「資本論」第1巻第1編第1章 商品の冒頭
「資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現れ、個々の商品はこの富の成素形態として現れる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。」

大学一年の夏、「資本論」くらい読まなくて「大学」に入ったとは言えない、と誰かに言われて、岩波書店の分厚い一冊を購入して、この部分を読み始めたはいいものの、全く理解できず、挫折した😱

40年以上の時を隔てて、再挑戦。

熊野純彦氏の助けを借りながら。
彼は、ハイデガーの「存在と時間」完訳(岩波文庫)カントの三大批判書個人訳、レヴィナスの「全体性と無限」(岩波文庫)
最近では「本居宣長」など、驚くべき仕事をしている哲学者。

この冒頭の文章の中の二回の「現れ」

英訳では、どちらも appears
 
熊野は「マルクス 資本論の思考」(2013年刊行)ではどちらも「現象し」と訳しているが、
「マルクス 資本論の哲学」(2018年刊行)では
最初のを「あらわれて」とし、2回目を「現象している」と変えている。

この微妙な変更に、いったい何が隠されているのか…(何もないかもしれないが…)

ムターのベートーヴェン ヴァイオリンソナタを聴きながら🎶

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