周囲がにわかに騒がしくなり、目が覚めた。
寝ぼけていて居場所が分からなくなり、焦る。
となりに座った浅黒い肌の男性が窓の外を眺めていた。
そこで機内にいることを思い出した。ジャングルマラソンの行われるブラジル・サンタレン行きのフライトだ。
窓際の乗客がみな眼下に広がる風景に目を奪われている。
僕も横から首を伸ばして外の様子をのぞき見る。
遠くに見える地平線は緑色。どこまでも森が続く。緑を分断するのは気まぐれに枝分かれした大河だけ。ここが1週間を過ごすジャングルなのかもしれない。窓から目を離せなかった。
サンパウロを発った飛行機は9月末に北部の都市サンタレンに到着。空港からアマゾン川にそそぐ支流、タパジョス川に面したリゾート地アウテル・ド・ションに向かった。
ここで2晩を明かし、船に乗って、スタート地点となるキャンプ地「カザ・デ・フーリオ」を目指すのだ。
リゾート地に着き、サンパウロ滞在中に両替し忘れていたことに気づく。2日間を過ごすには所持金がこころもとない。日本円からブラジルの通貨、レアルに両替できるところを探すが見当たらない。宿泊したコテージのオーナーに聞くと、サンタレン周辺では空港、銀行でも両替できないとのこと。宿代はなんとか払えるが、食費すらほとんど残らない。
ジャングルの手前で早くも不測の事態に遭遇。とはいえ、手元に現金がないのは学生時代から慣れている。コンクリートジャングル東京で4年間を過ごしてきたのだ。金がない時は自炊に限る。さいわい、物価は安かったので、調理すれば味はともかく腹はふくれるはず。乾燥ひじきと白米でしのいでいた貧乏生活は無駄ではなかった。
食材を探してにぎやかな広場をぶらつく。前方にいたアジア系の顔立ちをしたモヒカンの男性とおっとりした女性から声をかけられた。
「日本の方ですか」
風貌は怪しいが、耳慣れた日本語に警戒心が緩む。
聞くと、男性もジャングルマラソンに出場するそうだ。
ニックネームはコウちゃん。4月にサハラマラソンを完走しているつわものだ。女性は妻のマルさんで、ボランティアスタッフとして大会運営に携わる。
彼らはチームで出場するといい、近くにいたメンバーの紹介を受けた。
3人が合流して紹介を受けた。
メガネがトレードマークのかごしマン、紅一点のダンスインストラクターあっちゃん、ミュージシャンのマサオ君。詳細はおいおい。
僕を含め、全員が30代のランナーと分かり、同年代で意気投合。厚かましくも両替してもらい、買い出し前に、ブラジルにおける私的通貨危機が解決した。
出発日の午後9時過ぎに、船着き場に向かった。
街灯のない砂浜に小さな明かりが見える。3階建ての船だった。入り口でスタッフが名前をチェックしている。
ほとんどの選手が素通りする中、僕だけが呼び止められた。
リストに名前がないという。自分でも名簿を見せてもらって確かめるが、どこにもない。
出場登録したと説明しても、名前がないと首を横に振られる。
押し問答に苛立つスタッフ。降りろと言われないだろうか。笑顔でごまかして乗ろうとする。内心は冷や汗だらだら。小心者には厳しい状況だ。
何度目かのやり取りの後、主催者に問い合わせて名前が漏れていたことが分かった。
1年前に出場登録する選手もいる一方、僕は締め切り間際に申し込んだため、情報が行き届いていなかったらしい。
乗船するまでに一苦労。ジャングルにいたる道は一筋縄でいかない。
船上には、ほとんどの選手が既にそろっていて、あちこちから話し声が聞こえてきた。
ちょっとしたパーティー会場のよう。短パンにヘッドライト着用と、ドレスコードが少々特殊だが。
各階に小部屋はなく、デッキの柱にハンモックをつるして寝床を確保する。ハンモックがこれから先のベッドになる。
空きのない1階から階段を上がり2階へ。空いている柱にロープを結び、蚊帳つきのハンモックを設置。両端を結ぶロープに蚊帳がかけられ、寝床の生地とつながっている。蚊帳の上に雨よけのシートをかけることもでき、宙づりの小型テントに近い。
蚊帳と寝床部分の境目にあるチャックを開けて中にもぐり込む。1週間を過ごす寝室は十分に足を伸ばせて、なかなか快適だ。
船は定刻の11時を過ぎても出航する気配すらない。レースのことを考えると不安と興奮が入り混じり、なかなか寝付けなかった。
砂浜の奥にぽつんと浮かんだ街灯が目に入った。川面はかすかな月明かりに照らされ、かろうじて波打っていると分かる。
どこからともなく、いびきと寝息が聞こえる。誰かのいびきが止むと、代わりが近くから聞こえてくる。不意に船が揺れた。午前2時過ぎ、とうとう出発だ。
街灯がゆっくりと遠ざかり、暗闇に消えてゆく。力強いエンジン音を聞きながら、いつの間にかまどろんでいた。