「多動」という言葉を

はじめて聞いたのは、

短大の時だった。

保育科の授業の中で小児発達だったか

何かの講義でその言葉を知った。

だが

その時はその言葉の意味が

よくわからなかった。

多い動きと書いて多動。

それくらいの認識しかなかった。

その数年後自分の子を通して

その実像を思い知らされるとは

思いもしなかった。

 

いくつか幼いころの

印象的だった出来事を

思い出してみると

①あるとき、家から忽然といなくなり、

慌ててあてもなく探し回ったら、

立体駐車場の中を走り回っている長男の姿を発見し、

抱きかかえてつかまえなんとか無事だった。

②診察中に、病院から飛び出し、「看護師が見てますから大丈夫です」と

医師に言われてカウンセリングを続けていた。

だが、終わってみたら、彼はいなくなっていて探し回ったら

病院の外に飛び出していた。

③どしゃふりの日に家からパジャマ姿で家を飛びだす。

この時は、十キロくらい離れた実家の母の家に行っていた。

ずぶ濡れだった。

この日は1日二回この行動があった。

④夕方おそくに、家からいなくなる。

この日は、以前一度だけ行ったことのある焼き鳥屋のカウンターでポツネンと座っていた。

店の人はあとから親がくるものと思ったらしく、ウーロン茶を出してくれていた。

5⃣車道の中央分離帯をジグザグに走っていたところを

親切な人に発見され警察に送り届けられる

6⃣来客中に、その来客の靴をはいたまま、突然いなくなる。

最寄りの駅から電車にのり、三区間先の駅で降りたところを発見される。

⑦移動介助のヘルパーさんと外出中にいなくなる。数キロ離れた遊園地の入り口で発見される

 

などなど、やらかしたことの

「ほんの一部」を

思い出してみても

命の危険に及ぶような出来事が

あった。

障がいがわかったときは

「神様はいないんじゃないか」と思ったけど

多動なのに

命がここまであったのは

神様が守ってくれたとしか思えない。

まっすぐ前へ前へと

振り向きもせず走る長男。

走って追いかけてる姿を

見た人は、むしろ私の方がアブナイ人に見えたことだろう。

 

あの頃、家の中にいても

常に動いていて

一か所にいても、飛び跳ねているので

フローリングの床が

割れたのだ。

同じ場所で飛びはねると

フローリングって割れるものなんだと

感心してる場合じゃないのに

感心してしまった。

 

今は成人して

多少、動きはおさまったけど

それでも大変さは相変わらずだ。

でも、昔の

長男を知っている人は

今の長男を見ると

それでも

「落ち着いたね」

と言う。

そして

「ちょっとオジサンになったね」

とも言う。