日本ブログ村に参加しています
よろしければクリックお願いします
2024/02/15(木)
ジョイフル羽生店から移動してきました
風車が見えるが、駐車場の先が公園になっている
見沼元圦公園
見沼元圦公園は、見沼代用水の元圦跡(もといり、用水の取り入れ口)や、そこから続く流路跡を公園として整備したものである。見沼代用水の右岸(西側)に沿った南北約400mの細長い形状になっている。
車を駐車場に置いて、利根川側にある大堰自然の観察室を見に行きます
見沼元圦公園は、観察室の後に行ってみます
国道59号線を渡り利根川に向かっていると祠がありました
見沼代用水元圦公園というらしいです
公園というより原っぱです
元圦鎮守弁財天
見沼五弁財天の一つで樋守弁財天と井沢弥惣兵衛(井沢祠)が合祀されているそうです
井沢弥惣兵衛さんは、祠に祀られるほど地元のヒトから慕われた方なんですネ
八代将軍の徳川吉宗に認められた水奉行の井沢弥惣兵衛は見沼の開発の際に、用水路要所に弁財天社を設置し(星川弁天と加田屋弁天)、代用水路工事の安全と豊作を祈願しました。
また、見沼代用水の沿路には、地元の人々が建立した水の神様(弁財天、水神宮)や供養塔、観音像など、数多くの古い石仏が現存します。
祠の左右にある石碑は、今までの改修記念碑のようです
甦った見沼代用水
見沼代用水がそれまで農業用水主体であったのを水道用水主体に切り替えるため、多目的用水路として改修工事が行われ、その完成の記念碑
埼玉合口2期事業として
八間堰、十六間堰、柴山伏越、瓦葺懸樋の記述があり、十六間堰を除く3施設は、明治から大正にかけて、煉瓦造りで改修されてる。
見沼代用水元圦の沿革
見沼代用水は享保12年(1727)8代将軍徳川吉宗公の新田開発計画にもとづいて、幕府勘定所吟味役井沢弥惣兵衛為永によって開発され、現在の行田市から東京都に至る17市区町村の水田約15,000haを灌漑している。
開発当時の元圦(用水取入口)は木造であり、以来元圦及び増圦の2口で取水していたが、明治39年(1906)1口のレンガ造りに改造し、昭和13年、34年に一部改造したが、同43年(1968)利根大堰からの取水開始に伴って、元圦は廃止するに至った。
当改良区は見沼代用水元圦公園を設け、碑を建てて史跡を後世に伝える。
昭和52年3月 見沼土地改良区
独立行政法人水資源機構 利根導水総合事業所のある利根川寄りに移動しました
利根導水のあらまし
利根川だけではなく、東京湾に注ぐそれぞれの川が導水管理されているんですネ
利根大堰部分の拡大
これから行く利根大堰の拡大
利根大堰で利根川の流水量を調節して埼玉県側の用水路に流しているのだ
利根導水のあらましの看板前にある長いベンチ
2018年、利根導水管理50周年支援寄付金で作製され寄附されたもの
この長椅子に見学の小学生たちが座って、利根導水のあらましの説明を受ける写真が利根導水総合事業所のHPに載っていた
利根大堰 施設見学案内図
独立行政法人水資源機構 利根導水総合事業所本館の屋上から、取り込まれた水が各用水路に分かれて流れる様子が見られるそうです
見学は自由とのこと
利根川の土手に出た
目に見える範囲で土手がこれだけ真っすぐってことは、利根川もそれなりに真っすぐってことになる
武蔵水路の入り口
武蔵水路として、利根大堰から利根川の水を運び、鴻巣市で荒川に注ぐ全長14.5kmの水路
都市用水及び浄化用水として利根川の水を首都圏に運ぶことを目的としている
昭和30年代後半から渇水が続き、東京オリンピック直前には深刻な水不足となり、真夏の首都は、「東京砂漠」と言われるほどの厳しい状態だったが、昭和42年(1967年)3月完成した武蔵水路により、かなり解消された
利根大堰(とねおおぜき)
利根川下流の水量調節、農業用水の確保、東京都・埼玉県への都市用水の供給、荒川の水質浄化などを目的とする利根導水路事業の根幹として作られている
12門の門扉よりなる可動式堰で、全長691.7メートル、可動部分495.4メートル、取水口の幅127メートル、取水量毎秒137立方メートル
利根大堰の手前に大堰自然の観察室があるので行ってみます
白い柵にある階段を降りるようです
大堰自然の観察室
ガラスの向こう側は利根川の水流
水流はかなりの勢いがある
利根川の水を引き込んで、サケそじょう調査が出来るように作ってある
サケそじょう調査で過去最大のサケ
シロサケの雄で90cm以上ある
利根川下流側からみた利根大堰
水流調節をしているのが良くわかる
車を停めた駐車場に戻ってきました
折角なので見沼元圦公園を覗いてみました
西洋風車のオブジェ
なぜ、ここに風車のオブジェがあるのだろう
井戸
これも、なぜあるのか不明
吊橋
アスレチック用みたい
歩いてみたけど、かなり横揺れがする
ロープの手すりを持つように奥さんに言われたが、フリーで渡り切った
怪我をしては元も子もない、とたしなめられた・・・
帰りは武蔵水路の横の道を走って国道17号へ
18時を過ぎたころ帰宅
an end!!
日本ブログ村に参加しています
よろしければクリックお願いします