楽しいとか苦しいといった感情にはグラデーションがある。
また、同じような感情であっても、その時々で変わってくる。
確かにグラーデーションはあるのだけれど、多分、僕が感じる
「楽しい」も「苦しい」も、ある何処かのリミットを超えて始めた認識するものなのかもしれない。
特に楽しいわけでもなく、かといって苦しいわけでもなく、どことなく感情が宙ぶらりんなことがある。
楽しくも苦しくもないからといって、それが「無」の状態かというとそんなこともない。
感情の浮き沈みがないけれど、大してやることもない。
そんな時に余計なことを考えたり、思ったりする。
そこで考えたり思ったりする余計なことが、これは得だろうか損だろうか、勝つだろうか負けるだろうか、といったことだったりする。
感情にはグラデーションがあるといっても、やはりどこかに傾いていないと、却って落ち着かないのかもしれない。
自転車に乗って、足をつけずに停止する状態でいることが大変なように。
余計なことを考えると大抵はロクなことにならない
要は暇なんだと。
ならば、楽しいと感じる閾値を下げてやればいいのだろう。
つまり、感覚、感受性を磨くということなんだ。
楽しいと感じる閾値を下げると、苦しいの閾値も同じように下がるかもしれない。
でも、ちょっとでも苦しいと感じれば、そこから逃れようとする。
茹でガエルにならないように。
感受性が豊かになると、感情の浮き沈みも激しくなってくるし、疲れてもくる。
でも、「疲れた」の感覚も鋭敏になれば、すぐに休むこともできる。
あらゆるところの感度を上げていこうと思うのです。