僕自身の考え偏っているのか、いや、むしろあまりに普通過ぎるのか。
誰かの支持を受けるには、自分の存在を明らかにするため、自分自身が目立つような旗を立てることになる。
そうした旗は極端であればあるほど、目立つことにはなる。
でも、自分の本意ではないことで目立っても、ずっとそれを続けていくことは難しい。
でも、誰かの支持、それは誰かからの承認とも言い換えることができるのかもしれないが、そうしたものがないと、やはりなかなか続くものでもない。
自分の存在は他者の存在によって確認できる。
ブログやSNSといったもので発信しても、誰も見ていなければ、発信したとはならない。
偏った考えは、万人受けすることはないが、それに呼応する人には受ける。
普通すぎる考えは大抵の場合、スルーされる。
しかし、偏り過ぎて浮きまくってしまうことも恐れる。
誰かの支持を受けたいけれど、目立ちたくもない。
例えば、読者が何十万といたり、YouTubeでのチャンネル登録数が数十万以上になっているようであれば、それだけの人たちの期待を背負うことになる。
そうした期待は重荷になるから嫌だけれど、でも見て欲しいと思ったりする。
そうしたアンビバレントな思いが、変化への足取りを重させてしまっているのかもしれない。
このブログも少し変化をつけた方がいいのかと悩むことがある。
外形的なことで言えば、始めた頃のよりむしろどんどんシンプルになっている。
文字を大きくすることもないし、写真も入れなくなったし、文末の定型の文言も無くした。
自分が少しでも面倒だなと思うことは辞めてしまった。
でも、やってもやらなくても、見てくれる人の数が大きく変化することもない。
スタイルはこれから変わるかもしれない。
ただ、今はこうしたスタイルだからこそ、とりあえず続けられている。
ブログを書く時に現れる管理画面の数字を見ながら、そんなことを思ったりしたのです。