SLUSH ASIA スピーチ 福岡にアジアのハブのスタジオ計画 日本語バージョン | TAKUYAオフィシャルブログ「転がれ ボクモ キミモ」Powered by Ameba

SLUSH ASIA スピーチ 福岡にアジアのハブのスタジオ計画 日本語バージョン

以下、僕のスピーチの日本語での英語の17分に翻訳、編集してない文章になります。

ちなみに原文はもっと長くて、専門用語も多いので、そちらは又そのうち発表します。


SLUSH ASIA 原文
--------------------------------------

{7E4E8375-5344-4C46-8816-3C0DDE7EFAF9:01}


{65B04B5A-E2F3-4DB0-A344-AD1D7EADAA2C:01}




TAKUYA

THE MUSIC AWAKENS


来るべきハイレゾ音楽配信時代に適応した場所
アジアの音楽ビジネスのハブとなるトップエンドの
ライブ配信可能なミュージックスタジオの建設

INTRODUCTIN
ぼくの名前はタクヤです。
1993年 Judy and maryのギターリストとして6枚のアルバム22枚のシングルをリリース。
アルバム、シングルともにミリオンセラー記録、
2001年東京ドームのライブをもって
バンド解散後はギターリスト、音楽プロデューサーとして活動してます。

ABOUT MR.SAKUMA

まずはぼくの話のまえに
ぼくの師匠という存在の佐久間正英さん、
という人を紹介させてください。

佐久間さんは1970年代の中盤から1980年の頭にかけて
PLASTICSというテクノ・ポップバンドで
世界のメジャーレーベルと契約、
世界規模で活躍されたマルチミュージシャンです。

1981年、PLASTICS解散後、
佐久間さんはプレイヤーではなく、
プロデューサーとして音楽とかかわることになります。
そうして、産まれた音楽は
おそらく、みなさん、一度はきいたことのある
BOOWY、BLUE HEARTS といったビックアーティスト。
1990年代のバンドがヒットするための
ひとつの条件が「佐久間さんがプロデュースすること」
であったそうです。
そうして、ぼくが所属していたJUDY AND MARYをはじめ
数々のアーティストを世に出してきました。


{F7B8F913-8CF7-4F01-8180-02E323406429:01}



MR. SAKUMA’S INFLUENCE

JUDY AND MARYの2枚目のアルバム制作で佐久間さんと
初めてであった22歳のぼくは、
それこそ、「ギターの弾き方」から学ぶことになります。
「ロックとはフィーリングだ!」という周囲の人たちと違い、
「エレキギターとは音楽信号なんだから、
 物理的にこの磁石に対して
 どういう振動を当てると、磁場がこのようにゆれる」
と、すべてを物理的に説明してくださるのです。

佐久間さんとのJUDY AND MARYのアルバム制作は
ぼくにとってギターだけでなく、
曲作りやアレンジ、そしてレコーディング技術。
すべてが新鮮で音楽教室のような場でした。
1ギタリストでしかなかった僕が、彼の背中を見ているうちに
音楽プロデューサーという職業に
憧れ始めるのにさほど時間は掛かりませんでした。

その佐久間さんは2014年、永眠されます。
その1年前、佐久間さんが書いた、
あるブログの記事が音楽関係者の中で話題となります。


WHEN TO QUIT BEING MUSICIAN

http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html

:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
10年ほど前まで一枚のアルバムを作るには1200~1500万の予算がかかった。
その内訳はスタジオ代、エンジニア代、レンタル機材費、
外部ミュージシャンを頼んだ場合のギャランティやアレンジ料等、プラス雑費。
実際の商品にするにはこれプラス・マスタリング代、
その後のプレスやジャケットにまつわる経費、宣伝費なども加わってくる。

この予算が抑えられると言うことは何かを削る事にしかならない。
そしてその”何か”とは無駄を押さえることギャラやスタジオ代の交渉に留まらず、
残念ながら『音楽の質』を落とすことになる。
もしこのまま、より良い音楽制作に挑めないのなら
僕が音楽を続ける必然はあまり見あたらないと思えてしまう。
そんな風にして今音楽家は音楽を捨てるべきかの岐路に立たされている。
(佐久間さんのブログより抜粋)
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

僕がある日、一生懸命作った曲が200円程度で
ネットで売られているのは
安すぎるとツイートしてことがありました。
そのツイートに対して、あるフォロワーから、
CDでアルバム約670メガとして
11曲入りで1曲約60メガより
1/10くらいまで圧縮された
5メガ程度の情報量の曲が安くて当たり前だと指摘されたのです。
作り手側のとは全く違う指摘に
目から鱗が落ちました。
確かに彼の言うとおりだと思ったのです。

DIGITIZATION

佐久間さんが指摘した
「音楽制作費」のコストダウンは
音楽制作環境のデジタル化によるもの。
デジタル化はJUDY AND MARYの成長とともに加速していき、
ぼくはその渦中にいました。

それまで1億円もしていた大型コンソールが
1997年、Pro Tools 24 リリースによって必要となくなり、
定価3800万円していたデジタルテープレコーダーも
2002年、Pro Tools HD リリースにより、その役割を終えます。
つまり、最低でも1億4千万円が必要だった、
プロレベルのレコーディング機材が
数百万のコストで揃うことになりました。
これにより、世界中で音楽制作環境に
コストダウンの嵐が吹き荒れます。
自宅でも音楽制作環境が作れるようになる一方で、
わざわざ、高いお金を払ってスタジオを借りる必要もなくなり
ネット時代到来によるCD売り上げの不振による、
レコードレーベルの予算削減も重なり、
プロユースのスタジオが経営にいきづまり、
次々と閉鎖していきます。
コストダウンのおかげで誰もが音楽を作れるようになった一方で
「音楽の質」を保ったまま録音できる環境も失ってしまったのです。

WHAT MAKES GREAT SOUND 

いま、オーディオ、レコーディング業界で話題となっているハイレゾ。
ぼくはいまから13年前、31歳のときにニューヨークのThe Hit Factoryという
今はなき有名なスタジオで96khzという高解像度での
DSD(Direct Stream Digital)方式でのレコーディングを経験します。
このレコーディングは僕のキャリアの中でも最も困難なものでした。
96khzという解像度が鮮明すぎて、
それまでの僕の技術では荒すぎて全然OKテイクが録れないのです。
音楽をハイレゾ環境で録音するには、
響きを共鳴させるって行為は
もっと繊細で緻密なプレイの上で成り立っていたのです。
ただ、このニューヨークのスタジオの部屋で弾いた音は素晴らしいものでした。
これまでとほぼ同じ機材でプレイをしているのに、
それまでぼくが録音していた、
日本のスタジオとは全く違う音がするのです。
部屋に響きが共鳴し、自分のプレイがすごくよく聞こえるのです。
それは、一方で、プレイの未熟さもシビアに聞こえることを意味します。
ぼくだけでなく、同行したドラマーも自分の叩いたシンバル等の音が、
ちゃんと聴こえることで、これまで日本のスタジオでプレイして
抱えていた問題が解決した!響いて幸せだ!と感動していたほど。

どうやら、日本のスタジオは
「外に音が漏れない」ことを美徳とする文化背景から
吸音防音することがスタジオであるという考え方で
作られていることがわかりました。
つまり、音が漏れないことをいいことに、
大音量で鳴らすことができるというものです。
日本では大音量=良い音という解釈だったのです。
たとえ、小さな音でもよく聞こえる、
ニューヨークの響きが共鳴する部屋とは全く正反対の性格の部屋です。
ニューヨークでぼくはこれまでの大音量=良い音という認識を改め、
本当の「良い音」と出会ったのです。

PURSUIT OF PERFECTION

「良い音」の基準をつかめたぼくは
その基準をもとに試行錯誤を繰り返していくことで
日本でも「良い音」を作るために
必要な条件を整理していきました。
その条件とはこのようなものです。

●良い音楽を録音するのに必要な事。

①自分が今やっているプレイが明確に聴こえること。
 (その音が再生出来るモニターシステムとその環境。
  環境には良質な電源供給システムも含まれる。)

②良いプレイ
 (これには時間と努力が必要)

③良い楽器
 (レコーディングに対応出来る楽器。
  そしてチューニングが安定していること)

④吸音しすぎない良い響きのするスペース
 (天井の高さ、壁、床等の材質、形状、
   スピーカーの大きさに適した広さ。)
⑤適切なマイキング
(マイク→ヘッドアンプ→コンプレッサー→AD変換まで)

⑥最新のコンピューターとソフト、編集技術。
 それを補佐するアナログ音楽機材



この⑤⑥にはビンテージアナログ機材、1970年代80年代のNeve 1073、1081等が欠かせない。

この前後にもさまざまな機材は開発されてますが、
人間が心地よいと感じる上級な歪みのあるサウンドになることは
大ヒットした70,80,90年代のほぼ全ての曲のどこかで
必ずこれらが使われていることから歴史が証明しています。


そして良い音を録音する為の課題と
全体構造をおおむね理解できたぼくは
念願のプライベートスタジオの建設をスタートさせます。
ボーカルや、アコースティックギター等、
スペースを必要としない、小音量の録音。
そして、大音量でスタジオ録音したものを
ハードディスクにデータ化することによって
トラック編集、ミックスも大げさなスタジオを借りずにできること。
こんなコンセプトで僕のスタジオ 54it(go for it)が完成しました。

{C7E83ACB-3357-417D-BCFE-D609FBA063B7:01}



このスタジオの音はぼくの「いい音」の基準となった
The Hit Factory社長Troy Germano(トロイ・ゲルマーノ)氏も
実際に聞いて「うちより音がいい」というものになりました。


WHAT I HAD TO DO TO CAPTURE GOOD SOUNDS IN JAPAN

①天井の高さの確保 。
 マンションの一室でありながら、4mの天井高があります。

②音が乱反射する構造。
 コーティングされてない木の床、
 壁面は漆喰いの粗塗りによって平面を作らないつくり。

③電源
 ここはとても重要です。
 電力が国によって異なるのはご存知でしょう。
 電力によって動くもの、動かない機材があります。
 じつは東京の電力は世界の都市部の中でも最弱なのです。

ここで、電源についておさらいします。
アメリカは120V 60hz
イギリスは220~240V 50hz
西日本は100V 60hz
東日本は100V 50hz
となっています。

僕のスタジオでは電柱から直接200ボルトの電気をおくり、
変電器を使い、常時100Vと120Vの安定した電気に変換してます。

さらに電気の質もポイントです。
幹線道路添いは昼と夜とで音が変わり
立地がよいといわれる電車、駅の近くは
高圧電線の近くなのでノイズ等影響を受けやすいのです。
そのため、都心でありながらも、
幹線道路と電車の路線から離れ、
昼間と夜の電気の質に差がない、住宅街の物件をさがしました。
これによって信号、電車、近隣の大電力を消費する設備からの電源ノイズからの
影響はほぼなくなりました。

今日まで、約10年間このスタジオメインに
良い音の録音、編集技術を磨いてきました。
おそらくアジアでぼくの54itより、
良い音で録音出来るスタジオなんて、存在しないと思います。

{CAD502D9-B236-4ADA-BB8D-977AE0516687:01}



しかし、僕のスタジオは極上ながら、
小規模の為、バンドの生演奏は不可能です。
良い音でバンド生演奏ができるような大規模スタジオは
レンタルフィーは高く、制作予算が豊富な
超メジャーアーティストしか使えません。
デビュー前の若手ミュージシャンが
そのようなスタジオを使えるわけはなく
ぼくが佐久間さんから教わったような経験を
若者に継承したくてもそんな場所が無い。
彼らは東京に来ても生活が苦しいだけで、
楽器を練習する間もなく
真の音楽を体験する事もできないでしょう。
本当は教えることよりも
実際にちゃんと響く「良い音」を
体験することが上達への一番の近道なのです。



はじめて佐久間さんにぼくがであったのは
彼が41歳のとき、
そして、ぼくはいま、43歳です。
ようやく師匠が師匠、佐久間正英までが
「音楽家を諦める時」という状況に
ぼくはひとつの答えを見出しました。

ならば「良い音」で音を鳴らせる環境を作りましょう。
それもアジアで一番の音楽制作環境を作りましょう。

それはどこか?
オリンピック決定とともに
地価と物価の下がる兆しもなく、
夢をもった若いミュージシャンが
上京して来ても生活費のためのバイトに追われ
練習する時間も場所もない
100V 50hzの東京ではありません、

僕の答えは
福岡です。

これまで福岡のいう場所は
数多くの音楽家を排出してきました。
その多くは拠点は東京に移し、
いまでは伝説しか残っていません。

これからは福岡をステップアップの踏み台ではなく、
これからの時代の音楽が生まれる場所。
日本の音楽産業が生まれる場所にしたいと考えています。

日本における、いや今や日本の技術力だと
世界一のフラッグシップな今の時代の
Aスタジオではライブ可能な大型音楽スタジオを作りたい。
録音、そして、かねてより活気のある
福岡ライブシーンを「単なるツアーの1箇所」ではなく、
ハイレゾ音楽クオリティーのライブネット配信拠点として
最新、最高の技術に対応できる音楽家、技術者の育成を
福岡発→インターネット経由→世界行きの動きを作り出すものになります。



WHY FUKUOKA

1)電源
ビンテージスタジオ器材は60ヘルツでしか
正常に動かない機材も稀ながらあります。
ほとんどのミュージシャンもツアーしているうちに
西日本の方が音が良いのは知っています。
つまり、50ヘルツの東日本ではなく、
60ヘルツの西日本が環境として望ましいのです。


2)立地
空港から市内までの距離が世界有数の近さであること。
空港から降りて地下鉄で10分そこらで
市内中心部に出れる都市はそうそうありません。
国内外の有名アーティストにとっても
世界最高峰の音を出せるスタジオまでの
移動時間が少ないことは魅力的なはずです。
中国のアーティストが朝に福岡にきて、ボーカルを録音して
夜の便で帰るなんてことも、福岡なら可能です。
超有名アーティストにとっては
お金よりもスケジュールが優先なのです。

3)カルチャー
そもそも、福岡は音楽人口が多く、
沢山の有名音楽家を輩出しています。
そして、繁華街での若いミュージシャンのアルバイト先も豊富です。
そして、世界各国のミュージシャンが滞在中も楽しめる、充実の博多グルメ。
レコーディングの作業はどうしても深夜にまで及ぶことがおおく、
環境はよくても市街地に近くないと、
仕事後の「おつかれさま」の乾杯すらできないのです。
そして、ミュージシャンは無類のラーメン好きで有ります。www


70年代80年代90年代の音楽最盛期を経験した年代も
今や年をとり、東京に飽き飽きしてる
師匠クラスのミュージシャン、エンジニア達も
人生の後半を音楽を奏で、
若者に経験を伝承するために
福岡へ移住もしくは、長期滞在してくれることでしょう。
そして仕事終わりに若手を連れて屋台等で、
色んな笑い話やライブでの失敗談、
機材の話等、話に花を咲かすでしょう。
その交流、経験を経て、若い才能が伸びる。
日本だけでなく、世界中のアーティストの
「良い音」のハブとして発信していくことで
真の意味で福岡をアジア、
世界のアーティストが集まる聖地にする。

こういうことをいま、ぼくは考えています。

THE MUSIC AWAKENS

来るべきハイレゾ音楽配信時代に適応した場所
アジアの音楽ビジネスのハブとなるトップエンドの
ライブ配信可能なミュージックスタジオのを
福岡に!建設したい!
でした。


{569945E3-4EC9-499D-8C74-D109003E7D8E:01}


{3331B0D2-B284-415F-B70D-BEC400BBA95D:01}