何か新しいことをしようとする時、最初のアクションは調べることからだったりする。
調べるツールには事欠かない。
調べるというアクションのハードルはすごく低くなっているし、また、調べようと思えばいくらでも調べられる。
ネットの情報のリンクをどんどんと押していけば、関連情報を手広く調べることもできるし、検索ワードをちょっとずつ変えたり、足したりすることで、深く調べることもできる。
そして、いつの間にか調べることに多くの時間を費やし、ついには調べているだけで満足してしまう自分がいる。
新しいことを何一つ達成していないのに。
例えば、料理を作ろうとしてレシピをどんどん調べていって、動画で紹介されているものも見たりして、それで満足して、結局作らなかった、と言った感じだ。
調べると、ああでもない、こうでもない、と考えを巡らせることも多くなってくる。
そうこうしているうちに自分のやる気がだんだん薄れてきたりして、やろうとするタイミングを逸してしまう。
調べているうちに予約が満席になったり、売り切れになったりすることも多々ある。
調べるというアクションを起こすと、感覚はどんどんと鈍くなっていき、実際に体を動かすというアクションも遅くなってくる。
調べることは自分の好奇心の表れでもあるのだが、好奇心の表し方は調べることに限ったことではない。
好奇心=調べるという結びつきが自分が思った以上に強く、またネット環境によってどんどんと強化されているのかもしれない。
「書を捨てよ、町へ出よう」という言葉があるけれど、今で言えば、「スマホを捨てよ」ということなのか。
いや、でも、今は「スマホを持って町に出よう」になっている。
「スマホ」か「町に出るか」の二者択一ではない。
ただ、少しだけ、調べる手を休めておきたい。
いくら調べても確実なことを分からないのだから。
そんなことを思うのです。