村上春樹の短編「ドライブマイカー」の中で

主人公が、「ワーニャ伯父さん」のセリフを

車の中で練習している場面がある。

それで興味を持ったのもあり

ワーニャ伯父さんの劇を観に行ってみた。

 

人生の大半を妹の夫である教授のための

労働で費やしてきたワーニャ伯父さん。

かつては教授を崇拝し、その支えになることを名誉に感じてきたが

彼が崇拝してきた教授の書物は実は空虚で実体のないものだと感じ始めているワーニャ。

教授は若いエレナという妻と再婚し、人生を謳歌しているようにワーニャからは

見えている。

エレナに横恋慕するワーニャ伯父さんだが

当然のように玉砕。

しかも、自分が大切に守ってきた領地を売却して有価証券にかえると

いう教授。

それを自分に対する裏切りのように感じたワーニャ伯父さんは

ある行動に出るのだが・・。

 

 

平穏な日常の中に

異分子が紛れ込んできて

その日常がかき乱され

感情もかき乱される。

自分の人生は何だったんだろう?

自分で選んだはずの道だったけど

自分が削られているように感じる。

自分が搾取されているように感じる。

というワーニャ伯父さんの気持ちは誰でも多かれ少なかれ

感じることがあると思うが

他人の人生に自分をゆだねてしまうことの

危険性やとりかえしのつかなさも感じた。

 

理不尽を乗り越えるすべを

彼の姪のソー二ャが語ってくれる。

 

日常のそこかしこに事件は起こる。

そんな時

 

「ドライブマイカー」の家福のセリフにもあったが

 

人は演技する。

別の人格になる。

また日常に戻る。

もとの人格に戻る。

しかし、戻ったとき

その立ち位置はほんの少し違っている。

見える風景も少しだけ違うのかな?