaed.

Gwlad, gwlad, pleidiol wyf i'm gwlad.

Tra môr yn fur i'r bur hoff bau,

O bydded i'r hen iaith barhau.



我らが父祖の自由の大地
誉も高き詩人の国は
つわものたちの血にあがなわれ
我らが自由揺らぐことなし

ウェールズ、
ウェールズ!
我ら祖国にこの身捧げん

海が祖国を守れる限り
古き言の葉語らる限り



国の標語

Cymru am Byth(ウェールズよ永遠なれ)



ごく大まかな歴史

BC2500年頃:欧州大陸からの移民が巨石文化が発展

BC650年頃:ケルト民族が欧州大陸より移住

78年:ローマ軍のウェールズ征服が30年がかりで完遂(属州ブリタニアに組み込まれる)

5世紀:ローマ軍が撤退し、ウェールズ各地に地方王権が成立

757年:イングランドのマーシア国(アングロサクソン七王国のひとつ)の王オッファが、ケルト人のポーウィ王国との間に長い堀を掘る(事実上現在のウェールズとイングランドの国境に)

1258年:グウィネッズ王ルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズを統一し、Prince of Walesを名乗る(Princeとは王子ではなく大公)

1282年:イングランド王エドワード1世がウェールズを征服

1301年:エドワード1世が生まれたばかりの皇太子(エドワード2世)にPrince of Walesの称号を授ける(以来現在までイングランド皇太子がPrince of Walesとなる)

1542年:ウェールズ諸法が完成し、ウェールズは法体系・行政的にイングランドと一本化

1731年:イングランド国教会のグリフス・ジョーンズが、南西部カーマーゼンで巡回学校を開始(ウェールズ語で授業が行われたことで、ウェールズのナショナリズム向上に貢献)

1811年:ウェールズ国内の聖職者がイングランド国教会から分離してウェールズ長老派教会を設立

1850年頃:ウェールズ南部の石炭産出が本格化(あわせて製鉄業も盛んに)

1966年:アベルバン炭鉱のボタ山が崩落して近所の小学校に無数の捨石が直撃し、144人(うち116人が児童)が死亡(ウェールズの石炭産業が事実上終焉)

1979年:ウェールズ議会設置の国民投票が行われるも否決

1997年:再度国民投票でウェールズ議会設立決定(2年後に総選挙)



代表チームの愛称

Red Dragon(レッドドラゴン)



過去のW杯戦績

1987年第1回ニュージーランド大会

アイルランド ○13-6

トンガ ○29-16

カナダ ○40-9

イングランド ○16-3

ニュージーランド ×6-49

オーストラリア ○22-21

(3位)


1991年第2回イングランド大会

西サモア ×13-16

アルゼンチン ○16-7

オーストラリア ×3-38

(1次リーグ3位で敗退)


1995年第3回南アフリカ大会

日本 ○57-10

ニュージーランド ×9-34

アイルランド ×23-24

(1次リーグ3位で敗退)


1999年第4回ウェールズ大会

アルゼンチン ○23-18

日本 ○64-15

サモア ×31-38

オーストラリア ×9-24

(準々決勝で敗退)


2003年第5回オーストラリア大会

カナダ ○41-10

トンガ ○27-20

イタリア ○27-15

ニュージーランド ×37-53

イングランド×17-28
(準々決勝で敗退)

2007年第6回フランス大会

カナダ ○42-17

オーストラリア ×20-32

日本 ○72-18

フィジー ×34-38

(1次リーグ3位で敗退)


2011年第7回ニュージーランド大会

南アフリカ ×16-17

サモア ○17-10

ナミビア ○81-7

フィジー ○66-0

アイルランド ○22-10

フランス ×8-9

オーストラリア ×19-21

(4位)



1次リーグA組の国々との対戦成績(8/10現在)

ウルグアイ(9/20カーディフ):初顔合

イングランド(9/26ロンドン):56勝12分58敗(1466得点1653失点)

フィジー(10/1カーディフ):8勝1分1敗(306得点132失点)

オーストラリア(10/10ロンドン):10勝1分27敗(590得点897失点)



他の国々との対戦成績(8/10現在)
南アフリカ:2勝1分27敗(440得点814失点)

スコットランド:69勝3分48敗(1589得点1256失点)

サモア:5勝0分4敗(212得点163失点)

日本:8勝0分1敗(493得点129失点)

アメリカ:7勝0分0敗(305得点86失点)

ニュージーランド:3勝0分27敗(307得点916失点)
アルゼンチン:10勝0分5敗(428得点350失点)
トンガ:7勝0分0敗(203得点78失点)
ジョージア:対戦なし
ナミビア:4勝0分0敗(171得点69失点)
フランス:47勝3分43敗(1384得点1338失点)
アイルランド:66勝6分49敗(1441得点1332失点)
イタリア:19勝1分2敗(725得点367失点)
カナダ:11勝0分1敗(460得点207失点)
ルーマニア:6勝0分2敗(342得点96失点)

正式名称

 日本語:アメリカ合衆国

英語:United States of America

国名の意味・由来

イタリアの探検家アメリゴ・ベスプッチのラテン語名Americus Vespuciusを基に、ドイツの地図製作者マルティン・ワルトゼーミューラーが名づけたAmerigeの女性形。
日本語の合衆国は、君主が存在せず、民衆から元首を選ぶアメリカの政治制度を、明治時代初期に合衆制度と読んだことに由来。


国旗




青:正義
白:真実
赤:勇気
青・白・赤の三色は、宗主国イギリスのユニオンジャックを参考にしたという説あり
赤と白の13本の横縞:独立当時の州の数
50の白い星:現在の州の数


国璽(表側)




国務長官が国の公文書に押印する印の図柄で、英語ではGreat Seal of the United Statesと呼び、国章を意味するnational coat of armsに相当するものは、アメリカには存在しない.。



国璽(裏側)




煉瓦を13段積み上げたピラミッド:新たな国家の光を浴びる象徴
ピラミッドの上の目:「プロビデンスの目」と呼ばれ、周囲を監視する全能の神の目
上部の文言:Annuit cœptis(神は我らが意を認め給う)
下部のリボンの文言:Novus ordo seclorum(この時代の新たな秩序)



国歌


吹奏楽
オーケストラ
歌付き


The Star-Spangled Banner

O say can you see by the dawn's early light,
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming,
Whose broad stripes and bright stars through the perilous fight,
O'er the ramparts we watched, were so gallantly streaming?
And the rockets' red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof through the night that our flag was still there;
O say does that star-spangled banner yet wave,
O'er the land of the free and the home of the brave?



星条旗

見よ暁にはためける
我が誇らしき星条旗
祖国の危機を眼下に置きて
砦に立てる我らが旗を
矢弾飛び交う夜を通し
我らが旗はひるがえる
おお星条旗ここに波打つ
自由の大地、勇気の我が家
 


1814年の米英戦争の際、イギリス軍の砲撃にさらされるマクヘンリー要塞にて、星条旗が誇らしげにはためく光景を見て、弁護士のフランシス・スコット・キーが作詞。

メロディは、1780年にイギリスの作曲家ジョン・スタンフォード・スミスによる酒飲みの歌「天国のアナクレオンへ」から流用。

国歌としての正式採用は1931年。



国の標語
In God We Trust(我ら神を信ず)




ごく大まかな歴史

9世紀:先住民によるミシシッピ文化が興り、首長制国家が群立

11世紀:カナダのバフィン島に上陸したバイキングが、現在のメーン州からニューヨーク州にかけての一帯に植民地を拡大(10年程度で放棄)
1418年:ジョン・カボットが現在のワシントンDCやデラウェア州に上陸(イギリスが北米大陸を植民地化する根拠に)
1609年:オランダ東インド会社がアメリカ東海岸に上陸(5年後にニューヨーク周辺をニューネーデルラントとして植民地化)
1620年:イギリスで宗教的に迫害されたピューリタンたちがメイフラワー号で現在のマサチューセッツ州に到達し、ニューイングランドとして植民地化
1699年:五大湖周辺からミシシッピ河口までの広い範囲がフランス領ルイジアナとなる
1773年:ボストン茶会事件(イギリス本国の重税の象徴である紅茶の箱を、植民地人が貨物船から海に投棄)
1776年:独立宣言採択
1783年:パリ条約でイギリスから独立を承認され、ミシシッピ川以東のルイジアナを領有
1803年:フランスよりミシシッピ川以西のルイジアナを買収
1814年:米英戦争終結(経済的に欧州から自立を果たすとともに、イギリスに味方した多くの先住民が土地を奪われ大量虐殺)

1819年:フロリダをスペインから買収
1836年:メキシコ領テキサスを共和国として独立させる(9年後に併合)
1846年:イギリスとのオレゴン条約によりカナダとの国境を画定させ、オレゴン、ワシントン、アイダホ州に相当する地域を領有
1848年:米墨戦争に勝利し、メキシコからカリフォルニア、ユタ、ネバダ、アリゾナ州等を割譲させ、現在のアメリカ本土が完成
1865年:南北戦争終結
1867年:ロシアからアラスカを買収
1898年:ハワイ王国を併合
1929年:ブラックマンデーで世界大恐慌発生
1945年:第二次世界大戦勝利
1959年:アラスカとハワイが州に昇格し、現在の50州が完成
1989年:冷戦終結
1991年:湾岸戦争
2001年:9.11同時多発テロ、アフガニスタン侵攻
2003年:イラク侵攻
2008年:リーマンショックで世界金融危機
2011年:イラクより米軍完全撤退



 

代表チームの愛称
Eagles(イーグルス)

 国の象徴である白頭鷲に由来
 


過去のW杯戦績

1987年第1回ニュージーランド大会

 日本 ○21-18  

オーストラリア ×12-47

イングランド ×6-34  

(1次リーグ3位で敗退)

  

1991年第2回イングランド大会

 イタリア ×9-30  

ニュージーランド ×6-46

イングランド ×9-37  

(1次リーグ4位で敗退)


1999年第4回ウェールズ大会

 アイルランド ×8-53  

ルーマニア ×25-27 

オーストラリア ×19-55

(1次リーグ4位で敗退)


2003年第5回オーストラリア大会

フィジー ×18-19  

スコットランド ×15-39

 日本 ○39-26  

フランス ×14-41

 (1次リーグ4位で敗退)


2007年第6回オーストラリア大会

 イングランド ×10-28  

トンガ ×15-25

 サモア ×21-25  

南アフリカ ×15-64

 (1次リーグ5位で敗退)


2011年ニュージーランド大会
アイルランド ×10-22

ロシア ○13-6

オーストラリア ×5-67

イタリア ×10-27

(1次リーグ4位で敗退)




W杯米州予選の戦績

カナダ(H) ×9-27

カナダ(A) ×11-13

ウルグアイ(A) △27-27

ウルグアイ(H) ○32-13

(3次予選2位でW杯本大会出場権獲得)



1次リーグB組の相手との対戦成績(7/12現在)
サモア(9/20ブライトン):0勝0分3敗(53得点71失点)

スコットランド(9/27リーズ):0勝0分4敗(50得点181失点)

南アフリカ(10/7ロンドン):0勝0分3敗(42得点145失点)
日本(10/11グロスター):12勝1分7敗(585得点443失点)


他の国々との対戦成績(6/21現在)
オーストラリア:0勝0分7敗(68得点321失点)
イングランド:0勝0分5敗(52得点253失点)
ウェールズ:0勝0分7敗(86得点305失点)
フィジー:1勝0分5敗(97得点143失点)
ウルグアイ:12勝1分1敗(438得点211失点)
ニュージーランド:0勝0分5敗(56得点308失点)
アルゼンチン:0勝0分3敗(15得点171失点)
トンガ:1勝0分6敗(98得点188失点)
ジョージア:3勝0分1敗(109得点75失点)
ナミビア:対戦なし

フランス:1勝0分6敗(93得点181失点)
アイルランド:0勝0分8敗(82得点306失点)
イタリア:0勝0分4敗(54得点130失点)
カナダ:12勝1分38敗(716得点1191失点)
ルーマニア:6勝0分1敗(189得点76失点)


通称
サモア語:Samoa

英語:Samoa



正式国名
日本語:サモア独立国

サモア語:Mālō Sa'oloto Tuto'atasi o Samoa

英語:Independent State of Samoa


国名の意味・由来
saは場所を示すポリネシア語の接頭辞で、
Moaはポリネシアの創造神タンガロアの息子モアが語源。

タンガロアがモアを鳥の姿で地に向かわせたところ、一面の海で休息する場もなかったので、タンガロアが岩を投げ込み、それがサモア諸島になったという神話に由来。




国旗



赤:勇気

青:自由

白:純潔

南十字星:宗主国だったニュージーランドより継承



国章



オリーブや赤い二重円は、国際連合の旗がモデル

(独立前は国連信託統治領だったことに由来)


国歌

オーケストラ

歌付き1

歌付き2


Samoa, tula'i ma sisi ia lau fu'a, lou pale lea;
Samoa, tula'i ma sisi ia lau fu'a, lou pale lea;
Vaai i na fetu o loo ua agiagia ai;
Le faailoga lea o Iesu na maliu ai mo Samoa

Oi, Samoa e, uu mau lau pule ia faavavau.
'Aua e te fefe, o le Atua lo ta fa'a vae, o lota sa'olotoga.
Samoa, tu'la'i, ia agiagia lau fu'a lou pale lea.


汝冠たるサモアの旗を
頭上に掲げ立ち上がれ

波打つ旗に輝く星は
サモアの明日の象徴なりて
おおサモア、 永遠(とわ)に
自由を

神のお創り給う汝に

恐れるものの何ぞあらんや

培われたる高貴な自由

汝冠たるサモアの旗を
頭上に掲げはためかせ




ごく大まかな歴史
BC11世紀:ポリネシア人がサモア諸島に到達?

1722年:オランダの探検家ヤコブ・ロッフェヘーンがサモア諸島を発見

1830年:ジョン・ウィリアムス率いるロンドン宣教教会がサバイイ島に上陸(イギリス、アメリカ、ドイツによる勢力争いが本格化)

1886年:第一次サモア内戦海戦(事実上アメリカとドイツの戦争)

1899年:第二次サモア内戦が終結し、サモア諸島の西部はドイツ領、東部はアメリカ領となる(東部は今でもアメリカの準州・自治領)

1908年:サモア人による第一次マウ運動開始(独立を目指した非暴力運動)

1914年:第一次世界大戦でニュージーランド軍がサモア諸島西部からドイツ軍を駆逐(5年後に国際連盟の委任統治領に)

1929年:黒い土曜日事件(マウ運動家のトゥプア・タマセセ・レアロフィがニュージーランドの警官に殺され、住民の反発が拡大)

1945年:国連信託統治領として、引き続きニュージーランドの統治下に

1962年:ニュージーランドとの友好条約調印により、西サモア(サモア語でSamoa i Sisifo)として独立

1970年:イギリス連邦に加入

1997年:国号を現在のサモア独立国に変更

2002年:ニュージーランドのヘレン・クラーク首相が、サモア独立40周年記念式典で、黒い土曜日事件についてニュージーランド政府として初めて謝罪
2009年:首都アピアの南方を震源としたマグニチュード8.1の大地震で、183人が死亡

2011年:標準時をグリニッジから13時間先に変更し、日付変更線の西側に移動(サマータイムでは世界で最も早く日付の変わる国に)



国の標語
Fa'avae i le Atua Samoa(神がサモアとともにあらんことを)


代表チームの愛称
Manu Samoa(マヌー・サモア)

マヌーはサモアに伝わる勇者


過去のW杯戦績

第2回イングランド大会

ウェールズ ○16-13

オーストラリア ×3-9

アルゼンチン ○35-12

スコットランド ×6-28

(準々決勝で敗退)


第3回南アフリカ大会

イタリア ○42-18

アルゼンチン ○32-26

イングランド ×22-44

南アフリカ ×14-42

(準々決勝で敗退)


第4回ウェールズ大会

日本 ○43-9

アルゼンチン ×16-32

ウェールズ ○38-31

スコットランド ×20-35

(プレーオフで敗退


第5回オーストラリア大会

ウルグアイ ○60-13

グルジア○46-9

イングランド ×22-35

南アフリカ ×10-60

(1次リーグ3位で敗退)


第6回フランス大会

南アフリカ ×7-59

トンガ ×15-19

イングランド ×22-44

アメリカ ○25-21

(1次リーグ4位で敗退)


第7回ニュージーランド大会

ナミビア ○49-12

ウェールズ ×10-17

フィジー ○27-7

南アフリカ ×5-13

(1次リーグ3位で敗退)



1次リーグB組の相手との対戦成績(6/21現在)
アメリカ(9/20ブライトン):3勝0分0敗(71得点53失点)

南アフリカ(9/26バーミンガム):0勝0分8敗(93得点385失点)

日本(10/3ミルトン・キーンズ):11勝0分3敗(477得点247失点)
スコットランド(10/10ニューカッスル):1勝1分8敗(133得点236失点)


他の国々との対戦成績(6/21現在)
オーストラリア:1勝0分4敗(58得点204失点)
イングランド:0勝0分7敗(100得点244失点)
ウェールズ:4勝0分5敗(153得点212失点)
フィジー:18勝3分28敗(798得点924失点)
ウルグアイ:1勝0分0敗(60得点13失点)
ニュージーランド:0勝0分5敗(56得点308失点)
アルゼンチン:3勝0分1敗(111得点82失点)
トンガ:24勝2分16敗(864得点635失点)
ジョージア:1勝0分1敗(61得点25失点)
ナミビア:2勝0分2敗(89得点25失点)
フランス:0勝0分3敗(41得点104失点)
アイルランド:1勝0分5敗(103得点209失点)
イタリア:5勝0分2敗(175得点109失点)
カナダ:5勝0分0敗(165得点72失点)
ルーマニア:対戦なし

通称
ゲール語:Alba
スコットランド語:Scotland
ラテン語:Caledonia
英語:Scotland

正式国名
日本語:スコットランド王国
ゲール語:Rìoghachd na h-Alba
スコットランド語:
Kinrick o Scotland
英語:
Kingdom of Scotland

ゲール語は
印欧語族ケルト語派に属し5世紀にアイルランドから移民したケルト民族の言語
スコットランド語は印欧語族ゲルマン語派西ゲルマン語群に属し、11~16世紀頃の英語に、から分離したもので、英語のスコットランド方言とは別言語と位置づけられる

国名の意味・由来
Scotlandは、アイルランドから移住したケルト民族のスコット人に由来
ゲール語のAlbaは、白を意味するラテン語のalbusが、グレートブリテン島全体を意味するAlbionに転じたことに由来
ラテン語のCaledoniaは、樹木が多いという意味で、現代も詩的なスコットランドの国号として使われる


国旗



白い斜め十字:十二使徒の聖アンデレ(スコットランドの守護聖人)が、斜め十字に磔にされて殉教したことに由来
青の地色:由来や色の意味は不明(斜め十字の旗は世界でもほとんど例がなく
、この色が定着したのは17世紀になってから)
ユニオンジャック(イギリス国旗)としての地色は紺だが、スコットランド単体の国旗は、より明るい青


国章



後足立ちのライオン:12世紀の国王ウィリアム1世が定めた、スコットランド王のシンボル
花の縁飾りは、国家のアザミ


国歌

バグパイプ
歌付き


Flower of Scotland

O Flower of Scotland,
When will we see your like again,
That fought and died for,
Your wee bit Hill and Glen,
And stood against him,
Proud Edward's Army,
And sent him homeward,
Tae think again.

Those days are past now,
And in the past they must remain,
But we can still rise now,
And be the nation again,
That stood against him,
Proud Edward's Army,
And sent him homeward,
Tae think again.


スコットランドの花

スコットランドのアザミの花よ
我ら再び汝を見るは
戦い抜いて死ぬるときなり
汝のほんのひとかけら
谷丘陵にその姿あり

奢る暴君エドワード
尻尾を巻いて退却し

悪しき野望を断念す

栄えし日々は過去となりても
確かに在りし我らが祖国

我ら今こそここに再起し
強き祖国の民として

ここに果たさん、独立を

奢る暴君エドワード
尻尾を巻いて退却し

悪しき野望を断念す


フォークシンガーグループ「ザ・コリーズ(The Corries)」のロイ・ウィリアムソンが作詞作曲し、1967年に発表。

1991年の五ヶ国対抗ラグビーのイングランド戦で、スコットランドの国歌として斉唱され、2年後にはサッカーのスコットランド代表も国歌として位置づけ、1997年に正式なスコットランド国歌となる。

アザミがスコットランドの国花となったのは、13世紀にスコットランドに侵攻したノルウェー兵が、アザミのトゲを踏んで悲鳴を上げたことで夜襲に失敗し、スコットランドの勝利に終わった故事に由来。



ごく大まかな歴史
84年:ローマ軍が先住民ピクト人の連合王国軍を破り、ブリテン島を平定
132年:ローマ皇帝ハドリアヌスが長城を築き、長城より北の支配を放棄(事実上イングランドとスコットランドの国境に)
500年頃:アイルランドからスコットランド西部に移住したスコット人がダルリアダ王国を建国
846年:ダルリアダ王ケネス1世が東隣のアルバ王国を征服(実質的スコットランド国家の創設)
1296年:イングランド王エドワード1世(国歌の歌詞にある暴君エドワード)がスコットランドを征服
1297年:ウィリアム・ウォーレス率いるスコットランド軍が、スターリング・ブリッジの戦いでイングランド軍を破る(ウォーレスは8年後に刑死)
1314年:ロバート・ブルース率いるスコットランド軍が、バノックバーンの戦いでイングランド軍を撃退
1320年:国王ロバート1世がアーブロース宣言を採択し、正式にイングランドからの独立を宣言(8年後にイングランドと平和条約締結)
1329年:スコットランドの王位継承争いにイングランドが介入し、第二次スコットランド独立戦争勃発(捕虜になった国王を回復するためのイングランドへの身代金支払により、スコットランド経済が疲弊)
1371年:ロバート・ブルースの血統が断絶し、摂政ロバート・スチュアートによってスチュアート朝開始(イングランドの侵略や貴族の権力闘争が繰り返される暗黒時代に)
1567年:スコットランド女王メアリー・スチュアートが、自らの結婚に反発する反乱軍に敗れて廃位(翌年イングランドへ亡命)
1587年:イングランド女王エリザベス1世がメアリー・スチュアートを処刑(メアリーが血筋によりイングランド王位継承権を主張したため)
1603年:スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王ジェームズ1世として即位し、イングランドとスコットランドは同君連合に(王や有力貴族のロンドン移住により、スコットランドの荒廃がさらに深刻化)
1650年:オリバー・クロムウェル率いるイングランドの清教徒革命軍がスコットランドを征服
1707年:連合法によりイングランドとスコットランドの議会が統合し、スコットランドは自ら独立を放棄(グレートブリテン王国が成立)
1715年:
ジョン・アースキン率いるジャコバイト(名誉革命への反対派)が反乱を起こすも鎮圧
1746年:フランスの援助を受けたジャコバイトの反乱が鎮圧(ロンドン政府はスコットランドの氏族制度を解体)
1960年:北海油田発見(長年低迷したスコットランド経済の回復とともに、イングランドへの対抗意識再燃への契機に)
1998年:前年の国民投票により、スコットランド議会が復活
2014年:スコットランド独立の国民投票が反対多数で否決


国の標語
In My Defens God Me Defend(神は自ら守るものを守る)
Nemo me impune lacessit(「我に触れ無事に帰れる者はなし」を意味するラテン語)


過去のW杯戦績

1987年第1回ニュージーランド大会

フランス △20-20

ジンバブエ ○60-21

ルーマニア ○55-28

ニュージーランド ×3-30

(準々決勝で敗退)


1991年第2回イングランド大会

日本 ○47-9

ジンバブエ ○51-12

アイルランド ○24-15

西サモア 〇28-6

イングランド ×6-9

ニュージーランド ×6-13

(4位)


1995年第3回南アフリカ大会

コートジボワール ○89-0

トンガ ○41-5

フランス ×19-22

ニュージーランド ×30-48

(準々決勝で敗退)


1999年第4回ウェールズ大会

南アフリカ ×29-46

ウルグアイ ○43-12

スペイン ○48-0

サモア 〇35-20

ニュージーランド ×18-30

(準々決勝で敗退)


2003年第5回オーストラリア大会

日本 ○32-11

アメリカ ○39-15

フランス ×9-51

フィジー ○22-20

オーストラリア ×16-33

(準々決勝で敗退)


2007年第6回フランス大会

ポルトガル ○56-10

ルーマニア ○42-0

ニュージーランド ×0-40

イタリア ○18-16

アルゼンチン ×13-19

(準々決勝で敗退)



2011年第7回ニュージーランド大会

ルーマニア ○34-24

グルジア ○15-6

アルゼンチン ×12-13

イングランド ×12-16

(1次リーグ4位で敗退)




1次リーグB組の相手との対戦成績(6/21現在)
日本(9/23グロスター):4勝0分0敗(221得点45失点)
アメリカ(9/27リーズ):4勝0分0敗(188得点50失点)
南アフリカ(10/3ニューカッスル):5勝0分20敗(270得点652失点)
サモア(10/10ニューカッスル):8勝1分1敗(236得点133失点)


他の国々との対戦成績(6/21現在)
オーストラリア:9勝0分16敗(330得点671失点)
イングランド:42勝18分73敗(1158得点1585失点)
ウェールズ:48勝3分69敗(1256得点1589失点)
フィジー:5勝0分1敗(182得点145失点)
ウルグアイ:1勝0分0敗(43得点12失点)
ニュージーランド:0勝2分28敗(332得点900失点)
アルゼンチン:6勝0分9敗(309得点268失点)
トンガ:3勝0分1敗(136得点58失点)
ジョージア:1勝0分0敗(15得点6失点)
ナミビア:2勝0分0敗(192得点13失点)
フランス:34勝3分51敗(1057得点1243失点)
アイルランド:66勝5分59敗(1420得点1416失点)
イタリア:15勝0分8敗(524得点416失点)
カナダ:4勝0分1敗(138得点57失点)
ルーマニア:11勝0分2敗(475得点192失点)

通称
アフリカーンス語:Suid-Afrika
ズールー語:iNingizimu Afrika
南ンデベレ語:iSewula Afrika
北ソト語:Afrika Borwa
ソト語:Afrika Borwa
スワジ語:iNingizimu Afrika
ツォンガ語:Afrika-Dzonga
ツワナ語:Rephaboliki ya Aforika Borwa
ベンダ語:Afurika Tshipembe
コサ語:uMzantsi Afrika
英語:South Africa

 
正式国名
日本語:南アフリカ共和国
アフリカーンス語: Republiek van Suid-Afrika
ズールー語: IRiphabliki yaseNingizimu Afrika
南ンデベレ語: IRiphabliki yeSewula Afrika
北ソト語: Rephaboliki ya Afrika-Borwa
ソト語: Rephaboliki ya Afrika Borwa
スワジ語: IRiphabhulikhi yeNingizimu Afrika
ツォンガ語: Riphabliki ra Afrika Dzonga
ツワナ語: Rephaboliki ya Aforika Borwa
ベンダ語: Riphabuḽiki ya Afurika Tshipembe
コサ語: IRiphabliki yaseMzantsi Afrika
英語: Republic of South Africa

国旗






赤:アパルトヘイトとの戦いで流された血潮

青:空と海

緑:農業と森林資源

黄:鉱物資源
黒:黒人

白:白人

Yの字を横に倒したように見えるが、実際はV(Victory)で、あらゆる人種民族の共生の象徴




国章






 

麦の穂:豊かな国土の発展

象牙:英知、強さ

盾とその上で交差する槍と棍棒:防衛精神と権威

盾に描かれた人間:南ア国民の人間性の象徴(コイサン諸族の壁画に由来)

盾の上にある花(国花のプロテア):美しさとアフリカの将来性

ヘビクイワシ:闘争

日の出:自然の力と生きる力の象徴



国歌

吹奏楽

オーケストラ

歌付き1

歌付き2



Nkosi Sikelel' iAfrika
Maluphakanyiswu phondo lwayo
Yizwa imithandazo yethu.
Nkosi sikelela
Thina lu sapholwayo.


Morena boloka Sechaba sa heso
O fedise dintwa le matshwenyeho.
O se boloke O se boloke.
SeChaba sa heso.
SeChaba sa.
South Afrika, South Afrika. 


Uit die blou van onse hemel,
Uit die dieptevan ons see,
Oor ons ewige gebergtes
waar die kranse antwoord gee. 


Sounds the call to come toghether,
and united we shall stand,
Let us live and strive for freedom
in South Africa, our land. 


緑はコサ語、赤はズールー語、紫はソト語、青はアフリカーンス語、茶は英語。

コサ語、ズールー語、ソト語の前半部は、エノック・ソントンガが作詞作曲した"Nkosi Sikelel' iAfrika"(主よアフリカに祝福を)という黒人の讃美歌で、その後反アパルトヘイトの歌となる。

アフリカーンス語と英語の後半部は、コルネリウス・ランゲンホーフェン作詞作曲による"Die Stem van Suid-Afrika"(南アフリカの叫び)といい、アパルトヘイト時代の国歌。

1994年に両方の歌が国歌となり、1997年に短縮して現在の形となる。


主よアフリカに祝福を
我らの祈る角笛響き
祈りの声を聴き給え
主の御心に導かれ
家族とならん、アフリカは

 

主よ、我が国を守り給え
戦乱の世を終わらせ給え
守り給えよ、我ら民人
守り給えよ、南アフリカ


遥かな青き大空と

無限の海の彼方より
民を誘う鐘の音聞こえ
朽ちぬ山超え崖にこだます


共に来れと声鳴りわたり
我ら手とりていざ立ち上がる
我らが南アフリカの地で
生き戦わん、自由のために



国家標語
ke e: ǀxarra ǁke(様々な人々が一致協力する)

上記標語はコイサン族のカム語だが、既に言語としては絶滅



ごく大まかな歴史
約300万年前:アウストラロピテクスが生息

4世紀頃:バンツー系民族が南下し、先住のコイコイ族やサン族を追い払い、各部族の小首長国が並立

1448年:バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到着(初めて欧州人が南アフリカに到達)

1652年:オランダ東インド会社による入植開始(オランダ系移民はアフリカーナーを自称)

1795年:イギリスがケープ植民地を占領(正式にイギリス領になったのは1814年)

1852年:アフリカーナーがトランスバール共和国を建国

1854年:アフリカーナーがオレンジ自由国を建国

1879年:イギリスが北東部のズールー王国を滅ぼす

1881年:第一次ボーア戦争でトランスバールがイギリス軍を撃退

1902年:第二次ボーア戦争でオレンジとトランスバールの独立喪失

1910年:大英帝国を構成する自治領として南アフリカ連邦が発足(アフリカーナーの広範な自治が認められ、アパルトヘイトが本格化)

1921年:第一次世界大戦でドイツから奪ったナミビアを、国際連盟の委任により統治開始(1960年に国連信託統治期限終了後も1990年まで不法に統治を継続)

1959年:バンツー自治法が制定され、アパルトヘイトが正式に法制化

1961年:アパルトヘイト批判に反発してイギリス連邦を離脱し、南アフリカ共和国に改称

1975年:アンゴラ内戦に介入(キューバ軍との戦争が泥沼化し、1991年に撤退)

1976年:ソウェトでの黒人蜂起を弾圧(国連による非難決議で国際的に孤立化)

1980年:ローデシアの白人政権が崩壊して黒人国家ジンバブエとして独立(反共アパルトヘイトの友好国が消失し、ますます孤立)

1991年:フレデリク・デクラークが大統領に当選し、民主化路線に転換(2年後にアパルトヘイトに関する全ての法制が消失)

1994年:史上初の全人種民族参加の総選挙でアフリカ民族会議が勝利し、ネルソン・マンデラが大統領就任

1995年:ラグビーW杯を開催

2010年:サッカーW杯を開催



代表チームの愛称

Springboks(スプリングボクス)

ジャージーに描かれたスプリングボック(レイヨウの一種)に由来



過去のW杯戦績

1995年第3回南アフリカ大会

オーストラリア ○27-18

ルーマニア ○21-8

カナダ ○20-0

西サモア ○42-14

フランス ○19-15

ニュージーランド ○15-12

(優勝)


1999年第4回ウェールズ大会

スコットランド ○46-29

スペイン ○47-3

ウルグアイ ○39-3

イングランド ○44-21

オーストラリア ×21-27

ニュージーランド ○22-18

(3位)


2003年第5回オーストラリア大会

ウルグアイ ○72-6

イングランド ×6-25

グルジア ○46-19

サモア ○60-10

ニュージーランド ×9-29

(準々決勝で敗退)


2007年第6回フランス大会

サモア ○59-7

イングランド ○36-0

トンガ ○30-25

アメリカ ○64-15

フィジー ○37-20

アルゼンチン ○37-13

イングランド ○15-6

(優勝)


2011年第7回ニュージーランド大会

ウェールズ ○17-16

フィジー ○49-3

ナミビア ○87-0

サモア ○13-5

オーストラリア ×9-11

(準々決勝で敗退)



1次リーグB組の相手との対戦成績(6/14現在)
日本(9/19ブライトン):初顔合わせ
サモア(9/26バーミンガム):8勝0分0敗(385得点93失点)
スコットランド(10/3ニューカッスル):20勝0分5敗(652得点270失点)
アメリカ(10/7ロンドン):3勝0分0敗(145得点42失点)
 
他の国々との対戦成績(6/14現在)
オーストラリア:45勝1分34敗(1552得点1391失点)
イングランド:23勝2分12敗(780得点592失点)
ウェールズ:27勝1分2敗(814得点440失点)
フィジー:3勝0分0敗(129得点41失点)
ウルグアイ:3勝0分0敗(245得点12失点)
ニュージーランド:35勝3分51敗(1392得点1718失点)
アルゼンチン:18勝1分0敗(728得点361失点)
トンガ:2勝0分0敗(104得点35失点)
ジョージア:1勝0分0敗(46得点19失点)
ナミビア:2勝0分0敗(192得点13失点)
フランス:22勝6分11敗(783得点578失点)
アイルランド:16勝1分5敗(432得点277失点)
イタリア:12勝0分0敗(599得点145失点)
カナダ:2勝0分0敗(71得点18失点)
ルーマニア:1勝0分0敗(21得点8失点)
通称
ポルトガル語:Portugal(ポルトゥガル)
英語:Portugal(ポーチュグル)


正式国名

日本語:ポルトガル共和国
ポルトガル語:República Portuguesa
英語:Portuguese Republic


国名の由来

北部の港町ポルト(Porto)一帯を支配していた、ポルタス・カレ(穏やかな港という意味)という一族の名が語源


国旗



緑:誠実、希望、航海者たち
赤:共和国成立の革命


国章



天球儀:大航海時代の栄光、天体観測技術
盾の縁の七つの城:13世紀に国王アフォンソ3世がイスラム勢力から奪った城
小さな青い五つの盾:建国者アフォンソ1世が打倒した5人のイスラム勢力の王(青はブルゴーニュ家の家紋である青十字に由来)
青い盾の中の五つの白い点:王の財産
緑と赤のリボン:共和政の象徴


国歌
吹奏楽
オーケストラ
歌付き1
歌付き2


A Portuguesa

Heróis do mar, nobre povo,
Nação valente e imortal,
Levantai hoje de novo
O esplendor de Portugal!
Entre as brumas da memória,
Ó Pátria, sente-se a voz
Dos teus egrégios avós,
Que há-de guiar-te à vitória!

Às armas, às armas!
Sobre a terra, sobre o mar,
Às armas, às armas!
Pela Pátria lutar!
Contra os canhões, marchar, marchar!



ポルトガルの歌

海の英雄、気高き民よ
勇ましきかな不滅の国よ
おおポルトガル、今ぞ来たれり
その栄光を高めん時が
追憶たどる霧の彼方に
祖国の声は聞こえたり
かくも偉大な父祖による
勝利導く雄叫びが

いざ武器取りて立ち上がれ
大地大洋駆けめぐり
祖国のために戦わん
砲銃(ほづつ)恐れずいざ進め



ごく大まかな歴史
(イスラム勢力による征服までは、スペインについての記述 を参照)
866年:イベリア半島北西部のアストゥリアス王国の貴族ビマラ・ペレスが、現在のポルトガル北部の地でポルトゥカーレ伯として封じられる
1095年:ブルゴーニュ公家のエンリケ・で・ボルゴーニャが、カスティージャ王アルフォンソ6世によりポルトゥカーレ伯領を与えられる(事実上のポルトガル建国)
1139年:エンリケの嫡子アフォンソ1世がムスリムのムラービト朝を破り、ポルトガル王として即位
1143年:カスティージャ=レオン王国がポルトガル王国の独立を承認
1147年:現在の首都リスボンをイスラム勢力から奪取
1255年:リスボンに遷都(この時期にイスラム勢力をポルトガルから駆逐)
1385年:ボルゴーニャ朝が断絶し、アビス朝のジョアン1世が即位
1414年:ジョアン1世の三男エンリケ航海王子が北アフリカのセウタを制圧(エンリケはアフリカ航路を開拓し、大航海時代の基礎を構築)
1488年:バルトロメウ・ディアスがアフリカ最南端の喜望峰に到達
1498年:バスコ・ダ・ガマが第1回航海でインドに到達
1500年:ペドロ・カブラル率いる船隊がブラジルやモザンビークに到達
1510年:インド総督アフォンソ・デ・アルブケルケがゴアを征服(翌年マラッカ王国も征服し、香辛料貿易の拠点に)
1532年:ブラジルの植民地化本格スタート
1580年:アビス朝が断絶し、スペイン王フェリペ2世がポルトガル王を兼任(独立回復は88年後)
1807年:ナポレオンによって征服され、リオデジャネイロに一時遷都(ブラジルが15年後に独立する契機に)
1828年:絶対王政に対する国民の反発や王位継承争いが火を噴いて内戦突入(イギリスの援助を受けた自由主義派の勝利で6年後に終結)
1910年:10月5日革命でマヌエル2世が廃位され、ポルトガルは共和国に
1932年:アントニオ・サラザールが首相就任(徹底的な恐怖政治で世界中から批判州ちゅう)
1968年:サラザールが昼寝中にハンモックから転落して意識不明となり引退
1974年:カーネーション革命により民主化(アンゴラ、ギニアビサウ、モザンビークを放棄)
1976年:カーネーション革命後の政治的混乱が終結
1986年:欧州共同体加盟
1999年:マカオを中国に返還し、海外領土を全て喪失


代表チームの愛称
A Seleção das Quinas(セレソン・ダス・キナス)
Seleçãoは選択を意味する普通名詞
Quinasは国章に描かれた盾


過去のW杯戦績

1966年イングランド大会
ハンガリー ○3-1
ブルガリア ○3-0
ブラジル ○3-1
北朝鮮 ○5-3
イングランド ×1-2
ソ連 ○2-1
(3位)

1986年メキシコ大会
イングランド ○1-0
ポーランド ×0-1
モロッコ ×1-3
(1次リーグ4位で敗退)

2002年韓国・日本大会
アメリカ ×2-3
ポーランド ○4-0
韓国 ×0-1
(1次リーグ3位で敗退)

2006ドイツ大会
アンゴラ ○1-0
イラン ○2-0
メキシコ ○2-1
オランダ ○1-0
イングランド △0-0(PK3-1)
フランス ×0-1
ドイツ ×1-3
(4位)

2010南アフリカ大会
コートジボワール △0-0
北朝鮮 ○7-0
ブラジル △0-0
スペイン ×0-1
(決勝トーナメント1回戦で敗退)


W杯以外の主な実績

欧州選手権:出場6回
 準優勝1回(2004年)
 準決勝進出3回


今回のW杯予選戦績

欧州予選F組(2位)
ルクセンブルグ(A) ○2-1
アゼルバイジャン(H) ○3-0
ロシア(A) ×0-1
北アイルランド(H) △1-1
イスラエル(A) △3-3
アゼルバイジャン(A) ○2-0
ロシア(H) ○1-0
北アイルランド(A) ○4-2
イスラエル(H) △1-1
ルクセンブルグ(H) ○3-0

プレーオフ
スウェーデン(H) ○1-0
スウェーデン(A) ○3-2


1次リーグG組の相手との対戦成績
(5/5現在)
ドイツ(6/16サルバドール):3勝5分9敗(16得点25失点)
アメリカ(6/22マナウス):2勝1分2敗(5得点5失点)
ガーナ(6/26ブラジリア):初顔合わせ


他の国々との対戦成績(5/5現在)
ブラジル:4勝3分13敗(16得点39失点)
クロアチア:3勝0分0敗(6得点0失点)
メキシコ:1勝1分0敗(2得点1失点)
カメルーン:対戦なし
スペイン:6勝13分16敗(41得点72失点)
オランダ:7勝4分1敗(15得点7失点)
チリ:1勝1分0敗(5得点2失点)
オーストラリア:0勝1分0敗(0得点0失点)
コロンビア:対戦なし
ギリシャ:4勝4分5敗(16得点18失点)
コートジボワール:0勝1分0敗(0得点0失点)
日本:対戦なし
ウルグアイ:1勝1分0敗(4得点1失点)
コスタリカ:対戦なし
イングランド:3勝10分9敗(25得点45失点)
イタリア:4勝2分18敗(21得点51失点)
スイス:6勝5分9敗(25得点30失点)
エクアドル:1勝0分1敗(5得点3失点)
フランス:5勝1分16敗(27得点46失点)
ホンジュラス:対戦なし
アルゼンチン:1勝1分5敗(6得点13失点)
ボスニア・ヘルツェゴビナ:3勝1分0敗(8得点2失点)
イラン:2勝0分0敗(5得点0失点)
ナイジェリア:対戦なし
ベルギー:5勝6分5敗(19得点21失点)
アルジェリア:対戦なし
ロシア:5勝1分2敗(13得点8失点)
韓国:0勝0分1敗(0得点1失点)
通称
スペイン語:Honduras(オンドゥラス)
英語:Honduras(ホンデュラス)


正式名称
日本語:ホンジュラス共和国
スペイン語:Republica de Honduras
英語:Republic of Honduras


国名の由来
スペイン語で深さを意味するhonduraが語源
(コロンブスがこの地に到達した際に、錨を降ろしたら海底まで届かなかったことに由来)


国旗



青:海、空、友愛
白:平和と純潔への希求
左の星:グアテマラとエルサルバドル
右の星:ニカラグアとコスタリカ
真ん中の星:ホンジュラス
この5ヶ国がスペインから独立して中米連邦を構成していたことに由来


国章



楕円の左右の花束のようなもの:豊穣の角(ギリシャ神話に由来する豊かさと食べ物の象徴)
ピラミッド:自由と平等
ピラミッド手前の城:国家の防衛と独立
二つの白の間の火山:かつての中米連邦
目玉:神による人間への監視
山に掘られたトンネル:石灰岩の石切り場(マヤ文明期)
山の上の松(国樹)と樫:豊かな自然
楕円の下の耕作道具:豊かな自然


国歌
オーケストラ

歌付き


Himno Nacional de Honduras

Tu bandera tu bandera
es un lampo de cielo
por un bloque por un bloque
de nieve cruzado;
y se ven en su fondo sagrado
cinco estrellas de palido azul;
en tu emblema, que un mar rumoroso
con sus ondas bravias escuda,
de un volcan de un volcan,
tras la cima desnuda
hay un astro hay un astro
de nitida luz.

Por guardar ese emblema divino,
Marcharemos Oh! Patria a la muerte,
Generosa sera nuestra suerte,
Si morimos pensando en tu amor.
Defendiendo tu santa bandera
Y en tus pliegues gloriosos cubiertos,
Seran muchos, Honduras tus muertos,
Pero todos caeran con honor.

Tu bandera tu bandera
es un lampo de cielo
por un bloque por un bloque
de nieve cruzado;
y se ven en su fondo sagrado
cinco estrellas de palido azul;
en tu emblema, que un mar rumoroso
con sus ondas bravias escuda,
de un volcan de un volcan,
tras la cima desnuda
hay un astro hay un astro
de nitida luz.



汝の旗は天光なりて
空に輝き雪をも覆う
諸人見たる聖き間に間に
青く輝く五つの星よ
荒ぶる海の波に守られ
山の頂描かれし盾
これぞ汝が守りししるし
澄みたる光放てる星よ

神の標章守らんがため
我らは進む、地獄といえど
我が行く末は寛容たらん
汝が愛を思いて死なば
聖なる旗を断固守りて
清き無垢なる白衣まといて
おおホンジュラス、多くの民が
名誉とともに命捧げん



国家標語
Libre, Soberana, Independiente(自由、主権、独立)


ごく大まかな歴史
BC13世紀:オルメカ文明勃興
BC3世紀:マヤ文明勃興
426年:マヤ文明の中心都市コパン(世界遺産)で初代王キニチ・ヤシュ・クック・モが即位
822年:コパン王朝崩壊
1502年:コロンブスが4度目の航海で、欧州人として初めてホンジュラスの地に到達
1524年:アステカを滅ぼしたエルナン・コルテスにより、ホンジュラスはスペイン植民地のグアテマラ総督領に編入
1821年:グアテマラ総督領がスペインから独立し、ホンジュラスはグアテマラ、ニカラグア、コスタリカ、エルサルバドルとともに中央アメリカ連合州を構成
1824年:中央アメリカ連合州が中米連邦に改組(保守派のグアテマラと自由主義派のホンジュラス、エルサルバドルの対立で内戦に)
1838年:中米連邦が崩壊し、ホンジュラス共和国として独立
1888年:首都テグシガルパとカリブ海沿岸に鉄道開通(アメリカ資本によるバナナのプランテーションが盛んに)
1896年:ニカラグア、エルサルバドルとともに中米大共和国を結成(2年後に空中分解)
1907年:ニカラグア軍にホンジュラス全土を制圧される(アメリカの仲介で撤退)
1929年:世界大恐慌でバナナ産業が大打撃を受け、労働争議が頻発に(当時は世界のバナナ生産量の3分の1がホンジュラス産)
1933年:ティブルシオ・カリアス将軍がクーデター(第二次世界大戦後もクーデター頻発)
1957年:ニカラグア東部の油田をめぐり国境紛争
1960年:旧中米連邦各国と中米共同市場を形成(エルサルバドルの工業製品が流入し、ホンジュラスは貿易赤字に)
1969年:エルサルバドルとのサッカー戦争(発端はW杯予選での乱闘だが、バナナ農園のエルサルバドル人労働者をホンジュラスが強制送還する等で、両国関係は爆発寸前だった)
1979年:ニカラグアで社会主義革命(ホンジュラス国内には反革命を支援する各国の軍隊が駐留)
1981年:民政移管
2009年:改憲で任期の終身化を狙ったマヌエル・セラジャ大統領が、クーデターにより失脚


代表チームの愛称

*Los Catrachos(カタラーチョス)
 19世紀中期にニカラグアを乗っ取った、アメリカ人傭兵ウィリアム・ウォーカーによる侵略を撃退した、フロレンシオ・ハトルチ(Xatruch)将軍率いる軍団が、Los Catrachosと呼ばれたことに由来(以来ホンジュラス人は自らをCatarachoと呼ぶ)

*La Bicolor(バイカラー)
 青白二色の国旗に由来


過去のW杯戦績


1982年スペイン大会
スペイン △1-1
北アイルランド △1-1
ユーゴスラビア ×0-1
(1次リーグ4位で敗退)

2010年南アフリカ大会
チリ ×0-1
スペイン ×0-2
スイス △0-0
(1次リーグ4位で敗退)


W杯以外の主な実績


CONCACAFゴールドカップ(北中米カリブ海選手権):出場17回
 優勝2回(1981、91年)
 準優勝1回(1995年)
 3位2回、4位2回、準決勝進出3回

コパ・セントロアメリカーナ:出場12回
 優勝3回(1993、95、2011年)
 準優勝3回、3位2回

コパ・アメリカ(南米選手権):出場1回
 3位1回(2001年)


今大会予選の戦績

北中米カリブ海3次予選C組(1位)
パナマ(H) ×0-2
カナダ(A) △0-0
キューバ(A) ○3-0
キューバ(H) ○2-0
パナマ(A) △0-0
カナダ(H) ○8-1

北中米カリブ海4次予選(3位)
アメリカ(H) ○2-1
メキシコ(H) △2-2
パナマ(A) ×0-1
コスタリカ(A) ×0-1
ジャマイカ(H) ○2-0
アメリカ(A) ×0-1
メキシコ(A) ○2-1
パナマ(H) △2-2
コスタリカ(H) ○1-0
ジャマイカ(A) △2-2


1次リーグE組の相手との対戦成績
(5/4現在)
フランス(6/15ポルトアレグレ) 初顔合わせ
エクアドル(6/20クリチーバ) 2勝8分3敗(13得点14失点)
スイス(6/25マナウス) 0勝1分0敗(0得点0失点)


他の国々との対戦成績
(5/4現在)
ブラジル 1勝1分4敗(6得点21失点)
クロアチア 対戦なし
メキシコ 6勝6分16敗(24得点53失点)
カメルーン 対戦なし
スペイン 0勝1分1敗(1得点3失点)
オランダ 対戦なし
チリ 2勝0分4敗(10得点12失点)
オーストラリア 対戦なし
コロンビア 6勝4分4敗(13得点11失点)
ギリシャ 対戦なし
コートジボワール 対戦なし
日本 0勝1分1敗(7得点8失点)
ウルグアイ 1勝1分0敗(3得点2失点)
コスタリカ 18勝19分19敗(72得点89失点)
イングランド 対戦なし
イタリア 対戦なし
アルゼンチン 0勝0分1敗(1得点3失点)
ボスニア・ヘルツェゴビナ 対戦なし
イラン 対戦なし
ナイジェリア 対戦なし
ドイツ 対戦なし
ポルトガル 対戦なし
ガーナ 対戦なし
アメリカ 4勝3分14敗(20得点36失点)
ベルギー 対戦なし
アルジェリア 勝分敗(得点失点)
ロシア 対戦なし
韓国 0勝0分2敗(0得点7失点)