どうにもならないこともあれば、どうにかなることもある。
そして、どうも、それを混同したり取り違えてしまうこともある。
どうにかなることなのに、どうにもならないと思ってしまったり、その逆で、どうにもならないことを、どうにかしようとしたりする。
どうにもならないと思っていることの中にも、どうにかなることが含まれていたりする。
どうにかなりそうだと思っていることの一部には、自分ではどうしようもない部分もあったりして、そこで立ち往生してしまうようなこともある。
どうにもならないことを延々と考えたり、なんとかしようとしても、事態が進むことはない。
一方で、他のことでどうにかなること、自分で出来ることはあったりする。
それをしている間、ほっといていると、事態が好転していることもあったりする。
逆に、自分でどうになりそうなのに、どうにもならないと思ってほっといて、事態が悪くなってしまうようなこともある。
どうにかなることと、どうにもならないことの峻別は、自分で思っているよりも出来ていなかったりする。
考えれば分かるのかというと、必ずしもそうでもなく、考えれば考えるほど、どうにもならないことをやろうとしてしまう。
そもそも、考える際の視野が狭くなっていることもある。
狭くなった視野の中で考えても、出てくる答えは限られてしまう。
考えてもよく分からなくなったなら、少しだけほっとくということもありかもしれない。
それで好転すればそのままでいいし、悪くなるようなら何か出来ることがありそうだとなる。
ほっとくのが少しだけなら、出来ることがあることに気が付いてもリカバリーが効きそうだ。
どうにもならないと思っている時は、どうにかしようとして進まずに、自分がヘトヘトになっているかもしれない。
ほっといて少し休む、ぐらいでいいんじゃないか。
そんなことを思ったりするのです。