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2023/01/10(火)

この先が江ノ島岩屋です

ここの海岸は稚児ヶ淵

神奈川の絶景60選だそうです

遠くに富士山が見える

 

富士山

真っ青な海がキレイです

 

岩屋橋

この橋の突き当りが岩屋です

 

橋の上からみた稚児ヶ淵と富士山

釣りをしてます

あんなところで釣りをして大丈夫かといつも気になります

きょうは波はあまり高くないですが・・・

 

 

江の島岩屋

入場料は一人500円でした

 

ところで、江ノ島と思っていたがここでは江の島岩屋と書かれている

どっちが正しいの?

ネット情報ですが、

「表記が混在する大きな理由は、1966年に住所表記が「江之島」から「江の島」に変更されたことが理由のようです。ただ現在は『江の島』の表記に統一しています」。そう話すのは(公社)藤沢市観光協会の担当者。

66年以前に江ノ島と表記しているところは、そのまま残っているところもあるので混在しているようです

例として駅名は、02年開業の江ノ島電鉄「江ノ島駅」、29年開業の小田急「片瀬江ノ島駅」、統一後の71年に開業した湘南モノレール「湘南江の島駅」と分かれる。

一応、納得した

 

 

江の島岩屋の説明板

江の島岩屋

江の島岩屋は波によって削られて形成された洞窟で、弁財天信仰及び江島神社発祥地とされています。

弘法大師や日蓮上人、 源頼朝など多くの高僧や武将が岩屋を訪れて、祈願のため岩屋に籠ったといわれています。
昔は夏になると岩屋に海水が入ってくるので、四月から十月の間は岩屋本宮の 御神体を山の上の本宮御旅所(今の奥津宮) に一時的に移していたとされます。
現在の岩屋は奥行152mの第一岩屋と 56mの第二岩屋に分かれており、第一岩屋は富士山の氷穴につながっていると伝わるなど、数々の伝説が存在する洞窟です。

 

 

 

 

洞窟内

すぐ階段がある

 

階段を降りると

両側に展示物

 

展示物を代表して1枚

江の島の昔

岩屋の昔の外観が展示されていた

今の立派な橋に比べると、たいそうお粗末な橋だった

 

進むと突き当り

左は第一岩屋、右が第二岩屋

順番的には第一から見学します

 

与謝野晶子の謳った歌碑

沖つ風 吹けばまたゝく 蝋の灯に 志づく散るなり 江の島の洞

歌集『青海波』に収録されているそうです

平成14年(2002)に岩屋にたてられた石碑で与謝野晶子が 明治44年(1911)7月に詠んだもの

 

 

 

 

貸し出してくれた手燭

突き当たりを左に曲がってちょっと進んだところで手燭(ロウソク)を無料で貸し出してくれました

この灯りを頼りに進みます

 

 

観覧順序

ここから第一岩屋は二つに分かれていて、左から先に進みます

①→②→③の順

 

第一岩屋が二股に分かれているところ

中央に赤矢印で示した観覧順序図がある


左側には仏像が並んでました

主に坐像です

 

 

代表して

弁財天坐像

外国人観光客用に英語表記もありました

 

 

 

二股の右側には

江島神社の発祥の場所

552(欽明13)年、欽明天皇の勅命でここに神様を勧請したのが江島神社の始まりと言われている

 

戻ってきて

第二岩屋へ進みます

 

一旦外に出ました

朝日を受けて海が輝いてます

 

 

第二岩屋へ向かう途中

振り返ると絶壁

第一岩屋の出口が見える

 

亀石

大きな亀が竜宮城へと帰っていくかのように見える

この亀石は、対岸の片瀬地区にある中村石材の先代、中村亀太郎氏がノミをふるったものと伝わっている

 

 

第二岩屋

 

ライトアップされた第二岩屋内部

点灯したり消灯したりしていました

 

龍神

一番奥には江ノ島の象徴でもある龍神が祀られていました

 

 

 

帰りにもう一度富士山を拝む

きのうからの風もおさまって天気にも恵まれました

 

稚児ヶ淵からこの長い階段を昇ってきました

長い階段なので、途中で休憩するヒトも多いです

 

魚見亭

階段を昇り切ったところにあるお店

つい寄りたくなる、立地条件の良いお店

前回岩屋に来たときは、階段を昇り切った後にここで休憩して冷たいビールをいただいたのを思い出しました

 

仲見世通りの湘南デニムストリートテイクアウトコーナー

土曜日の昼8チャンネルでやっているぶらサタのロケに遭遇

デニムソフトを求めてやってきたみたい

背の高い女性は、元バレーボール選手

 

 

 

昼食予定のお店へ

お食事処ネーチョイト 11時15分着11時50分発

こちらのお店で早めのお昼

ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春スペシャルで紹介されたそうです

 

ゴリラのぬいぐるみ

目印に店頭に置いてあります

バイクの荷物置きの上に乗っていました

綱を締めてマスクをしている

 

 

 

店内の壁に貼られた写真

ロケ時の記念写真や社内旅行の記念写真など、いろいろありました

 

アジフライ定食 1000円

かなり歩いて消費量が高かったので、刺身よりボリュームのあるフライをチョイス

した私

 

お刺身定食 1700円

奥さんは、フライは好みではないので刺身にしたようです
 

 

お世話になった駐車場を出発

12時20分発


こちらにやってきました
観音崎公園 第1駐車場 13時30分着14時30分発

平日は無料です

土日祝日は550円

 

観音崎公園案内図

ここを散策します

でも、午前中おさまっていた風が強くなっている


観音崎の石碑


右に見えるのは灯台ではなく電波塔

 

 

風も強いし午前中にそれなりに歩いたので、

灯台まで行って戻って来る予定

赤〇が駐車場

赤□が灯台

チョットした山なので体力消耗しました

 

船が停まっているのか進んでいるのかわかりません

波も荒い

海沿いの風は強い

 

 

観音像を祀る祠

行基上人による観音像の建立と観音崎のいわれ
観音像及び観音崎については、次のように言われています。
天平13年(西暦741年)の春、行基上人がこの地を訪れました。当時、この海蝕洞窟には白い大蛇が住んでおり、山一帯住む鴉とともに、沖行く船に危害を加えておりました。行基上人は泣き悲しむ村人のために、大蛇と鶏を退治するとともに、観音像を彫り、これを洞窟のそばに納めたところ、海は平穏になり、以後、漁師たちは安全に漁ができるようになりました。村人達はこれを観音様のご利益と考え、お堂を建設し観音像を祀るようになりました。
観音像は地元の村人や漁師だけでなく、浦賀水道を行き交う全ての船舶乗組員にも愛され、いつしか人々は、この地を観音像に守られた岬「観音崎」と呼ぶようになりました。

 

 

 

 

 

灯台の入口

ここから登りです

 

岩にへばりついている木々

風の勢いで木々がもげそう

 

灯台

日本最初の洋式灯台としてフランス人技師F.L.ヴェルニーにより建設されたもの

灯台に上れますが300円必要です

 

大きな切り通し

近くに砲台跡もあって、軍事用に整備されたもののようです

砲台跡には寄っていません

 

海の向こうに見えるのは

たぶん横浜?

 

目的の灯台までは来たので車に戻ります

観音崎公園全体を散策すると半日はかかると思うのですが、風が強いので断念

 

駐車場で車中泊も考えましたが、この時間なら高速を使えば夕方までには帰宅可能なので帰ることにした
横浜新道、第三京浜、環八を使って自宅へ

16時45分着

 

奥さんに江の島岩屋を楽しんでもらうことを目的とした車中泊でした

私は2回目でしたが、岩屋は洞窟内にあるだけに一層神聖な場所と感じられ、機会があればまた訪れてみたい場所です

走行距離 184.5km

 

 

 

 

an end!!

 

 

 

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